第4話 心の誓い

「あ、やっほー司馬くん、早いんだねー今日は。お姉さん感激だ」

「……こんにちは、えむさん」


次の日、昨日より少し早くえむさんの部屋に到着すると、すぐにえむさんが顔を出した。僕の顔を見るなりぱあっと表情を明るくする。


「もう準備はできてるよー。早速始めようかっ、よろしくね!」

「は、はいっ」


部屋に上がらせてもらうと、昨日と同じく汚部屋が視界に飛び込む。思わず片付けたい衝動に駆られるが……


「? どうしたの、司馬くん?」

「あ、なんでもないです」


そうだ、これはアルバイトには入らない。別に僕は、えむさんの掃除屋さんとして雇われたわけではないのだ。

僕は手を洗おうと、お手洗いの場所を聞く。と、えむさんが目を丸くし、


「え、手洗うの?」

「はあ?」


今度は僕が目を丸くすると、えむさんは慌てたようにして笑みを浮かべる。


「あ、なんでもないよ、そうだよね、他人の家に入ったら手を洗う……うん、常識だよねー」

「……」


本当に常識だと思ってるのだろうか、と怪訝に思っている僕の背中を押し、えむさんはお手洗いの場所を教えてくれた。


僕はお手洗いで手を洗い、その後えむさんの後に続いて撮影室へと入った。


「うおう……!」

「どお? 私なりには頑張って飾ったんだよー?」


部屋中に飾られた、紫色のライト。部屋の真ん中に設置されたテーブルには、十個ほど、丁寧にムーングミが並べられている。


「ムーングミ、かわいいでしょー? 半月の形をしてるのもかわいいし、何より紫色のなのがかわいくってー」


流行るのも当然だよねー、とうんうん頷きながらもえむさんが語る。


動画を漁っているとよく『おすすめ』に出てくるだけあり、ムーングミはかなり流行っている。

中にはミント色のジャムが入っていて、咀嚼音としても完ペキな気がする。これなら視聴回数も稼げるのではないだろうか。


「そ、れ、と! 今日の服装に何か、コメントはないのかな?」

「……合わせたんですね」


でーんと胸を張るえむさん。着ているパーカーの胸元が破れないかつい不安になる。


藤色のパーカーに、ブルーの地のミニチェックスカート。スタイル抜群なので、物凄く似合っている事実は否定できない。

それに、全体的に寒色のメイク。頬には、お月様がラメで描かれている。


「んー、褒め方、十点! もっと褒めてよー」

「……」

「もー」


僕が無言を突き通すと、えむさんはすねたようにして唇を尖らせ、仕方なさそうにスマホをセットしにいく。

……なんだか、昨日とテンションが違いすぎて困るんだが?


「はーい、準備おっけー。司馬くん、イヤホン片方あげるよ」

「へ?」


カメラや照明などを調節した後、えむさんはスマホと繋いだイヤホンを片方渡してくれるが……なぜに?


「えー、知らないの? イヤホンつけないと、音がわからないでしょ?」

「そうなんですか」


イヤホンを片方耳につけ、カメラの画角に入らないようにし、僕は静かに正座する。


「じゃ、始めるよー……」

「待ってください、確認なんですが」

「へ?」


念のため、そう念のため、僕は恐る恐る質問をする。


「……手、洗いましたよね?」

「……と、トイレ、行ってこようかなー」


ぞぞぞぞぞっと背筋が凍る。まさかと思ったが……、そのまさかだとは。


「まあ、手は、洗ってたんだけどねー! トイレに行くだけだからね?」

「はいはい」


変なプライドはさっさと捨ててほしい。でないと、これからが不安だ。


しばらくしてえむさんが帰ってき、ようやく場が整う。えむさんは胸をどかっとテーブルに乗せ、すう、と息を吸った。


「……よし」


途端、空気が変わった感覚にとらわれる。僕が息を呑む中、えむさんはゆっくりと唇を持ち上げる。


「じゃ、始めるよー……こんにちは、すずえむあーるの、えむでーす♡ 今日は、ここにならぶ、ムーングミを、たべていきたいと思いまーす」


「……っ!?!」


途端、ぞわぞわぞわっと脳が震え、危うく声が出かける。イヤホンを付けていないもう片方の耳から、生の囁き声が聞こえ、さらに心臓が跳ねる。生の囁き声って、こんなにも違うのか……!?


