落下 ―H Effect―

1

 その地方都市のショッピングモールは、期間限定のイベントで賑わっていた。

 普段はだだっ広いだけの広場に、今だけはフードカーやら大道芸人が集まっており、家族連れを中心にかなりの人出だ。


 クレープ屋の横では、バルーンアートを音楽似合わせて軽快に見せる芸が披露されており、子どもたちは作ってもらった風船の剣でチャンバラをしたり、はたまたプードルを作ってもらった女の子が目をキラキラとさせている。


 天気がいい。

 きゃあきゃあと笑い声が聞こえる。

 行き交う人々の表情も、みな一様に明るい。


 ぷかぷか浮かぶヘリウムの風船もある――ヘリウムが高騰している中、今どき珍しい。

 1000円以上もするお高い風船ならともかく、近年は紐の代わりにプラスチックの棒がついた浮かばない風船が主流だ。

 無料で配る風船にヘリウムを使うとは、随分と思い切ったことだ。


 だがその分、子どもたちは大喜びだ。

 宙に浮かぶ風船が珍しいのか、青空に映える赤色の風船をもらった少年は嬉しそうに駆け出す。


「あっ?!」


 少年がなにかに躓いて転びそうになり――しかし転ぶことはなかった。



 少年は――風船と同じようにふわふわと



 得体のしれない状況に恐怖した子どもが「ギャッ」と悲鳴を上げる。

 それを見ていた母親も子供に駆け寄り、慌ててしがみついた。


 しかし、母親もふわりと宙に浮かんだ。


 まるでヘリウム入りの風船みたいに。


 母親はそれでも子どもを離さない。

 何やら叫びながらバタバタと足を動かして何とか地上へ戻ろうとするが、全くの無駄だった。


 風船を渡した店員もそれに気づき、慌ててそれを引きずり下ろそうとする。

 しかし、じわり、じわりと二人が宙に浮かんでいくのを止めることができない。

 すわ、店員の足も地面から離れるかと思われた。



 ――⠙⠏⠉⠪ザザザ、⠸⠹ザ、ザザ⠸⠹⠜⠝ザ⠏⠉⠪ザザ⠃⠄⠙⠞―― 



 泣きわめく子どもがパッと風船を手放すと、風船はどこかに飛んでいった。


 子どもと母親、そして店員も、まるで何ごともなかったかのように地面に立っている自分に気がついた。



 一体、何だったのだろうか?



 つい目を細めてしまいそうなほど、馬鹿みたいに明るい日差しの中、目撃者はほんの数人。それはまるで白昼夢のようで――まるで現実感がなかった。


 子どもも含め、すべての人たちは、ただの気のせいだったのではないかと結論づけた。

 集団ヒステリーとかいう便利な言葉もあることだし。

 その場にいた全員が一瞬奇妙な夢を見たということで――ようするに、とてもつまらない形で片がついた。


 ▽


「……どうするんだコレ……」


 加賀かががつぶやいた。

 珍しく頭を抱えている。


 場所は華道室。


 メンバーはいつも通りで、部長の加賀かが 義照よしてる、オレことあくつ 千里せんり、そして小林こばやし とおるの三人だ。


 といっても、オレとトオルは部員というわけじゃないけれど……。


「どうしたんですか?」


 トオルが訊ねると、加賀はキュッと眉間にシワを寄せた。


「人が、事件が立て続けに起きてる」

「……は?」


 思わずアホっぽい声が出てしまった。


「どういうことですか?」

「見てないから、詳しいことはわからないけどさ。人が宙に浮かんで、そのうち少しずつ加速しはじめて……しまいには落下するみたいに空に消えていくらしいよ」

「「?!」」


 なんじゃそりゃ!?


「え、それってどうなるんですか?」

「どうなるって……死ぬでしょ、そりゃ」


(えええ……)


 オレとトオルは絶句して、顔を見合わせた。


「それでも、数件は未然に防いだ」

「防いだ、とは?」

「うん。他の管理者が『人は宙に浮かばない』ことをさせた」


 ……うん?


「確定させたってのは、どういうことです?」

「浮いたように見えただけで、実は浮いていない、ということで事実認定したってことだよ」

「……じゃあ、それでいいじゃないですか」


 よくわからんけど。


「だが、数が増えてきているんだよね」


 加賀が面倒くさそうにため息をつく。


「そのうちに、法則のほころびが周知されるかも」

「周知されたらどうなるんです?」

「目撃者が多すぎると、。つまり――宙に落ちる科学的な理由が必要になるね」

「はぁ……」


 そんなもん、ありうるのか?


「『重力』は難しい。これまでも、いくつもの重力異常スポットをトリックに差し替えてきた。ほら、聞いたことないかな。えっと、たとえば……『オレゴンの渦』とか有名だよね。聞いたことない?」

「あ、ボク聞いたことがあります。え、でもあれってトリックですよね?」


 オレも聞いたことがある。

 街をあげて、観光化したとかなんとか――。

 実際のところは知らんけど。


「そうだね。トリックだよ」

「ですよね」

「具体的には、トリックと差し替えたんだけど」

「「?!」」


 もしかして。


「じゃあ、昔は……トリックじゃなかった……?」

「うん、らしいよ。昔は重力異常スポットは世界中にありふれたものだったっていうね」

「そうなんですか?!」

「ええ……マジか」

「といっても、現実を確定させたのは僕が生まれるずっと前らしいから、詳しいことまではわかんないけど」


 ということは、重力異常は実際にはあり得る……いや、あり得たわけか。


「へ、へぇ……??」

「でも、重力波が検知できない以上、取り扱いが難しいんだよね。適当に変な理由をつけちゃうと、将来ものすごく困ったことになったりもするし」

「あれっ、重力って、検知できないんですか?」

「普通に測りとか使ったら行けそうな気がするんですけど」

「キミら質問が多いね……」


 加賀は面倒くさそうに、ちょっと肩をすくめた。


「それは重力の影響を測ってるだけだ。重力が何なのかが現代科学で解明されていない以上、そこに例外をぶち込むと将来にわたって重篤な影響が出る可能性が高い」

「な、なるほど……?」

「いや、よくわからん」

「今は、未解明ってことで科学局と話がついてるし、『本当は重力なんて存在しない、あるように見えるのは結果である』とか『時空の歪みである。ただし時空が何なのかは未解明』みたいな感じで留めてるらしいよ」


 いや、重力が何なのかよりも、もっと重要な問題があるだろ。


「で、話は戻しますけど、……死んだ人がいるんですよね?」

「うん。酔っ払いが一人と、自殺志願者が一人、

「……それで、どうなったんです?」

「酔っぱらいは周回軌道に乗って永遠に酔っ払ってるし、自殺志願者は最終的に落下して無事みたいだね」

「「うわぁ」」


 思わず声を上げてしまった。


「自殺志願者のほうは、本当は街のど真ん中に落ちたんだけどね。海に落ちたことにしたらしいよ。でないと『どこから降ってきたんだ』ってことになっちゃうし」


 加賀は「落ちた」のところでぱっ、と手を開いて見せる。

 不謹慎だろ、それ……。

 それに――。


「……気軽に現実を改変するの、良くないですよ」

「気軽とは、これまた気軽に言ってくれるね」

「でも、落下事故が増えてるんですよね?」

「そうなんだよね……困ったもんだ」

「これが増え続けると……?」

「まぁ、やばいだろうね」

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