第10話 変身!

 新しい服を買い、隣を歩く雪路は上機嫌――ではまったくなかった。


 眉間にしわを寄せ、周囲をにらみつけている。


「お前なにキレちらかしてるんだよ」

「だってなんか周りの奴らがガンつけてきやがるから」

「それガンつけてるんじゃなくて――」


『雪路が可愛いからだろ』


 俺はその言葉を飲みこんだ。


「? なんだよ、最後まで言えよ」

「あ~……、俺の選んだ服のセンスがいいからだろ」

「すげえ自画自賛」

「だからまあ、自信を持っていい」

「そうか……。あたしももうちょっとお嬢様らしくしようかな」


 ちら、ちら、と俺の顔を窺う。


「べ、べつに無理しなくていいと思うけど」

「中身も伴わないとな。外見は完璧になったし」

「すごい自画自賛」


 しかし本当すぎてまったく嫌味に感じない。


「お!?」


 と、急に声をあげた雪路は、目をらんらんと輝かせてある方向を見ていた。


 その視線の先にあるのはコンビニエンスストアの駐車場に停まった二台のバイクだった。ツーリングの途中なのか、つなぎを着た男性ふたりがバイクにまたがりおにぎりやカップ麺を食べている。


 バイカーの一方が雪路の視線に気づいてそわそわとしだし、髪をかきあげたりしている。


 雪路は嬉しそうに言った。


「おお、かっけえ……! スズ○のやつだな。黒と赤のカラーリングもたまんねえ」


 バイカーのことはまったく見ていなかった。


 この調子じゃ雪路がおしとやかになるかもなんて心配する必要はなさそうだ。


「あたしもいつかあんなバイクに乗っ――」


 雪路ははっと息を飲んだ。


「――乗った男にしがみついて、海辺の道を走りたいな」

「おお、お嬢様っぽい」

「だ、だろ? ――あ、で、でもあれだぞ? 今そういう男がいるわけじゃないし、べつにバイクが嫌いなら嫌いで全然いいからな? 勘違いすんなよ?」


 あたふた取りつくろった。


 などと、お嬢様っぽく振る舞いたがる雪路を生温かく見守りながら歩いていると、学ランを着崩した、いかにもな不良ふたりが大学生くらいの地味なカップルにからんでいるのが前方に見えた。


「おう、いい感じのデートスポットを教えてやったんだからよ、紹介料払えよ」

「兄貴、年上っすよ。言葉遣いに気をつけたほうが」

「ああ? てめえこら」

「す、すいません」

「いいこと言うじゃねえか」

「きょ、恐縮っす」

「っつーわけで、デートスポットを教えて差しあげたので、その分の代金をいただきたく存ずるでござる」

「兄貴、忍者になってます」


 ――……なんだあれ。


 路上パフォーマンスをする若手お笑い芸人でなければ、カツアゲの類だろう。その証拠にカップルの女性のほうは怯えたように身を縮め、眼鏡をかけた大人しそうな彼氏は彼女を守るように前に出ている。


「い、いくら払えばいいんですか」

「五万円」

「ご、五万……!?」


 不良の弟分のほうが兄貴の肩を叩く。


「兄貴、それは吹っかけすぎっす」

「でも五万円欲しい」

「俺もっす。でも相場ってもんがあるっす」

「いくらだ」

「一万くらいじゃないっすか」

「だそうだ」


 と、彼氏に言う。


「わ、分かりました」

「コウくん……!」


 彼女が彼氏の服の裾を引っぱる。彼は首を振り、財布から万札を取りだして不良に渡した。


「毎度ありがとうございます」

「兄貴、初対面なので毎度はおかしいっす」

「そうか。――またよろしくお願いします」


 そう言って不良たちは俺たちが来た道を歩いていく。カップルの彼氏は、塞ぎこむ彼女をなだめながら近場のカフェに入っていった。


 ――都会にもあんなのがいるんだな。


 他人事のように思っていると隣からひやりと冷気のようなものを感じた。


 そちらを見ると、雪路がうつむき加減できつく口を結んでいた。その目は中学時代、もっとも荒れていたときのものと同じだった。


「雪路」


 俺の声に彼女ははっと顔をあげた。


「な、なんだ?」

「なにもするなよ?」

「……」

「おしとやかなお嬢様は、あんな輩に構ったりしない」

「分かってる」

「よし、じゃあつぎはどこに行く?」

「……じゃ、じゃあ、そこのカフェに行こうぜ」


 と、さっきのカップルが入っていったカフェを指さした。


「ああ、そうだな。ちょっと腹ごしらえしていくか」


 と、歩きだそうとしたとたん、雪路がすっとんきょうな声を出した。


「あ、や、やべえ! イマムラに忘れもんしたから取ってくるわ!」

「は? なにを忘れたんだよ?」

「……なんだっけな」

「忘れすぎじゃない?」

「とにかくちょっと行ってくるから、湊人はそこのカフェで待っててくれ!」


 返事をする間もなく雪路は今来た道を駆けていった。


 俺は大仰にため息をついた。


「分かりやすい……」


 久しぶりにお目付役の仕事をする必要がありそうだ。


 少し時間を置いてから俺は雪路のあとを追った。





 ――さて、どこに行った?


 このあたりの地理はまだ詳しくないが、ああいう輩の行動はたくさん見てきたからなんとなく分かる。日中でも陽が当たらない、じめっとした狭いところ。要するにダンゴムシと同じだ。


 と、案の定、近くから男のわめき声が聞こえてきた。俺はその声を頼りに建物の隙間の狭い道を進む。


 ――いた。


 そこは小さなビジネスホテルと飲食店ビルのあいだの路地だった。俺は建物の陰に隠れ、ちらと顔だけ出して確認する。


 さきほどの不良ふたりの背中が見える。そいつらと対峙しているのは雪路――と見てまちがいないと思う。


 どうして断定できないかというと、その人物は顔を隠しているからだ。――フルフェイスヘルメットで。


 ではなぜ雪路と見てまちがいないのかと言えば、着ているのが紫のジャージ――胸に観世音菩薩のイラスト入り――だからである。あのジャージの所有者がこの近辺に何人もいるとは思えない。


 ヘルメットはおそらくコンビニ前のバイカーから借りたのだろう。身バレしないよう変装するくらいの冷静さは持ちあわせていたらしい。


 ただ――。


 ――ものすごい怪しい……。


 ある意味、不良ふたりより威圧感がある。


「んだてめえ怪しい格好しやがって」


 兄貴のほうが言った。俺も同意見である。


 雪路は言った。


「――、――っ――の――」

「あ?」

「――、――っ――の――――!」

「ヘルメットで聞こえねえんだよ!」


 雪路は今気づいたみたいな感じで手を打った。そしてシールドを少しだけ上げて隙間を作る。


「さっきのカップルからカツアゲした金を返せ」

「てめ、あれか? さっきのカップルからカツアゲした金を取り返しにきたのか?」

「そうだよ。カタギにたかるダセえ稼ぎ方しやがってシャバ僧が」

「てめ……、俺がカタギにたかるダセえ稼ぎ方するシャバ僧だとお?」


 弟分がこそっと言う。


「兄貴、会話が足踏みしてるっす」

「てめえコラ!」

「差し出がましいこと言ってすいません!」

「いつも注意してくれてありがとうな」

「きょ、恐縮っす」


 兄貴は雪路に向きなおる。


「調子こいたこと言ってるとお、ケツの穴から手ぇ突っこんで奥歯ガタガタいわせたんぞ!」

「ああ? てめえの髪の毛全部引っこ抜いて作った筆で『晴れた空』って書き初めしてやろうかコラ!」

「ヘルメットごとどたまかち割ったろか!」

「てめえの鎖骨のくぼみのとこに水を流しこんで『カルデラ湖』ってあだ名つけてやろうかコラ!」

「脅し文句が独特すぎだろコラア!」


 兄貴が壁に立てかけてあった低い脚立を引っつかんだ。


「そんなん言うんだったらなあ、力尽くで取り返してみろや!」

「……」

「んだこら、ビビってんじゃねえぞ」

「……本当にいいのか?」

「あ?」

「本当に力尽くでいいのか?」


 低く、地を這うような声。


「な、なんだよ、そんなんでビビると思ってんのか」


 雪路は無言でなにかを拾いあげた。それは錆びかけた鉄筋だった。


 俺は脚に力を込める。あまりエスカレートするようなら止めに入らねば。


 雪路は鉄筋を両手で持って胸の前に突きだした。


「や、やんのか? 本当にやんのかコラ」


 兄貴の言葉に返事をせず、雪路は次の瞬間、


「ふんっ……!」


 と、腕に力を込める。すると鉄筋はU字にひん曲がった。


 不良ふたりがフリーズする。


 雪路はそれだけにとどまらず、まるで飴でも細工をするみたいに鉄筋をぐにゃぐにゃに曲げていく。


 そしてそれを不良の足元に放り投げた。


 がらん、と音を立てて地面に落ちた鉄筋は、8の字を二重に重ねた知恵の輪のような形になっていた。


 雪路が言う。


「それが三分後のお前の姿だ」

「これ俺どうなっちゃってんだコラア!?」


 弟分はすがるように言う。


「兄貴、やばいっす。あれ鬼かなんかっす」

「分かってる……!」


 兄貴は脚立を放り捨て、ついで懐からなにか取りだして投げた。ひらひらと地面に落ちたそれは万札だった。


「い、いいもん見せてもらったからその代金だコラ!」

「ありがたく受けとれコラ!」


 負け惜しみを言い、こちらに走ってくる。


 俺は顔を引っこめ、素知らぬふりをして引きかえした。





 カフェで待っていると、雪路が俺のもとへやってきた。よほど急いでいたのかデニムのジャケットはバスタオルみたいに肩にかけている。


「よ、よお、待たせたな」

「結局なんだったんだよ忘れ物って」

「あ、あ~……、忘れた」

「それも忘れたのかよ」

「それよりちょっと便所行ってくる」

「せめてお手洗いと言え」


 雪路はトイレのほうへ歩いていく。と、その途中でさっきのカップルの席に寄り、一言二言話したあと、なにかを手渡してからトイレへ入っていった。


 しばらくしてもどってきた雪路を俺はじっと見た。


「な、なんだよ」

「……べつに」

「もしかしてあたしに見とれたのか、あ?」


 と笑った。


 ヘルメットを被っていたせいで髪に跡がついているし、「だっはっは」という笑い方にはおしとやかさの欠片もない。


 そんな雪路を以前の俺は呆れた気持ちで見ていた。しかし今は呆れ半分、そしてもう半分は――。


「お前さ――」


 俺は言う。


「急いでおしとやかにならなくてもいいんじゃないか?」


 雪路はきょとんとする。


「それって……、まさか湊人」

「い、いや、深い意味は――」

「あたしがおしとやかになれるわけねえってのか、ああ!?」


 ――全然違う……!


 違うが、俺もうまく説明できない。


「見てろよ、めちゃめちゃ清楚になっててめえを惚れ――」


 雪路は激しく咳きこむ。


「ぎゃふんと言わせてやる!」

「まあ、あまり無理はするなよ」


 俺の言葉に雪路は納得のいかなさそうな表情を浮かべていた。

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前にお世話したヤンキーが清楚美少女にキャラ変して恩返しに来たんだが 藤井論理 @fuzylonely

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