第27話 愛国者たち ⅰ

 ユーリイはお気に入りのSUVを自ら運転し、トロイアスタジアムの地下駐車場に向かっていた。入り口には大勢の警察官が検問を敷いていた。その日そこではユウケイ民主国に派遣された平和維持軍を支援する式典が開かれ、イワン大統領をはじめ、多くの閣僚や著名人が集まるからだ。


「ご苦労」


 ユーリイは窓を半分開けて身分証を提示した。冷たい空気が流れ込んでくる。


「ユーリイ長官……」


 対応にあたった警察官が顔に緊張を走らせ、直立不動の姿勢を取って敬礼した。


「私はもう引退した身だよ」


 ユーリイは笑ってSUVを発進させた。


 地下駐車場に車を停め、通用口からスタジアム内に入る時も、3階に上って貴賓室に入る際にも、警備の警察官に身分証の提示を要求された。


 どうやら警備は万全らしい。……満足して自分の席を探した。


 アップテンポに編曲された国歌が流れる貴賓室には、フチン政府の大臣だけでなく、フチン共和国傘下のチェルク共和国ほか八つの共和国の首相が参列していた。


「ユーリイ様、お席はこちらです」


 制服姿のアテンダントに声をかけられ、雑談する要人らを横目に窓際の自分の席に進んだ。


 案内された席に掛け、ユーリイは満足を覚えた。ガラス越しにグランドの中央に設置されたステージが良く見える。それを取り巻くアリーナ席も、グランドを取り巻く一般席もすべて観衆で埋まっていた。彼等の多くが国旗を手にしていて、周囲の者たちと歓談している。その声はガラスに遮られて届かないけれど……。


「飲み物は何にいたしましょう?」


 アテンダントに声をかけられ、ホットココアを頼んだ。


「相変わらずホットココアですか」


 背後から声がした。そちらに首をひねった。


「ユーリイ、元気そうですね」


 一昨年まで部下だったドルニトリー公安局長の顔があった。


「君こそ元気そうで良かった。ドルニトリー」


 立ち上がって手を差し伸べる。2人はしっかりと握手を交わした。


「イワンとは、上手くやっているかい?」


 同情の意味で尋ねる。


「相変わらず叱られています」


 ドルニトリーが苦笑いを浮かべた。


「そうだろう。彼には神だってかなわない」


「いいえ、ユーリイ。あなたは上手くやっていました。今の大統領があるのはあなたの功績だ」


 彼は真顔で言った。


「それは買い被りというものだよ。彼は大フチン帝国復興の執念で大統領の椅子を手に入れた。だから、目的のためには何事も恐れない。必死で臨んでいる」


「そうですね。よくわかります」


 そんな言葉を交わしていると、次々と大臣たちがユーリイのもとに足を運んで握手を求めた。


 ユーリイはミカエル国防大臣の手を握った時、「作戦はうまく進んでいないようだね」と挨拶代わりに言った。その程度のプレッシャーはイワンの下では当たり前のことだったが、ミカエルは顔を強張らせ、逃げるように去った。


 大臣たちに続いて、諸国の首脳もやって来た。皆、社交辞令を言って自分の席に戻っていく。彼らは、イワンと親しいユーリイを無視できない。かといって、話しすぎて都合の悪い言質げんちを取られるのを恐れていた。


「一線を退いた者に気を使うことなどないのにな」


 席に戻る最後のひとりの背中を見ながら、ひとりごとのように言った。


「ユーリイ、あなたは今でも秘密警察の特別最高顧問です。大臣や各国の首長が恐れても不思議はありません」


 側で大臣たちとのやり取りを聞いていたドルニトリーが敬意をこめて言った。


「なあに、ただの肩書だよ。私はただの老いぼれだ」


「大統領のひとつ下だから、まだ62歳のはず。大臣や首長、議員の中にはあなたより年上の人間が沢山いて、バリバリ働いていますよ」


「人は生まれるのはゼロ歳で一緒だが、神に召される時期は様々だ。引退の時期を年齢で考えてはいけない。その時期は、本人にしかわからないのだ。だからこそ引き際が肝心だ。私は常々そう自分にいましめている」


