第2話 一週間の関係
「考え直しましょう」
「ななっ、なんで!?」
僕はそう言い切り、すすすとえむさんから距離を取った。
だって、そりゃあ⋯⋯美少女とはいえ、初対面。食べられるのはごめんだ。てか、食べられるって⋯⋯イマイチ今が分からないが。
えむさんは僕の反応を見て、どこか安心したように息をつく。が、赤い顔のまま僕に近づいてきた。
「それくらいの覚悟がないと、アシスタントくんは雇えないかなー? だから……」
「いやいや、アシスタントっていうのは手伝いであって、食べ物になることではありませんよ!?」
「えっ、いや、そそそうだけど……咀嚼音的にも完ぺきなんだよ? 男性視聴者を獲得できるし……」
「チャンネルごと消されますって!」
言い返せずに固まるえむさんに、今度は僕が詰め寄る。
「他になにか手伝えることはありませんか? そのできにより、これからも雇うか雇わないか決めてくだって構いませんから!」
「でも、キミを⋯⋯」
「お願いしますよ!」
「わっわかったよ」
えむさんはそういうなり仕方なさそうに立ち上がり、僕を見下ろす形になる。
その拍子に、大胆に太ももが見え、僕は慌ててうつむいた。痴漢どうのこうのでクビになるのだけは御免こうむりたい。
「正直、初対面の人になにやってるんだろって感じだけど……」
えむさんはそうつぶやきながらも、リビングを出、とある部屋にいきついた。
そのドアを開けた瞬間、僕はその空間にあんぐりする。
「散らかって……ない……!?」
「そこ?」
リビングの様子を見てからこの部屋に入ると、誰もがびっくりするほどの綺麗さだ。
全体的に白く、清潔な印象。
真ん中には真っ白なテーブルが置かれ、その前にマイクとライト、スマホスタンドが置かれている。後ろの壁には、クリスマスなどでよくみかけるLEDライトが吊り下げられていた。
えむさんの動画の様子がぼんやりと思い起こされ、僕はえむさんに問いかける。
「もしかして、ここが、動画を撮る……」
「そう、ここがASMRを撮る場所。よくわかりましたー」
頭をなでなでされ、僕はむくれながらもえむさんに向き直った。
「で、具体的に何をすればいいんですか?」
「よくぞ聞いてくれました」
てっきり、今から動画を撮るのかと思っていたが、えむさんはセットされていたスマホに手を伸ばした。
しばらく操作した後、一本の動画を表示させ、えむさんはぐいっとスマホを押し付けてくる。
「今日、動画撮ったんだよねー。揚げ物を食べるASMR」
「揚げ物……」
「そ! それでなんだけど……この動画に、指摘してほしい」
「し……指摘い!?」
ど素人が、プロの動画に……指摘!? 嘘だろ!?
それを見越してか、えむさんは余裕の笑みで続ける。
「具体的によろしくねー? あとちなみに、思うようなアドバイスじゃなかったら……今日でやめてもらうけど、大丈夫?」
四千円返金もね、と付け加えながらも、えむさんはスマホを僕に持たせ、さらにイヤホンを渡してくれる。
全然大丈夫じゃないが、雇い主はえむさんだ。雇うも雇わないも、えむさんの自由だし、僕がどうこうできる話ではない。
「じゃ、動画は大体三十分。がんばれ、応援してるー!」
――いや絶対思ってないだろ!!
なんてツッコミはおき、僕はイヤホンをカメラにつなげ、早速再生することにした。何しろ、五千円という大金がかかっている。ここでやめさせられるなんてこと、あってはならない。
この動画でのえむさんは、髪をポニーテールにし、かわいい赤色のパーカーを来ていた。
『こんにちは、すずえむあーるの、えむでーす♡ 今日は、ここにならぶ、揚げ物を、たべていきたいと思いまーす』
どうやら出だしはいつも統一しているらしい。
というか、吐息にドキドキしてしょうがない……おっと、指摘をしないといけないのだった。僕は、改善点がないか注意深く見る。
『揚げ物は、すごくいい音ばっかりでるし、おいしいから、さいこうだねー』
言葉をゆっくりと発し、右耳、左耳の間をゆっくりと往復しながらも、えむさんは雑談を始める。
物凄くかわいいから、動画も盛れているし、画角的にも完ぺきだ。声も、えっ⋯⋯こほん、大人っぽくて素敵だ。
『みんなが楽しんでくれるように、とおくまで行って買ってきましたー。みんなのことが大好きだから、苦じゃないよー』
さらに、体を左右する際に、結ばれた黒髪が艷やかに肩から落ち、見入ってしまうような美しさ。とにかく、見る分には問題ないだろう……気になる点はあるが。
『ASMRをとるのって、すごく楽しいなー。みなさんも、私のASMRを楽しんでくれますように♡』
「……」
その言葉の後、机に並んだチーズボールやチキンフライ、フライドポテトなどの咀嚼音が続き、『ごちそうさまでした♡』とえむさんが手を合わせ、動画は終わった。
「えむさん、見終わりました」
「んー……あ、終わったのかあ」
後ろを振り返ると、だらーんと床に転がり、抱きまくらを抱いているえむさんが視界に飛び込んできた。
「……え?」
「ごめんごめん、ちょっと眠くって」
太もも全開、胸元をのぞかせながらも床をごろごろするえむさん……これはアウトじゃないのか。
しかし、男の本能で、その美しい肌、体に釘付けになってしまう。
それに対し、大して気にしてないのだろうえむさんは、よいしょと言って立ち上がった。
