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 歴史上には、不思議な力を持つものがたびたび現れる。


 わかりやすいところで言えば、海を割って見せたモーセや、水の上を歩き、病人や障碍者を癒し、死後には復活したイエス・キリスト。

 

 日本の歴史も、神話時代まで遡れば、神通力を持つ存在が当たり前に闊歩している。


 世界に目を向ければ、ブロッケン山の魔女のサバト、歴史に名を残した魔術師や錬金術士の存在など、不思議な存在は枚挙にいとまがない。


 言うまでもなく、現実ではない。

 きっと、当時の人たちは、理解できないことを、神秘的な出来事だと受け取ったのだ。


「いやいや、阿くん。それは早計だね」


 と、加賀は言った。


「すべてが史実なのかといえば、ま、もちろんそんなことはないけどね。でも、今に伝わる不思議な出来事は、かなりの割合で現実に起きたことだ」

「なぜそんなこ断言できるんですか?」

「ログが残っているからさ」


 例えば、モーセの出エジプト。

 実際にモーセは海を割ったのだという。


「現在、モーセの軌跡はある程度判明していて、途中の海では、満潮時には渡れないけれど、干潮時に歩いて渡れるような『陸繋砂州』と言われる場所も見つかっている」

「それって、海を割ったとは言えないのでは?」

「それも辻褄合わせさ。ログによると、モーセは確かに海を割った。映画さながらの大スペクタルだったろうね。モーセは、本物の管理者だ。だからそんな大規模な奇跡を起こすことができた」


 しかし、物理法則のアップデートにより、同じ奇跡は起き得なくなる。

 海を割った奇跡は、いつの間にか自然現象に取って代わられる。

 つじつまがあわされる。


 その昔、物理法則にはそこらじゅうにほころびがあったという。

 ほころびを見つけた者もたくさんいた。

 彼らは世界のバグを利用し、物理法則の穴を突いた。

 その行為を、魔術、魔法という。


「現代は、もうほとんど物理法則は完璧だ。ごくごく稀にほころびが見つかることがあるが、大抵は勝手につじつまがあわされる。だから、現代にはほとんど魔術師はいない」

「アップデートされたからですか」

「そうだ。小さなほころびなら、小さなパッチが当てられる。今なお残る小さなほころびは大抵、科学者が見つける。でも、しばらくすると科学者自身によってつじつまがあわされるのさ」


 むしろ、魔法を使うのは、魔術師ではなく、科学者だよ、と加賀は言う。


「大規模アップデートは、かなり稀だ。そして、失敗することはありえない、ほとんどね」

「過去には、アップデートに失敗した例があるんですか?」


 これはトオルによる質問だ。


「ある」


 と、加賀は答える。


「ノアの箱舟がそうだ。あの時代には、魔術師はありふれた存在だった。彼らが好き放題した世界は、もうつじつまを合わせることもできなくなった。何度もアップデートをかけたが、失敗した。だから、――世界はあの時一度、フォーマットされたのさ」

「フォーマットって……えっ、初期化ってことですか」

「そう。数人の人間と、動物の一部を残して

「…………」

「…………」


 ゾッとした。

 さすがに、加賀のホラだと思いたい。

 思いたいが……あのアラートを見てしまった以上、冗談だとは思えなかった。


「……あ、あの、質問なんですけど」

「なんだい?」

「今回のアップデートの失敗で、もしかして世界がフォーマットされちゃう、なんてことは……」


 トオルの言葉に、加賀はうん、と頷く。


「絶対にありえない、とまでは言えないね」

「マジすか」

「その場合、どうなっちゃうんですか?」

「ごく少数の人間を残して、地上を更地にしちゃうんじゃないかな。地球温暖化とか取りざたされてるし、あとはほら、核戦争とかさ」


 冗談じゃないぞ、おい。


「アップデート失敗の原因って、人為的だって言ってましたよね」


 トオルは怖くなってきたのか、自分の体を抱きしめるようにする。

 その顔色は良くない。

 そりゃあそうだろう。たぶん俺の顔だって青いはずだ。


「ああ、少なくともはそう判断したみたいだ」

「犯人……捕まりますかね」

「それは、難しいだろうね」

「なぜですか?」

「ログが消されているからさ」


 ログが? 世界の?


