第28話 愛国者たち ⅱ

3曲歌ったアイリスが声を上げる。


「私は平和維持のために戦う兵士たちを支持する。そして彼らを指揮する大統領を誇りに思う!」


 彼女はステージの背後の幕を指した。


 金モールで縁取られた幕が左右に開くと、そこに濃紺のダウンジャケット姿のイワンがいた。スタジアム内外のスクリーンに彼の姿が大写しになる。


 ――ウォー――


 20万人の観衆がどよめいた。


 微笑を浮かべたイワンが手を振りながらステージ中央に歩み、アイリスが静かに後退していく。


 ステージの中央に立ったイワンは、ゆっくりと4方向の客席に向いて手を振り、観衆の声援に応えた。それから前方、貴賓席のある方角に向いて「親愛なるフチン国民諸君……」と語り始めた。


 それまで沸いていた観衆が彼の声に耳を澄ます。


「……私たちは、私たちの土地で、共通の運命で団結した多国籍人だ。フチン人が住む場所は共通の運命で結ばれたフチンの大地といえる。そこに住むフチン人はフチン共和国に守られる権利を要している。そしてフチン聖教は、セントバーグで生まれた。そこは我々フチン人の精神の故郷でもある。……重要なのは、私たちフチン共和国が、フチンの文化と精神性を有しながら、フチンの大地に続く異郷の地で孤立する同朋のために正しいことをしているということです」


 そこでイワンは間を置き、拳をつくって口調を変えた。


「フチン人を排除しようというユウケイのナショナリストたち、我らが同朋の自立と独立を認めないドミトリーの政府……、ユウケイ民主国内の意識の高いフチン人たちは、それらを打破し、フチン人の自由と尊厳を守り抜こうとしているのです。平和維持軍の兵士はこの度の軍事行動に、そして我々の神に魂をささげ、孤立したユウケイ民主国内の同朋と共に勇敢な行動を示しています……」


 彼は話しながら、ステージ上をゆっくりと回った。スタジアムの方々から拍手が湧き起こり国旗が振られていた。


「……エアルポリスの街は間もなく解放されるでしょう。そうして速やかに住民投票が実施される。ファシストの束縛から解放された市民は、必ずや独立を選択するはずです。我々は勝利すのです」


 ゴーっと大地を揺らすようにスタジアムが沸く。それをイワンは手を挙げて制止した。


「……彼の国にはジャンヌダルクがいると言う。この会場の中にも、そんな話を聞いたことがある者がいるだろう。あるいは国民を欺くための動画を観たことがあるかもしれない。そうして戸惑い、恐れおののいた者がいるかもしれない。……ユウケイ人の多くは張り子の虎の英雄を信じ、かすかな勇気を得ているのだろう」


 彼はそこまで、声を低くして静に語っていた。


「……しかし、諸君!」


 彼の声が四方で反響し、スタジアム全体が固唾をのむ。


「私は悪魔の手先となったジャンヌダルクを捕獲ほかくした。紹介しよう」


 イワンがステージの左端に移動し、右手を水平に伸ばした。


 さっきまで彼が立っていた場所の床が割れてぽっかりと正方形の黒い穴ができた。


「英雄ジャンヌダルこと、女神の名を持つユウケイのアテナだ」


「アテナ……」その名前には聞き覚えがある。ユーリイは、穴を覗き込むように身を前傾させた。


 ステージの下からせり上がってくるのはアテナではなかった。スポットライトを浴びて虹色に輝く物体だ。ほどなくそれはクリスタルで飾られたフチン正教の巨大な十字架だとわかった。


 ふざけているのか。……ユーリイはステージ上のイワンに目を移した。


 彼がふざけていないことはすぐにわかった。――ウォー……、観衆がどよめいた。多くの者は歓声を上げ、一部の者は悲鳴を上げ、また別の者は声を詰まらせている。十字架と共に、彼らが動画で見たジャンヌダルクの姿があった。ユウケイ軍の軍服姿だ。


「ん?」


 ユーリイはアテナが動かないのを不審に思い、巨大なスクリーンに眼をやった。彼女は後ろ手に手錠を掛けられ、それが十字架にくくり付けられていた。


「フチン国民諸君!……彼女は戦士だ。彼女が我が国のヘリを撃ち落とし、平和維持軍の多くの兵士を殺したのは事実だ。それは認めざるを得ない。……ところが臆病なユウケイ政府は、己の命と引き換えに彼女を差し出してきた。なんと無様ぶざまで、卑怯ひきょうな連中だろう。自分たちのために命をして戦った彼女を差し出してきたのだ。そんな彼らのもとに正義や神の祝福があると思うか? いや、あるはずがない。正義は我々にある!」


