第4話 ハイッ、マイハニー♪

 その日の夕方。


「えへへへ……っ」

「うわぁ……」


 俺がリビングのソファーに寝転がっていると、妹の未奈みなが引いた顔でこっちを見ていた。


 というか、今の『うわぁ……』って、なんだよ。俺はなにもしてないぞ!


 高谷たかや未奈みな。俺の妹で、二つ下の中学三年生だ。


「なんかお兄ちゃんがニヤニヤしてる……。キモっ」

「……お兄ちゃんは、未奈にそんな言葉を教えたつもりはないぞー? そもそも、年頃の子がそんな言葉を使っていいわけが――」

「うわぁ……今、謎に説教されたんですけど、ウザっ」


 思春期の妹が、お兄ちゃんに向けて使う言葉の代表例…………『キモっ』と『ウザっ』。


 小さい頃は泣き虫で、いつも後ろから付いてきていたのに……。子供の成長は早いなぁ……。


 と、心の中でしみじみ呟いていると、なにかを察したのか、


「………………」


 じーっとこっちを見ていた。……というより、ジト目で睨んでいた。


 ゆら……ゆら……っ。


 その間、まるで生きているかのようにサイドテールの髪が揺れていた。


 未奈は怒ったときに、サイドテールの髪を鞭のようにして襲い掛かってくることがある。


 それがまた、痛い、痛い。


 この前も、冷蔵庫に入っていたカップのアイスを勝手に食べたら、鬼神のように襲いかかってきたっけ……。


 楽しみにしていたのなら、他の人に食べられないように名前くらい書いておけよな……まったく。


 ゆら……ゆら……っ。


「二人ともーっ、もうすぐご飯できるから手伝ってー」


 キッチンから顔を出して言った母さんに、俺は心の中でグッドサインを送った。


 ナイスタイミングっ!


「はい、はぁーいっ!」

「…………」


 ソファーから立ち上がってキッチンに向かう間も、背中越しにじーっとした視線を感じたのだった。




 テーブルの上に料理を並べ終え、席に着いた。


 今日の夕食は、我が家で一番と言っていいほどの絶品オムライス。


 ご飯とケチャップに、具はシンプルに鶏もも肉と玉ねぎのみ。


 実にシンプルではあるのだけど、これがいいんだよ。


(それにしても……うーん……『オムライス』、ねぇ……)


 どうしてこんなにも、この言葉が気になるのだろう。


 オムライス……オムライス……あ、思い出した!


 凛々葉りりはちゃんの大好物の内の一つがオムライスだったんだ……っ!


「もぉ~お腹ペコペコ~っ。じゃあ、いただきま~すっ!」


 横では、さっきから腹を空かせていた未奈が、待っていましたと言わんばかりにスプーンで頬張っていた。


 美味そうに食うなぁ……。


 そういえば、あのとき、『私の大好物は、オムライスとパフェなので、今度一緒に食べに行きましょうね~♪』って、言ってたっけ……。


 そんなことを思い出しながら、スプーンで掬った一口目を食べようとしたとき、


「ねぇ~聞いてよ、ママ! お兄ちゃん、さっきまでずっとニヤニヤしてたんだよーっ」


 ニヤニヤして悪いかよ……っ。


 お前だって、アイドルが出る番組を見ながらニヤニヤ…――


「まるで彼女ができたみたいにっ」

「えっ、なんでお前がそれ知ってんの?」


 ………………………………………………………………。


「「ん?」」




 その後。夕食を食べ終えて自室に戻ると、俺はベッドに寝転がった。


「はぁ……」


 あれから、なんとか言葉を並べてはぐらかすことはできたけど。


 こういうときの未奈はしつこいんだよな……。


「不安はあるけど……。ああぁ~食った食った~っ!」


 ご飯を食べてベッドに横になる、この行為。太るとわかっていても、この時間が癒しなのである。


「あ」


 俺は徐に枕元に置いていたスマホを手に取った。

 

 忘れる前に、『あれ』を教えておこう。えーっと……


『美味しいオムライスが食べられる喫茶店を知っているんだけど。今度一緒に行かない?』


「送信…――」


 そのとき、ボタンを押そうとした手が止まった。


 いや、待てよ……。こんなあっさりした誘い方でいいのか?


 急に不安になった俺は、今書いた文字を一旦消して別の案を考えることにした。


 なにがいいかな……あっ。


『凛々葉様。実はわたくし美味びみなオムライスを』


 ……さすがに硬すぎか。


 うーん……じゃあ、


『ハイッ、マイハニー♪』


 いやいや、馴れ馴れしいにも程があるだろ。


 うーーーん……それとも、


『凛々葉殿、拙者と一緒に』


 うーーーーーん……。


 それから悩み抜いた結果、


『美味しいオムライスが食べられる喫茶店を知っているんだけど。今度一緒に行かない?』


 結局、最初に戻ってくるという……ねっ。


 ……うんっ、行って来い!!


 何度も見直したメッセージを送ると、すぐに既読が付いた。

 

 ピロリンッ。


 そして、『行きますっ♪』と一緒に『わぁ~いっ!』と喜んでいるクマのスタンプが送られてきた。


「…………っ」


 俺はそっとスマホを横に置くと、枕に顔を埋めた。そして、




(うちの彼女……可愛すぎかぁあああああーっ!!!???)




 ちなみにこの後、一時間もの間、ベッドの上で悶え続けていたのだった。


 自分で言うのも何だが、さすがにキモいな……。

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