 ユーリイは本心で言った。


「能力のある人は、それを社会のために使うのも大切なことではないですか?」


「だからそれは、君の買い被りだよ。君は百歳まで仕事をするといい」


 ドルニトリーの肩を軽くたたいて笑った。


 スピーカーから流れていたロック調の国家が消えて静寂が訪れた。


「おっと、そろそろ始まるようです」


 ドルニトリーが自分の席に戻り、ユーリイも腰を下ろした。ホットココアのカップを手にする。すでにそれは冷めて生ぬるくなっていた。


 ステージの後ろの幕が開き、ブルーのロングドレスに身を包んだ司会役のアイリスが現れる。30代半ばだというのに長い芸歴のためか、人気に支えられた自信のためか、風格が身についていた。


「皆さん、今日は来てくれてありがとう。テレビの前で見てくれていてありがとう!」


 満面の笑みを浮かべた彼女は、まるで自分のコンサートのように四方の観客に向かって手を振り、投げキッスを送った。それに観衆は歓声と拍手で、あるいは手にした国旗を大きく振って応えた。


「今ここに、平和維持軍支援全国集会の開会を宣言します!」


 アイリスがマイクをかかげるのとほぼ同時に、上空に空軍のエアロバティックス隊が現れる。――オォー……、スタジアムの内外から湧きおこる観衆のどよめきは地鳴りのようだった。


 アップテンポのBGMに合わせるように飛行機は轟音をとどろかせ、色とりどりのスモークを引きながら縦横無尽に飛び回り、真っ青な空に幾何学模様きかがくもようを描いた。


 曲技飛行は10分ほどで終わった。勇ましいエアロバティックス隊が飛び去ると、興奮した観衆の中にため息のようなものがサーッと広がる。BGMも消えて静寂が訪れた。


 それは長く感じられたが、実際はほんの数秒のことだった。静寂というこごえる空気にアイリスの叫び声が突き刺さった。


「愛国者よ。共に歌え!」


 観衆が空ばかり見ている間に、ステージにはロックバンドが準備を済ませていた。それに気づいた観衆がどよめく。


「フチン共和国よ、永遠なれ!」


 バンドのボーカルが叫ぶと、観衆が共鳴した。


 ――ウォー――


 ロックバンドは、彼らなりにアレンジした国歌を歌った。


 ユーリイの周辺では、国家にアレンジを加えるなど冒涜だ、と気分を害する者もいたが、スタジアムの雰囲気は全く違っていた。アレンジした国歌の方が若者の胸を打つようで、国威発揚こくいはつようという意味では効果的だ。


 国歌を歌い終えたロックバンドは、彼らのオリジナル曲を次々とかなでた。その様子はスタジアムのあちらこちらに設置された巨大なスクリーンにも映された。


 彼らは「愛国者よ。歌え!」「愛国者よ。祝え!」「愛国者よ。戦え!」などと、何度も絶叫した。観衆は立ち上がり、手を打ち、足を鳴らし、国旗を振ってボルテージを上げていった。


 こいつら、何を考えている? 何を知っている?……眼下の群衆がヒートアップするのに反比例するように、ユーリイの気持ちは冷めていった。


 ロックバンドの演奏の中頃から、スクリーンには平和維持軍の映像が挟み込まれた。彼らの音楽の勢いを借りるようにして……。


 列をなす戦車、自動小銃を構える兵士の顔、顔、顔……。青い空に白い雲をひく戦闘機の編隊、パイロットの顔、整備兵の顔……。それらがスクリーンを埋め、通り過ぎていく。


 突然、歌声が変わった。ロックバンドの攻撃的なものから、アイリスの澄んだ高い歌声に……。


 ユーリイはステージを見下ろす。赤いミニのドレスに着替えた彼女が身振り手振りも豊かにヒット曲を歌っていた。


 なんとも、寒そうだな。……ステージ上のアイリスに同情した。貴賓室と違い、ステージは外気にさらされている。


 スクリーンには長距離核弾道弾を含むミサイル部隊の車列……。白波をたてる機動部隊の雄々しい船団、暗闇の中に赤や緑の光が点滅するモニターが並ぶ戦闘司令室、モニターを真剣な眼差しで見つめる海軍兵士……。平和維持軍と呼ぶには強大すぎる破壊力を持った部隊の映像が流れた。

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