8

 駅から降り、走って5分ほどすると、遠目に河川敷が見えてきた。

 見た目はやたらだだっ広いだけのただの原っぱって感じで、手入れの足りていない芝生がまばらに広がっている。

 天気がいいので、平日だというのにそれなりに人が多い。

 カイトを飛ばして遊んでるオッサンたちや(仕事しろ)、親子連れもぽつぽついる。


 走りながらちらりと横を見る。

 それなりに急いだつもりだったが、トオルはまだまだ余裕そうだ。

 こいつ、確か科学研究部だって話だったけど、そういや出会った時には体操着だったし、ひょっとすると体を動かすのが好きなタイプなのかもしれない。


 かくいう俺は、走るのはあまり得意ではないが、剣道やら何やらで激しく体を使っていたので、この程度なら余裕。


 ――と思ったら、もっと余裕っぽい奴らが、原っぱのど真ん中で待っていた。


「……何じゃありゃ」

「……なんか、優雅ですね……」


 加賀と、そしてなぜかオッペンハイム卿が、豪奢なテーブルを前にくつろぎながらお茶ティーを楽しんでいた。


(……確か、割と切羽詰まった状態なんだよな?)


 加賀がこちらに気づき、カップを置いてヒラヒラと手を振った。


「来た来た。思ったより早かったね」

「……何やってんすか」

「うん。ちょうどキミたちの話をしてたところ。小林くんは……大丈夫そうだね」

「ええ、はい。別に疲れてはいませんけど……その」


 ハンカチで汗を拭いながら、トオルが暗い顔で返事をする。


「卿に聞いたよ。〈東京ブギウギ〉を発動できるようになったんだってね。すごいじゃない」

「まぁ、はい……でも、不完全ですし、その、多分ですけど、今のボクじゃ役に立てないんじゃないかって……」


 確かに、どこにすっ飛んでいくかわからん魔術じゃ、使い所は難しい。


 だが、そもそも蒐集家オッペンハイム卿のコレクションは、実用性度外視だ。

 いや、教えてくれないだけでもっといい魔術があるのかもしれないけど……。


 一体何が「飛行に一番近い」のかさっぱりわからん。


「それなんだけど、解決しそうだよ」

「えっ……!?」

「たしか、ベクトルを指定できないんだよね?」

「は、はい……」

「つまり――落下中の子どものところまで運良くたどり着く0%ってことになるね」


 悔しそうにうつむくトオル。

 やたら明るいいい天気の中、トオルの表情だけが暗い。

 しかし、加賀はヘラっと軽く笑って言った。


「なら、僕の〈サイコロを転がせTärningen〉が役に立つんじゃない?」

「「!!」」


 ――〈サイコロを転がせTärningen〉!

 確率をひっくり返す魔術!

 つまり、100% 起きることなら100%起き得ない。しかし、限りなく 0% に近い確率なら――ほぼ 100% 成功する!


 パッと明るくなるトオルだが、すぐに不安そうな顔に戻る。


「でも、たしか〈サイコロを転がせTärningen〉は一つの出来事に対して数秒しか影響しないって――」

「うん。でも『子どものいるところまでたどり着くベクトル』で〈東京ブギウギ〉を発動すればいいだけなら、1秒もかからないよね」

「そう……そうですよね!」


 トオルがグッと手を握りしめる。


「あ、でも……実はボクじゃキーを完全に取得できなくて、オッペンハイム卿に解決方法を教えてもらったんですけど、それにも色々制限が……」


 そう、トオルは〈東京ブギウギ〉のキーを不完全にしか取得できなかった。

 ゆえに、発動も出来ないはずだったが、欠け落ちた印象を埋め合わせるために、オッペンハイム卿がレコード版を持ち出し、かの名曲「東京ブギウギ」を再生したのだ。


 晴れて、キーの欠落は埋められ、トオルは〈東京ブギウギ〉を発動可能になった。

 ただし、発動範囲は「東京ブギウギ」が明確に聞こえる範囲――だいたい200メートル程度の範囲しかない。


 と、そこで黙ってお茶を楽しみながら食玩の箱をペリペリ開けるのに忙しそうなオッペンハイム卿が言った。


「曲が聞こえる範囲でしか発動できない点なら、私がどうにかしようじゃないか」

「本当ですか!?」

「忘れたのかね? いつでもどこでも良い音楽を鑑賞することに関しては、私は世界でも指折りの実力者である自信がある」

「「あっ!!」」


 ――初めて合った日の、ビル・エヴァンス!!