「それじゃ、もう過去のことは、何が正しかったかわからないってことですか」

「いや、消されたのは、ここ15〜6年ほどのログの、それもごく一部だけだそうだ。それでも……犯人が自分の痕跡を消さない可能性は限りなくゼロに近いだろうね」


 15年と言えば――俺が赤ん坊の頃から今までのログがないってことか。


「いやはや、困ったことをしてくれたもんだよ。どこの誰だか知らないけどさ」


 そう言って、加賀は大袈裟に嘆いて見せた。


「僕たち、野良の管理者も、この件で上へ下への大騒ぎさ」


 管理者。

 世界というシステムに対し、管理者権限を持つ者。


 それは、すべてが正規の存在とは言えず、むしろ。


「その大半は、非正規に、不正に管理者権限を手に入れた者だ」

「不正に手に入れられるもんなんですか」

「そう簡単ではないけれどね。例えば、魔術師の家系というのがある」

「家系……ですか」

「そう、家系。まだ物理法則が万全でなかった頃に、システムの裏をついて管理者権限を奪った家系。権限は、闇から闇へと……まぁこの場合は子孫へ受け継がれる」

「取り上げられたりしないんですか? そんなの、危ないじゃないですか」


 あの双子みたいなのがまだいるってことだろ?


「もちろん、発覚すれば権限は剥奪される。それどころか、かなり厳しいペナルティがあるみたいだよ」

「でも、実際にこの前みたいなこともあるわけですよね?」

「加賀さんも、気づいてたけど放っておこうとしてたって、言ってたじゃないですか」

「まぁ、ぼくも半分は非正規だからね。といっても、一応バレても剥奪されるわけじゃない。なんというか、孫請けみたいなものでね。だから、いちいちあんなのを相手にする気はないってわけ」

「彼らも、魔術師の家系なんでしょうか」

「違うんじゃないかな。たぶんアレは、ハッキング的な手法で奪った手合いだよ」

「そんなことまでわかるんですか?」

「スクリプトに関数名が当たってなかったからね」


 なんだか難しい言葉が出てきた。


「古い魔術師の家系では、通常呪文が使われる。管理者権限で、物理法則のメンテナンスモードを起動したり、一時的に機能を止めたりね」

「彼らの場合は?」

「呪文を介してスクリプトを発火させず、直接物理法則を書き換えていた。コンピュータで言えば、プログラム言語を使わず、0と1を直接書き込んでいるようなものだ。あれでは非効率的だ。その分、制限なくどんなことでもできるメリットはあるけどね。彼らの場合超々高速詠唱プログラムを自身にインストールすることでそのデメリットを最小限に抑えているんだろう」


 そう言う加賀は、どうなのだろう。

 加賀も魔術師――加賀自身の表現を借りれば「管理者」だ。

 つまり、魔法が使えるということなのだろう。

 ガラスが割れまくり、ホルマリン漬けが飛び散る、滅茶苦茶な状態の校舎を一晩で元どおりにする程度には。


「僕かい? まぁ、そうだね。使おうと思えば使えるけれど、普段は使うことはないかな」

「何故ですか?」

「だって、物理法則を歪めてまで何かを実現してさ。そのあと、そのほころびを誰が修正するんだい?それじゃ、ただの二度手間だ」


 移動したければ、飛んだり瞬間移動したりしなくとも、二本の足で歩けばいい。

 ものを宙に浮かしたりしなくても、手で持ち上げればいい。

 魔術を使ってまで実現したいことなんて普通はないし、したいことは、魔術に頼らずにできる。


「だいたいさ、実現したいようなことがあったとして、それを実現するのは、魔術じゃなく、科学であるべきじゃないかな」

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