 イワンに呼応するように、「そうだ!」「我々が正義だ!」「ユウケイに死を!」と方々から声が上がる。そんな観衆にイワンはうなずき返した。アテナは眼を閉じている。が、その表情は悔しそうに歪んでいた。


「15世紀のジャンヌダルクが見捨てられたように、21世紀のジャンヌダルクの末路もなんと哀れなことだろう」


 イワンは彼女を憐れむように胸の前で手を合わせ、黙とうするような姿勢を見せた。


 相変わらず芝居がかっているな。……ユーリイは胸の内で彼を笑った。同時に、アテナの顔が戦争初期に亡くなった親族と似ていると感じて切ないものを覚えた。


「フチン国民諸君、この哀れなアテナの言葉を聞いてみようではないか」


 彼はそう言うと、アテナの耳元で「ユウケイ政府に見捨てられたアテナ。君の声を聞かせてくれ」とささやき、数歩離れた。


 カッと、アテナが目を開いた。ユーリイはその音が聞こえたような気がした。彼女は拘束されたまま、首を左右に回してスタジアムの様子を確認してから口を開いた。


「初めに断っておきます。ユウケイ政府が私をここに送り込んだのは、政府の命乞いのためではなく、4千万人の国民の命を守るためです……」


 彼女はたどたどしいフチン語で言った。


「噓をつくな」「だまされないぞ」とヤジが飛んだ。


 彼女が大きく息を吸う。そして、ヤジに負けまいとするように、腹の底から声を発した。


「……フチン国民の皆さん、フチン軍がユウケイ民主国で行っているのは平和活動などではなく戦争です。あるいは虐殺です……」


「ユウケイこそ虐殺者だ」「ユウケイでフチン人が殺されたぞ」と方々で声が上がる。


 アテナは首を左右に振り、それから語りかけた。


「……今、エアルポリス市はフチン軍に包囲されています。電気、ガス、水道……、インフラは止められ、十数万人の市民が飢えと寒さで餓死しかけているのです。他にも、似たような街がいくつもあります。そこからの脱出ルートを人道回廊と呼びます。フチンとユウケイ両者の停戦協議団が話し合って決めたものです。ところが、いざ、市民が戦場から脱出しようと試みると、フチン軍の攻撃を受けるのです。そうして沢山の子供が、母親が、高齢者が命を落としました。そうした行為の、どこが平和維持活動でしょうか? 私は、その人道回廊の安全を保障するというイワン大統領の申し出に期待し、その対価としてここにいるのです……」


 彼女の話を聞く観衆から、徐々にヤジが減っていった。彼女は話しつづけようとしていたが、「フチン国民諸君!」とイワンが割り込んだ。


「……ユウケイのファシスト政府の洗脳は徹底しているようだ。愛すべき哀れなジャンヌダルクもまた、フェイクをまき散らすユウケイ政府の代弁者だった。避難民を誘導する平和維持軍、食料を配る平和維持軍、怪我人の治療にあたる平和維持軍……。そのどこが虐殺者だというのだろう? わけがわからない」


 イワンが両手を広げて頭を振った。


「我々は、ユウケイ国内のフチン人だけではなく、悪辣あくらつなドミトリーに洗脳されているユウケイ国民も救ってやらなければならないようだ」


「大統領、救ってやってくれ!」


 観衆から声が上がる。その声のした方向に向かってイワンがうなずいた。


「そうしよう。私は、敵国の国民のためにも働こう」


 イワンが十字架の周りを一周する。その間、スタジアム内の拍手は鳴り止まなかった。


「さて、ジャンヌダルク。いや、ドミトリーの手先のアテナ。君には、自分の道を選んでもらおう。ドミトリーの言うままに地獄への道を歩むのか、洗脳から目覚めて現実を見つめなおし、自分の幸せを手にいれるかだ。ユウケイ国内で、国民が悪政に苦しんでいることを赤裸々に告白するなら、この国での安全な生活を私が約束しよう」


 イワンがアテナの顔を見つめた。彼女は、彼をにらみ返すだけで、口を開かない。


「強固な洗脳の中にあるのだ。悩むのも仕方がない……」


 イワンはざわめく観衆の方に眼をやり、「彼女は考えている」と言って唇に人差指を当てた。


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