「それで、指摘はいただけるのかな?」
「はっ、はい」
僕は小さく息を吸い、動画で気になった点を上げていく。
「まず、ビジュは完ペキですが、雑談が多い気がします。メインは咀嚼音ASMRですよね? なら、短縮してもいいかもです。動画24分の内、9分は雑談です」
「うっ、そう言われるとそうだな……」
ぎくっとするえむさんに、僕は畳み掛けるようにして続ける。
「それに、食べるものなのですが。世の中に何万といるASMR配信者の中で目立つには、流行りのものを取り入れる必要があると思うんです。フライドポテト、チーズボール、チキンフライ。これらは、無難すぎるかなあと。自分で開発したり、流行りをいち早く知る必要があるんじゃないですか?」
「⋯⋯わあ、恐れ入ったなーこれは」
と、少し青ざめた顔ではあるものの、えむさんはぱちぱちと気のない拍手をする。
「凄い、指摘通りだねー。頑張らないと。……でも」
「まだ指摘はあります」
えむさんが続ける前に、僕は、最後の指摘――最大の指摘をする。
「超人気、流行りのASMR配信者に言うのは気が引けますが」
「絶対思ってないでしょ」
「とても気が引けますが!」
「はいはい、うん何でも言って」
圧で乗り切り、僕は息を吸い込む。
「……本当に、心の底から、百パーセント、視聴者に楽しんでほしいって、思ってますか?」
「……!?!?」
途端、目を見開き、えむさんは固まってしまう。
――弁論しよう。
別に、彼女のASMRを全否定して言っているわけではない。これは断言しよう。
えむさんのASMRは、さすが70万人の登録者がいるだけあって、とても上手い。
ASMRの醍醐味、脳がゾクゾクするという部分も、しっかり抑えている。
これなら、男性視聴者も女性視聴者も、がっちり確保できるだろう。
そんなえむさんに指摘する僕は、傍から見れば、ただの悪質なアンチでありクソ野郎だ。傍から見なくてもクソ野郎だろう。
……しかし、これにはちゃんと理由がある。
――『視聴者を楽しませる』。本当に、ただその事のためだけに、動画を撮っているのだろうか。そう、疑問が浮かんだ。
初めてえむさんの動画を見た時にも感じたこと。今、この動画を見て、どこが引っかかっていたのかが明確になる。
それは、笑顔の裏に隠れた、生き生きとしていない、生気のない姿、だ。
そこに、どこか引っかかる部分があったのだ。
具体的には、目と言葉に感情がこもっていない。
本当に楽しんでいるのか、楽しませようと思っているのか。それが、ファンでもない第三者の僕が客観的に見て思った、素直な感想だった。
なにか、他の目的があるような、そんな気がする……直感が、そう告げている。
「……っ」
「……気を悪くされたなら、本当にごめんなさい」
というか、こんな酷いことを言って、クビじゃない訳がない。完全に、指摘の域を超えている。
えむさんの言葉を待ち、沈黙が訪れる。
えむさんはしばらくうつむいた後、やがて顔を上げ、口を開いた。
「…………じゃん」
「?」
「……やるじゃん、キミ!!!」
……はあ?!
えむさんにいきなり抱きつかれ、僕は目をまん丸にさせた。
「うんうん、見直しちゃったー。凄いんだあ、司馬くんって! 後輩なのにー」
「へっ、え、あの」
「うん、いいよ、今すぐに解雇は無しにしよう。少なくとも一週間は、雇ってあげる!」
「へあっ!?」
ばしばしと背中を叩かれ、ぎょっとしながらも、僕はえむさんの方を見る。
「でも、そんな、どうして……僕、辛辣な事ばっかり」
「……それは」
――どんどんどん!!!!!
急に玄関の扉が叩かれ、僕とえむさんは同時にびくっと震え上がった。
「あんた、いるんでしょ?! 出てきなさい!!」
「あ⋯⋯っ」
知らないおばさんの怒声に、えむさんはハッとした顔になり、固まってしまう。
「なにが起こって⋯⋯」
「あんた、何時になったら貸した金、返してくれるのよ!! もう1ヶ月経つんだけど!!」
僕の声に被せるように、さらに怒声が響き、僕はただ目を見開いて固まってしまう。
「し、司馬くん、ごめん」
えむさんはおぼつかない足取りで玄関へ向かい、扉を開いた。
途端、中年のおばさんが身を乗り出してえむさんに詰め寄る。
「!! やっぱりいるんじゃない! それに、男? 男を呑気に連れ込んでるの?! そんな暇があるならさっさと働いて⋯⋯」
「司馬くん、今!」
おばさんが喚き散らす中、僕はえむさんに背中を押され、勢いよく外へ放り出された。
「えむさん!?」
「あ……あんたねぇ!」
「すみません、返済は必ずします! 司馬くん、またね……!」
どこか苦しそうな顔をするえむさんに手を振られ、僕は焦ってアパートの階段を駆け下りる。
「⋯⋯はあ、はあ」
アパートから出て、僕は荒い息を繰り返した。
「返済⋯⋯とか言ったか」
えむさんの態度、それに辛そうな顔が浮かび、いたたまれない気持ちになる。
――なにかできることはないか。
初対面とは言え、五千円の関係だ。それくらいしてなんぼだろう。
しばらく考え、僕の頭に一つのアイデアが浮かんだ。
「……よし。あいつに聞いてみよう」
僕はとある決心すると、家路を急いだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます