第9話 勝負服

 駅前広場にある8の字型をしたモニュメントの前で俺はそわそわしていた。


 今日は日曜日。休日デートである。


 いや、俺が女に慣れるためのデートのシミュレーション――白雪ゼミである。


 と、無邪気に信じていたのはつい数日前までの話だ。


 雪路が俺を好きと分かったその瞬間から、その様相は打って変わった。


 つまり、シミュレーションに乗じたアプローチなのだ。手をつないだことも、間接キスも、全部。


 ――けなげか……!


 今日のデートシミュレーションも雪路の提案だ。


 断るべきだっただろうか。しかしいきなり中断を申し出たら、俺が雪路の気持ちに気づいたと悟られるかもしれない。しばらくは素知らぬふりで継続し、徐々に軟着陸をさせていこう。


 なに大丈夫。好かれたからって好きになるわけじゃない。俺はおしとやかな女性が好みだし。


 ――でもなあ……。


 見た目だけはストライクなせいで、たまにくらっと来てしまう。まして今日のシチュエーションはデート。きっと気合いの入った服装をしてくることだろう。気を引きしめなくては。


「待たせた」


 横合いから雪路の声がかかり、俺はいったん呼吸を整えてから、


「いや、待ってない」


 と、振りむいた。


 上下、紫のジャージ。胸に観世音菩薩のプリントつき。


「べつの意味で気合い入ってる!?」


 雪路はジャージの胸のあたりをつまんだ。


「これか? 今日はあたしが持ってるなかで一番高い服を着てきた」


 たしかに大量生産はできないだろうから単価は高そうだが、しかし――。


「なぜ今日それを着てくる」

「一番高いからだって言っただろ」

「そうことじゃなく――」


 ――いや、でも待てよ。こんな格好ならときめきようがないから俺にとっては都合がいいのでは。


「……まあ、着てきちゃったんならしょうがないな。今日はそれで」

「分かってるよ。デートにジャージを着てくるのはおかしいってことだろ」

「分かっててなぜそのチョイスになる……!」

「でもしょうがねえだろ。外に着ていけるような服はジャージくらいしかねえんだから」

「嘘だろ? ふつうのシャツとかデニムとかは」

「ねえよ。だっていつ着るんだよそんなの」

「今!!」


 駅前広場に俺の声が空しく響いた。


「ならよ――、あたしの服、選んでくれねえか?」

「……雪路の服を?」

「なに買えばいいのか分かんねえし、湊人が見つくろってくれよ」

「でも俺、女の服なんてよく分かんないぞ?」

「あたしよりましだろ」


 雪路は自分の耳たぶをいじりながら、恥ずかしそうに言った。


「お、お前の、好みでいいからさ」


 ――これが目的か……!


 俺好みの女になるためには、俺にコーディネートさせるのが確実。そういうわけだ。


 ただでさえ見た目はストライクなのに服装まで好みになってしまうのはとてもまずい。


「い、いや、でもジャージもそんなに悪くは――」

「このままじゃダチに誘われても遊びに行けねえし……。な? 頼むよ」


 手を合わせ、上目遣いで俺を見る。


 ――うっ。


 その外見で懇願されると意志がぐらぐらと揺れる。


 ――ま、まあ、友達と出かけられないのはかわいそうだしな……。


「……いいけど、なに選んでも文句言うなよ?」

「っしゃ! じゃあとっとと行くぞ。時間がもったいねえ!」


 雪路はショッピングモールへつづく階段を駆けあがっていった。


 ――悪友と買い物に来ただけ、悪友と買い物に来ただけ……。


 俺は自己暗示をかけ、雪路のあとを追った。





「あのよ」


 試着室のカーテンの向こうから雪路の声がした。


「お前の好みでって言ったよな」

「ああ」


 カーテンが勢いよく開く。


 V字ネックのシャツにロングカーディガンを羽織り、下には細身のスラックス、首に長いストールを垂らし、小脇にセカンドバッグを抱えた雪路が立っていた。


「お前が着たいやつじゃねえか!」

「そういうファッションが似合う男になりたいよね」

「知らねえよ! あたしに似合うの持ってこいっ」

「そう言われてもな……。なんか方向性を教えてくれよ」

「そ、そりゃお前……、お、お嬢様っぽいやつ、とか? だよ!」


 と、そっぽを向いてぼそぼそと言う。


 ――自分で言ってて恥ずかしくなってるじゃないか……。


 まだまだ自分がお嬢様になることに照れがあるようだ。


「分かった、ちょっと待ってろ」


 俺は売り場を回り、試着室前にもどった。服を集めたカゴを雪路に渡す。


「ご要望どおり持ってきたぞ」

「お、おう、ちょっと待ってろ」


 シャッ、とカーテンが閉まる。


 なかでもぞもぞと動く気配。


 ――……今、脱いでるんだよな……。


 俺は不埒な妄想を、頭を振って追いだした。


 ――考えるな。無だ、無……。


 ぎゅっと目をつむり、腕を組んで妄想と戦っていると、


「……おい」


 と、雪路の低い声が聞こえて、俺はびくりとした。


「な、なんだ、見てないぞ?」

「あ? そりゃそうだろカーテンがあるんだから」

「そ、そうだったな。――で、なんだ?」

「あたしはお嬢様っぽいやつって言ったよな?」

「ああ」


 カーテンが乱暴に開かれる。


 長袖メイド服を着た雪路がそこにいた。


「これのどこがお嬢様だ! 真逆だろ!」

「元貴族の没落したお嬢様が生活のためにメイドを始めたんだ」

「なんだよその設定!? キモいわ!」

「気に入らないか?」

「気に入るかっ。っつかなんでイマムラにメイド服なんて置いてあるんだよ」

「お前……、イマムラの商品部の努力をなめるなよ?」

「なににキレてんだよ」

「俺は子供のころからイマムラーだからな」

「なんだよそのポ○モンみたいなの……」


 雪路は顔をしかめた。


「いいからつぎのやつ持ってこいよ。今度ふざけたことしたら――」


 にっと口角をあげるが、目はまったく笑っていない。


するぞコラ」

「そんな、かわいがりみたいに……」


 のらりくらりと避けつづけるのももう限界か。


 俺は覚悟を決め、売り場で服を集めて回った。


 ――あまり可愛くなりすぎない、できるだけ落ち着いた雰囲気の……。


 仁王立ちするメイドのもとにもどり、カゴを渡す。なかを覗きこみ、雪路は言う。


「ぱっと見、ふつうだな」

「奉仕されたくないからな」

「待ってろ」


 カーテンが閉まる。


 試着室に背を向けて、俺は呼吸を整えた。


 ――大丈夫、地味なコーディネートにしたし……。


「……着たぞ」


 雪路の声がして、俺はもう一度だけ深呼吸をしてから振りかえった。


 そろりそろりとカーテンが少しだけ開き、隙間から雪路が顔だけ出す。その表情は不安げだ。


 ――か、可愛いことしてんじゃねえ……!


「き、着たぞ」

「それは聞いた」

「開くからな?」

「あ、ああ」

「ほんとに開くからな」

「わ、分かったって」

「い、いっせーの……、s」

「ちょちょっと待て!」

「んだよ!」

「心の準備が」

「そっちになんの準備があるんだよ。――ははん?」


 雪路の顔がにやりと歪む。


「あたしの魅力にめろめろになるのが怖いんか?」

「そ、そんなわけないだろ。そっちこそもったいぶって、似合わないって思われたらどうしようって怖じ気づいてるんじゃないのか?」

「は、はあ? あたしがビビるわけねえだろ」

「俺だって」

「じゃ、じゃあ、開けるぞ」

「あ、ああ、開けろよ」


 一瞬だけ躊躇するような間があってから、カーテンが開かれた。


 自分で開いたくせに、雪路は目を泳がせて照れくさそうにしている。


「ど、どうだよ」


 オフホワイトのフリルブラウスと、ダークグレーのロングスカート。肩にデニムのジャケットを引っかけている。


 俺の好みならばブラウスとスカートだけで充分。ジャケットは余計だ。言うなればデバフがかかっている状態だから心が動かされることはない。そう高をくくっていた。


 しかしその装いは、可憐な見た目ながら気の強さも垣間見える雪路にあまりも似合いすぎていた。


 コーディネートは完全に成功。だからこそ俺にとっては完全に失敗だった。


「どうだって聞いてんだよ」

「……」

「なんで無言――、ってかなんで下唇噛んでんだよ」

「……っぐ、ふ……!」

「なにぶるぶるして――、……って、お、おい、力抜け! 下唇噛みきれるぞ!?」

「し、下唇がなくなるくらいどうってことない」

「いや犠牲でかすぎだろ。なにと戦ってんだよ」


 雪路は呆れている。しかし痛みのおかげかどうにか堪えることができた。最初の波さえやりすごせば、あとはできるだけ雪路を視界に入れないようにすれば問題ない。


「で、結局どうなんだよ」

「変じゃないぞ」

「じゃなくて! に、似合うかって聞いてんだよ」

「……」


 似合っている。似合いすぎて困っているくらいだ。でもそれを口にしようと猛烈に恥ずかしくなって喉が詰まる。


「い――」

「『い』?」

「――いつも一緒にいる友達と出かけても、恥ずかしくないくらいには」

「……そ、そうか。へへっ」


 雪路の顔がゆるむ。


 よかった、これ以上の追求はなさそうだ。俺はほっと息をつく。


「っしゃ、じゃあこれ着てくかな」


 またジャージにもどるとばかり思っていた俺は雪路を二度見した。


「え、き、着てくのか?」

「せっかく買ったんだからすぐ着たいだろ」

「RPGの勇者かよ……」

「いや意味分かんねえし。――あ、すいませーん、着てくんでタグ切ってくださーい」


 会計を済ませ、俺たちは再び街へ繰りだした。

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