その反応を楽しんでいるのか、えむさんは嬉しそうに微笑む。やばい、かわいかった。

いや、雇い主に見惚れるとか、そんなバカなことあってはならないな……と意識を慌てて戻す。


「むーんぐみ、なにげに初めてたべるんですよー。おいしそうだよねー! そういや、月といえばー……はっ」


僕の冷たい視線に気づいたのか、だらだらと雑談に入りそうになるえむさんがぎょっとする。

雑談は短いほうがいいからな。ASMR目的の視聴者を獲得できるし、メインに集中した方がいいだろう。


「……えーと、では、今日は早いですが、ASMRに移りたいとおもいまーす。では、今日も、あなたがいい夢を見られますように……♡」


確かに、囁き声はいい。

が……やっぱりどこか、身が入っていない気がする。昨日のことはさっきから全く触れていないが、やはり引っかかるのだ。


「……よしっ、カット! ASMRに移るよー」

「りょ、了解です!」


我に返り、僕は急いで答える。

そして改めて、ASMR配信者のアシスタントなんていう事をしているのがすごく感じてくる。


「よし、行くよ……ではぁ、いただきまーす……!」


はむ、とムーングミにかじりつくえむさん。柔らかいグミだからか、ビヨーンと伸びる。


「……!」


咀嚼音が始まった途端、ASMRに免疫のない僕は、思わず立ち上がりかける。


グミをかみしめ、舌で味わう音。グミを飲み込む音まで、雑なようであって、物凄く上品。片耳しか聞いてなくても、ぞわっとする音だ。


えむさんは、テーブルに十個ほど並ぶムーングミを、バランスよく手前から取って食べていく。


三つほど咀嚼した後、えむさんはソーダを出し、コップに注ぎ始めた。しゅわしゅわという爽やかな音が、耳を、脳を刺激する。


えむさんはコップに口を付け、ごくん、ごくんと飲み込む。その音が、また脳を痺らせる。


「っはぁ……」


飲み終わり、コップから唇を離す音まで、なんだかえっちでドキドキさせてくる。その後に小さく漏らす吐息も、心臓を持っていかれそうだ。


そんな中えむさんは、次のムーングミを口に入れ、ゆっくりと噛み始め――


「……んー、違うな。ここ、カット!」

「うぁっ」


急に地声がイヤホンに響き、僕はびくっと身を震わせた。


「え、カットって……」

「なんか音がイマイチなんだよね。どうしよ、しゅわしゅわするラムネと一緒に食べようかな」

「え……」


えむさんはがたんと立ち上がり、ラムネを取りに行ってしまった。と思ったらすぐ帰ってきて、新たなムーングミを一つ足してきて、画角を確認し始める。

素人の僕からしたら、完ペキな音だったのだが……?


「じゃ、始めるよー」


そう言って、えむさんはラムネをグミにふりかけ、咀嚼を始める。


「……ドリンクが足りないな。足そうかな? カット」

「もっと見栄えをよくしたいから、このムーングミには飴を絡めようかなー……ここカット!」

「あー、ここはもっと口を開けて食べたほうがいいかな? カットー」

「アラザン振りかける音も撮っときゃよかった……んーよしっ、撮り直しっ!」


「……」


僕は口を挟む余地もなく、ただ唖然としてその様子を見ていた。

たった二十分ほどの動画を撮るのに、すでに一時間半は経過した。さらに撮り直しで、少なくとも六つは追加でグミを食べている。


動画を撮り終わったのは、二時間後のことだった。



「ごちそうさまでした……ふぁあああぁあっ、完成だあ! ってあれ、司馬くん顔死んでるよ?」

「お、お疲れ様です……」


見ているだけでへろへろになる僕。そんな僕に、えむさんはぐいぐいと寄ってくる。


「どう? ドキドキしちゃったでしょー?」

「いや、まあ……」


やはりどこか、身が入っていないように感じたのだが……とにかく、疲れた。

撮っている側のえむさんなんて、もっと疲れているに――。


「あー楽しかった、視聴者ちゃんの反応が楽しみだー! さて、編集編集っと」

「いっ、今から編集ですか!?」


僕が目をむくと、えむさんは開いたパソコンに向かいながらもちょこんと頷く。まじか!? もう二時間は動画を撮影してたのに!?