「ここでレコードを再生し、その音を常にトオルの耳に届けようではないか」

「!! 有難うございます! 加賀先輩、行けます! 子ども、助けましょう!!」


 トオルが満面の笑みで頷いた。

 加賀もにっと笑って頷く。


「決まりだ。じゃあどうする?」

「すぐに行きましょう! 子どもが手が届かない場所に行ってしまう前に!」

「それだけど、子どもの落ちる速度は少しずつ減速しててね。そのうち本来の重力に従って自由落下が始まると思うけれど、今のところは間に合いそうだ」

「きっとすごく怖い思いをしてます! すぐに行きます!」

「まぁとっくに気絶してるだろうけどね。早いほうがいいのは間違いない」

「じゃあ……」

「うん」


 加賀は笑って、言った。


「新しいオリジナル魔術を開発しよう」


 ▽


「「……は?」」


 思わず呆けた声を出してしまったが、誰も責められまい。


「と、〈東京ブギウギ〉で助けるんじゃなかったんですか?!」

「そうなんだけど、これだけ色々重なっちゃうと、術式が混戦してうまくいかない可能性もあるからね。新たなキーを生成したほうが確実だ」

「い、急いでいるのでは?」

「なに、あっという間さ。すでに事前申請は出してるから、キーを決めて、術式を融合マージさせればいいだけだ」

「き、キー?」

「なんなら、キミが決めていい」

「……!!」


 トオルが顔面を蒼白にして驚愕している。


 かくいう俺も驚いている。

 オリジナル魔術って、こんな気軽に作れるもんなのかよ!!


「キミが強烈に印象に残っている何かをキーにすればいい」

「ボクが、オリジナル魔術を……」

「まぁ、使い所がなさすぎるから、すぐに破棄される可能性もあるけどね」

「え、えっと……!」


 トオルが喉をゴクリと動かす。

 しかし、時間は刻一刻と過ぎていく。


「何でもいいんですか?」

「いいよ」

「他の人が、同じ名前を使っていたりとかは……」

「別にいいよ。名前が同じであろうと、キミのキーはキミだけのものだ」


 何しろ〈Happy Birthday to You〉なんて200近くも登録されてるしね、と加賀は言った。


 と、テーブルの上にはいつの間にか古めかしい蓄音機が置かれていた。

 もはやいちいち驚きはしない――オッペンハイム卿はまるでドラえもんのようにトートバッグから何でも取り出して見せるのだ。


 さらに、その上には分厚い EP 盤。


 くるくる回る。


 蓄音機の太い針が落ちる。


 聞き覚えのある音楽が、古いドーナツ盤独特の甲高い音で流れ始める。


 オッペンハイム卿が律儀にコールする。


「コール、〈電話線〉」


 トオルが「わっ!」と驚いた顔で耳を塞ぐ――トオルの耳に直接音が届いているらしい。

 オッペンハイム卿は「おっと、ボリュームを少し落としたほうがいいな」などと言いながら、どこからともなく取り出したタクトを振る。


 トオルがホっとした顔を見せると、次は加賀がコールする。


「コール、〈サイコロを転がせTärningen〉」


 見た目は何も変わらない。

 しかし、これからトオルが魔術を発動させれば、100% 落下中の子どものところまで一直線に飛んでいくはずだ。


 加賀が言った。


「あとは、小林君が好きなキーを登録すれば、いつでもコール可能だ」


 オッペンハイム卿が不快そうに鼻を鳴らす。


「……フン。こんなにも簡単に魔術を登録できるとは、管理者の職権乱用もいいところだ。私のような野良の魔術師からすれば、とんだチートだぞ」


 全員でトオルを見つめる。

 トオルは少し震えながら俺を見る。


「……先輩」

「いいじゃん。俺と違ってお前は魔術の才能があるんだ。せっかくだし――ぶちかましてやれ」


 俺の言葉に、何故かトオルは少しだけ顔を曇らせ、それからグッと顔を引き締めた。


「……先輩、ちゃんと見ててくださいね」

「ああ。もちろんだ」


 何しろ、俺にはそれしか出来ないのだから。

 しかし、トオルはフッと諦めたように笑い、空をキッと睨む。

 そして意を決したように言った。


「行ってきます。――――――コール!!〈Golliwogg's Cakewalkゴリウォーグのケークウォーク〉!!」


 ドッ、とまるで砲弾のように、トオルが斜め上方に弾き飛ばされた。


 はじめはワタワタと体勢を整えていたトオルだったが、そのうちに安定して、進行方向にむかって頭を向け、ものすごい勢いですっ飛んでいく。


 あっという間に見えなくなってしまう。



「……ケークウォークって……お前……」


 Golliwogg's Cakewalkゴリウォーグのケークウォーク

 ドビュッシーの組曲「子供の領分」の中でも、おそらく一番有名な曲だ。


 そして――。

 4年前。俺が中2の頃に、だぼだぼの Daniel Johnston の Hi, How Are You シャツを着て、ピアノコンクールで弾いた曲なのだった。

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