7

 翌日、部室に集まると、加賀から電話で連絡が入った。


『子どもが落ちた』

「!!」


 加賀の言葉はシンプルだった。

 俺とトオルは思わず顔を見合わせた。


「ど、どうなったんです?」

『残念ながら、目撃者が数人。そのうち一人は子どもの母親だ。ひどくパニックになっているし、落下以外の事故に差し替えるってのはちょっと厳しいね』


 それに、母親の気持ちを考えるとそんなことはしたくないしね、と加賀は言う。

 失礼だけど、こいつにそんな情があるのはちょっと意外だった。


『それに、まだ子どもは生きてる。気絶してるだろうけど、もし回収できたなら「幻覚だった」みたいな記憶操作だけでごまかせるだろうし』

「え、子ども、生きてるんですか?」


 トオルが慌てたように、オレの手からスマホを奪った。


「助けないと!」

『そうなんだけどね。残念ながら飛行魔術がない以上、どうしようもなくてね』

「オ、オッペンハイム卿に依頼して、座標を入れ替えてもらうとか」

『んー、卿に聞かなかったかい? 動いているものに対して座標を入れ替えるのは無理だ』

「……なら……」

『それに、オッペンハイム卿が人助けに力を貸すとは思えないな。だから小林君、キミが教わった魔術でどうにかできないかな』

「そ、それは……」


 トオルは青い顔をして言い淀んだ。


 トオルは確かに〈東京ブギウギ〉をアクティベートされた。

 上手くキーが定着せず、少々不安定ではあるが、一応魔術は発動するようになった。


 しかし。


「だ、だめです」

『なぜ?』

「教わった〈東京ブギウギ〉ですけど、飛行魔法じゃないんです……」

『らしいね。詳しくは知らないけど』


 っていうか、飛行魔法なんて今はもう存在しないけどね、と加賀はつぶやく。


「〈東京ブギウギ〉は、たしかに空を飛ぶことできます。でも、これは飛行魔法じゃないんです」

『んー、話している時間もちょっと惜しいな……とりあえず、ここまで来れたりする?」


 ピコン、と GPS 情報が送られてくる。

 ここからなら、30分もかからない。


「すぐ向かいますッ!」


 トオルはそう言うと、スマホをオレに返して、すぐに靴を履き始める。


「オレも向かいます」と言って通話を切る。

 まぁ、役に立たないかもしれないが、だからといって行かないという選択肢はない。

 するとトオルが言った。


「何言ってるんですか。あくつ先輩には大事な仕事があるじゃないですか」

「え、何?」


 二人して靴を履き終える。


「上手くいくかはわからないですけど……ボクをちゃんと見ててください。そして、できれば応援してください」

「なんだ、そんなこと。当たり前だろ」


 とりあえず、オレとトオルは走って部室を飛び出した。


 ▽


 これがラノベなら、それこそピューンと目的地へ飛んでいくか、そうでなくともバイクで駆けつけるところだが、残念ながら俺たちにそんな便利な手段ない。

 電車移動である。


 目的地は電車で数駅先にある河川敷だ。

 だだっ広い原っぱで、休みの日になるとそれなりに人が集まる場所だ。

 ありがたいことに今日は平日――それほど人目はない(と思いたい)。


 ガタゴト電車で揺られていると、トオルの手がうっすら震えていた。


「……怖いの?」

「え、あ、いや……」


 トオルは言い淀んで、


「魔術を使うこと自体はそんなに怖くないんですけど……」

「何よ?」

「こうしてる間にも、んですよね?」

「……そうだな」


 どうやら、トオルはもし助けられなかったら、と考えると恐くなったらしい。

 ……確かに、俺が当事者だったらやっぱり怖いだろう。

 というか、状況が訳分からなすぎて、俺は未だに単純に実感が湧いていない。


「あの魔術――〈東京ブギウギ〉じゃ、助けられないんじゃないかって……」

「そうだなぁ……」


 ――〈東京ブギウギ〉

 トオルがオッペンハイム卿から受け取った魔術は、飛行魔法なんていう都合のいいものではなかった。

 むしろ逆……のだ。


「落下にぶつけるには落下が最適だろう?」というのがオッペンハイム卿の言だが、そもそも落ちるというのは状態だ。

〈東京ブギウギ〉は、そのだ。

 しかもそのベクトルはコントロールが不可能、つまり、どの方向に落ちるかは完全にランダムである。


 なにしろ、初めて発動させた時、トオルは

 オッペンハイム卿のコレクション、拘束魔術〈サバの女王La reine de Saba〉がなければ、トオルは何かに激突するまですっ飛んでいっただろう。


 それから何度も〈東京ブギウギ〉をコールしたが、トオルは単純に想定外の方向にふっ飛ばされるだけだった。

 とてもではないが、空へ落下する子どもを捕まえるなどという精密な動きは不可能だろう。


 さらに。

〈東京ブギウギ〉のキーのオリジナルはすでに失われている。

 なんでもこの魔術が魔術院に登録されたのは40年も昔の話で、登録したおっさんはすでに死亡――それもこの魔術によって空へ落下して行方不明になったらしい。


 すなわち、昭和の大昔のおっさんの印象キーを受け取ることになるが、残念ながら現代っ子たるトオルの脳ではそれを受け止めきれず――結果、コールだけでは魔術を発動させることができなかった。


