9.アラン様の動悸

 早速エステル様の体に布を当てて仮縫いをし、帰る頃にはすっかり深夜だった。布やそのほかの材料はアラン様が持ってくれている。

 貴族のドレス一着に使う布の全体量はだいたい十一、二メートルだろうか。絹だし、切らない分、結構重いのだ。庶民の服なら三着はできる。


「今日は突然すまなかった」

「いえ、斬り捨て御免じゃなくて良かったです。あと、アラン様って妹さん思いなんですね」

 てっきり仕事一辺倒かと思ったら、家族にやさしいなんて。次元が繋がっていたら、うちの使えない兄にも爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。まあ、どこにいるかもわからないけど。

 アラン様は険しい顔になり、ふいっと顔を背けた。

 ふふ、そんな顔したってアラフィフにはもうお見通しですよ。怒ってるわけではなくて、照れてるんですよね。


「……俺がもっと要領が良かったら、あんな苦労をさせないんだが」

 アラン様は、ぼそっと呟く。

「もうちょっと愛想良くして、コネ作りに励むってことですか?」

「……まあ、そうだ」

「でも、そしたらアラン様が苦しくないです? エステル様もそれがわかってるから、なんとかご自分で頑張ろうとしてるんだと思いますけど」

 縁故入社なんて、結局あとが大変だしね。


 店には色んなお客様が来るから、王宮の話も小耳に挟むけど、いろいろと派閥があって面倒なのだそうだ。そんな中で、訓練に夢中で食事も忘れてしまうような一徹男アラン様が、うまく立ち回れるとは思えない。


 私というお針子を見つけて、妹さんに世話しようと思えただけでも充分頑張っているんじゃないだろうか。まあ、できれば最初から事情を説明して欲しかったけど。

「だいたい、この世の兄という生き物なんて、妹をいじめるわ蔑むわ、借金のカタに売り飛ばすわ、もっとアレですよ?」

「そういう知り合いでもいるのか?」

「ええ、まあ」

 ちょっと五十六億七千万回ほど、読んだだけですけど。

 いけないいけない。余計なことを突っ込まれないよう、私は足を進める。


「アラン様はそのままでいいです」

 だって、キャラ設定変わっちゃうもの。〈一見無愛想で恐れられてる近衛騎士、でも実はシスコン〉なんて属性最高だから、是非ともそのままでいて欲しい。

「私はそのままのアラン様が(キャラとして)大好きなんで!」


 どさ、と物音がした。

 ふり返ると、アラン様が荷物を足下に取り落として、立ち尽くしている。私は慌ててアラン様のところまで駆け戻った。

「すみませんアラン様、重かったですよね? ランタンも持っていただいてるのに」

「いや……」

「私、持ちます。私の仕事のものだし」

 布だけじゃなく、細部を見るために仕立てあがったドレスも借りたから、本当に結構重いのだ。

「いや、いい。ただ、少し――動悸が」

「動悸?」

 それはいけない。

 突然の動悸・息切れ・めまい、結構きついんだよね。こっちの世界に命の母的なものってあるのかな?

 あれ、でも、アラン様ってまだ二十代だよね。男性だし。それで動悸って。


 もしかして――よくない病気!?


「アラン様、あとは自分で運べますから、なにか深刻な病気かもしれないんで、今すぐお医者にかかってください!」

「いや、いい、そういうのでは、ない」

 アラン様は言うことを聞いてくれない。これだから若者は。

「そういうのじゃないって、どうしてわかるんですか!」

 人間、ちょっとおかしいなと思ったらすぐに病院にかかるくらいでちょうどいいのだ。君も中年になればわかる。

「――わかるからわかるんだ」

 アラン様はちょっと言葉を詰まらせたあと、かたくなにそう言い張った。

「素人判断良くないですって! ほら、荷物かして!」

「大丈夫だって言っているだろう!」

「だから――」


 押し問答していると、どこかの家の窓が開く音がした。

「うるさい! 今何時だと思ってるんだ! 痴話げんかはよそでやれ!!!」


 どこかから飛んできた怒声に、私たちは我に返った。

「痴話げんかじゃないのに」

 とはいえ、ここで話し込んでいるのはたしかに迷惑だ。

「――行くぞ」

 アラン様が荷物を持って、どんどん歩いていってしまう。

「あ、待ってくださいアラン様。明日本当にお医者にかかってくださいね?」

 アラン様はそれには答えず、ただただ不機嫌そうにずんずんと足を進めた。


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