僕は反射的に口を開いた。


「な、なにかできることはありませんか?」

「確かに、五千え……んんっ、そうだね、アシスタントの意味がないもん……じゃあ、水、入れてきてよ。後、スマホの充電コード。どっかにあるからさー」

「分かりましたっ!」


それからかれこれ一時間、えむさんが編集を終えるまで、僕はせっせと雑用をこなしていった。




★★★




「完了っと……ふああーっ、疲れたあー!!」



編集内容を保存し、動画の予約投稿を済ませた途端、えむさんは地面にゴロンと転がり伸びをする。

その拍子に、ミニスカートからはだけた太ももがばっちり視界に映ってしまい、僕は真っ赤になって顔を背けた。


「司馬くんのえっち」

「ちっ、ちが!!」


と、見てしまったのがバレたらしく、えむさんがいたずらげに笑いかけてくる。しかしこれは、こんな場所で無防備に転がるえむさんが悪い!!

むくれる僕を見て、不意にえむさんがこちらに寝返りを打った。


「ねえ、司馬くんって、意外とかっこいいよね」

「はぃ!?」


甘えたような声を出し、えむさんが床に転がったまま僕を見上げてくる。僕は真っ赤になり、口をぱくぱくとさせる。


「いやどういう……」

「んー、初めてあった時はかわいい、って感じだったけど。物取ってきてくれたり、気遣いとかもしてくれるし……男の子ぽいな、って?」


そう小悪魔に微笑むと、えむさんはよいしょと言って立ち上がった。


「もう遅いよね、お母さんが心配しちゃうから、帰ろっか」

「そ、そうですね、帰ります」


さっきの言葉で、不覚にもドキドキしてしまった……バカか僕は。勝手にドキドキされては、えむさんも迷惑だろう。


散らかりに散らかったリビングを抜け、僕とえむさんは玄関に到達する。


「今日は、特に何も手伝えずすみませんでした」

「いや、こんな時間まで付き合わせちゃってごめんねー。それに、十分手伝ってもらったよー」


えむさんがマンションの外まで見送ってくれるというので、僕たちはマンションの階段を下り始める。



「……ASMRを撮るのって、本当に大変なんですね」

「なあに急に? もしかして、頑張るお姉さんにドキドキしちゃったかなー?」

「違います」


否定しながらも、僕は素直な感想を述べる。正直、こんなに時間がかかるものだとは知らなかった。


「えむさんは、どうしてASMRを撮るんですか?」

「……っ」


ただ雑談として尋ねた問いに、言葉が返ってこない。慌ててえむさんの方を見ると――



「え、えむさん?」


「……なんでだろうね?」



そこには、深刻な暗い顔をし、小さく俯いたえむさんの顔があった。

僕が覗き込んだのに気づいたのか、えむさんはぱっと顔を明るくする。


「ほら、もう真っ暗。また明日ね!」

「え……」

「じゃあねー、ばいばいっ!」


えむさんは大きく手を振り、逃げるようにして階段を駆け上がっていってしまう。



「……」


僕は、たんたんたん、とリズミカルに離れていく足音に耳を傾けながらも、満点の星空に視線を移した。



「……えむさんって、学校行ってるのかな」



五千円の、たった一週間の関係。

ただ、それだけのはず。それだけのはずなのに。



「くそ……なんでこんなに気になるんだ……!」



涼川えむ、彼女のことが気になって仕方がない。それは、恋愛などの意味では無い。そうではなく、彼女の心が、気持ちが、気になるのだ。


にこにこと微笑んで、感情が読めない。お姉さんぶって、本音が伺えない。

僕の心になにかの感情が芽生え、それは不意に口をついて出てきた。



「……本音を、聞き出してやる……!」



僕に、初めて、目標ができた。


僕は拳を作りながらも、夜道を駆け出した。

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大人気ASMR配信者につかまった僕、食べられてしまいそうです 未(ひつじ)ぺあ @hituji08

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