 ではどうするか。


 そこは、さすがは蒐集家、飛行に一番近い男、オッペンハイム卿。

 あの情緒がバグりまくった貴族の機転で、トオルはなんとか〈東京ブギウギ〉を発動させることができるようになった。


 だが、その方法というのが……


 ▽


 横を見ると、トオルは震えを抑えるように、ギュッと手を握りしめている。


「……あんま気負うなよ。助けられる可能性は低いかもしれないけど、それはお前のせいじゃない」

「……そうでしょうか……」

「そうさ。1%でも助けられる可能性を上げるために努力ができるお前を、俺は尊敬する」


 なにしろ、俺なんてそもそもキーを受け取ることすらできないんだからな。


「先輩……」

「俺じゃ何にも役に立たないんだ。でもお前は何度もぶっ飛ばされながら、飛ぼうと頑張ってたじゃん」

「……先輩だって……」

「ん?」

「先輩だって、頑張ろうとしてくれたじゃないですか」

「……そうだなぁ……」


 実は、何度もあらぬ方向に弾かれるようにぶっ飛ばされ、吐きそうな顔でぐったり疲弊しているトオルを見て、俺も覚悟を決めて、オッペンハイム卿に「俺もやる」と申し出た。


 しかし、俺はそもそもキーを受け取ることはできなかった。

 自分の中にある〈東京ブギウギ〉に対する印象――まぁ、それがどんな曲だろうが、映画だろうが、人の印象に侵されること自体に酷く抵抗はあるが、それでも受け入れる覚悟はしたのだ。


 なのにこの体たらく。


 オッペンハイム卿曰く――潜在意識が自動的に拒否しているのだろうとのことだ。


 魔術の世界では、潜在意識は表に出ている自意識――つまり顕在意識なんかよりもよほど重要なんだそうだ。

 つまり、俺がどれだけ頑張ったところで太刀打ちできないらしい。


 要するに俺にはってことで――自分の才能のなさに向き合うことには慣れっこのはずの俺も、さすがに打ちのめされたような気持ちになった。


「先輩はそんなことしなくていいんです」――などとトオルが言っていたが、この女子みたいな見た目の華奢な後輩が死にもの狂いで頑張っているというのに、見ていることしか出来ないというのは少し……いや、かなりキツイ。


「お前は偉いよ。マジで心から尊敬する」

「……いいえ、それはただ、ボクが自分の中にある印象や感動に対する執着があまりないというか、薄っぺらい人間なだけなんです」

「薄っぺらいって……そんなこたねぇだろ」

「……ありますよ。ボクは先輩と違って、音楽だって流行り物しか知らないし、演奏だって出来ないし」

「別にそれでいいじゃん、何が駄目なのよ」


 趣味に貴賤はない。

 音楽や映画、その他すべての作品にもだ。

 何もかも、単に好みの問題だと思うのだ。

 流行り物を好もうが、マニアックなものや古いものを好もうが、そこに違いなんて何もない。


 でも――たまにいるんだよな。

 人と違うものを好むことで、他人より上等な人間になったような気になるやつが。

 そういうやつに限って、自分の好みに近いものを「センスがいい」と言ってのけたりする。

 おれは「それ、自分の好みに合っただけだろ」と思ったりする。


 そういえばオッペンハイム卿も「サブカルチャーはくだらん」とか言ってたな……。


 そんなことを思っていると、トオルがポツリと言った。


「……中学生のとき、先輩の演奏を聞いたことがあるんです」

「は? え、いつ?」


 え、何? こいつそんな前から俺のこと知ってたの?

 てっきり高校に入ってから、何ならゴス双子に襲われたときまで初対面だと思ってた……。


「……ピアノ習ってる友達がいて、コンクールに出るっていうから応援に行って」

「ふうん?」

「そしたら、前年の優勝者だった阿先輩がエキシビションで出てきて」

「え」

「そこで初めて、先輩が演奏してるのを聴きました」


 なんと……。


「どれだろう……そういうのは何度かあったけど」

「えっと……みんなちゃんとした舞台衣装を着てたのに、先輩一人だけ普段着みたいなTシャツでフラッと舞台に上がってきて」

「それ、どんなTシャツだった?」

「なんか、変なカエルみたいな絵の……」

「あ、ああ〜、多分4年前だ」


 あの時はだぼだぼの Daniel Johnston の Hi, How Are You シャツを着て行って、後で実行委員会から「ちゃんとした衣装を着ろ」って叱られたんで、よく覚えてる。


「あのときの先輩は……」

「……もういいだろ」


 俺は、ちょっとだけキツめの口調でトオルを止めた。

 なんだか、昔の自分の嫌な部分を思い出されて。


 あの頃の自分のことは、あまり思い出したくない。


 ちょうど電車は目的の駅に到着しようとしている。


「ほら、着いたぞ。加賀先輩が待ってる」

「……はい」


 見れば、トオルの顔はうっすらと笑って見えた。


 手の震えは止まっていた。

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