第3話

 柔らかな茶髪に中性的な顔立ち、少女のように華奢な少年はにこやかに笑った。

「その格好……、魔法使いの仮装?」

 答えるのも忘れて、その顔をマジマジと見た。

 あの人が黒髪に黒い瞳だったことを別にしても、顔が似ているわけではない。だけど、朗らかな雰囲気と掴みどころのない笑顔が彼を彷彿とさせる。

「僕、誰かに似てる?」

 思わず頷きそうになり、慌てて首を横に振った。

「ぜ、全然!」

「そうなの? 時々、会うなり君みたいな顔をする人がいてね。似ている有名人がいるなら、教えてほしいなあ、って」

 気を悪くした様子もなく、彼は何気ない様子で一歩、踏み出した。

 反射的に一歩、後ずさる。自分でも驚くくらい無意識の、本能的な行動だった。

(な、なに、この感じ……?)

 少年は明るい笑みを浮かべていて、敵意の欠片も感じない。

 指先が出た黒い手袋が覆う手には何も持っていないし、鞄を下げているわけでもなければ、ポケットが膨らんでいるわけでもない。

 丸腰の人間相手ならば、爪を持つ自分のほうが圧倒的に有利だ。

 なのに――、飢えた野犬が目の前にいるように、生きた心地がしない。

 ――この感じ……、あの人も……

 血の匂いがする夜、病床で戦況を聞いて悔しそうにしていた夜。いつも冗談ばかり言って笑っていた彼が、冷たい、刺すような気配を纏っていた。今、この少年から感じるのは、そんな類いのモノだ。

「ところで、」

 すぐ傍から声が聞こえた。

 飛び掛かってしまいそうな恐怖を、かろうじて堪える。

(う、ウソ……、あんなに離れてたのに……)

 声がギリギリ届くくらいの距離が開いていたはずなのに――、目の前まで少年が接近していた。変わらない笑みを浮かべて。

 いくら彼に雰囲気が似ていると言っても、こんな得体のしれない人物、一瞬たりとも眼を離してなんかいない。なのに、いつ近づいてきたのかわからなかった。

「もう九時だよ? 子供が一人でこんなところにいるのは良くないなあ」

「あ、あなただって……、こ、子供でしょ?」

 逃げたいのを我慢して足を踏ん張った。

 この少年に背中を見せるのは危険だ。本能でわかる。逃げれば殺されかねない、と。

「一応、中学生なんだけど。見た目が小学生の君よりは大人だよ?」

 人間社会を歩くうちに仕入れた「中学生」の知識を頭から引っ張り出す。百五十年ほどの間に、人間の「年齢」の意味は随分と変わった。

「ち、中学生なら! どんなに年を取ってても、十五歳でしょ!? こ、子供なのは一緒じゃない……!」

 昔は十五歳といえば大人だったが、この時代はまだまだ子供だ。つい反論してしまってから青ざめたが、少年は感心したように目を丸くした。

「よく知ってるなあ。誰に教わったの?」

「べ、別に……、自分で情報収集したのよ……!」

 人間社会は急激に変化していく。

 猫のまま過ごすならば最低限の知識だけでいいが、人に化けて人間社会に関わるのなら、この化けた姿の少女が普通に持ち合わせている程度の「常識」くらいは知っておかないと危険だ。

 猫又同士の情報交換では間に合わないので、その辺に落ちている新聞や雑誌を片っ端から読んだり、家電屋で流れているテレビ番組を見たりと、時間があれば勉強している。

「独学? 現衆うつつがしゅうと関りもなさそうなのに、よく調べたね。大変だったでしょう?」

「ま、まあね……」

 ほわっと温かい気持ちになった。

 あの人が褒めてくれたような気がした。

「それにしても、意外だなあ。『いきなり警察官を負傷させて逃走した』なんていうから、どんな凶暴なヤツかと思ったのに。こんな真面目な仔なんだもの」

「あれは……! あ、あいつが……、私の姿を見て、棒で殴ろうとしたから……!」

「そう……、やっぱり君の仕業なんだね」

 少年の目が細められた。

 うっかり自白してしまったことに気づく。というよりも、誘導に引っ掛かってしまったのだろう。少し迷い、すぐに開き直った。

 取り繕ったところで、この少年にはバレてしまうような気がする。なら、いっそのこと自分から話したほうがいい。

「せ、正当防衛よ! ちゃんと、ここにいる人達に合わせた格好に化けて……、迷惑なんてかけてなかったのに、勝手に声かけてきて……! ちょっと、本当の姿がガラスに映ったくらいで、化け物を見たみたいな顔して……、殴ろうとしたのよ!? 先にやらなきゃ、何されてたかわからないわ!」

「う~~ん、気持ちはわかるけど、少し過剰防衛じゃないかな……。向こうは怪我しちゃってるし。猫又の反射神経なら、普通のお巡りさんが警棒振り回してきても余裕でかわせるし……、逃げるだけでよかったと思うけど……」

「ち、ちゃんと加減したもん! 傷口に邪念とかは残ってなかったはずよ!? だ、だいたい、あなたは正体がわかっても普通に話してるじゃない! あ、あれ? そういえば、どうして、私が猫又って知ってるの?」

 屋上は一面がコンクリートの床で、ドアは鉄製だ。姿を映すようなものは何もない。

「気づいてないの? さっきから尻尾が出てるけど……」

「え!?」

 琥珀の瞳が見ている先にあるものに、血の気が引いた。

 先が二つに分かれた黒い尻尾がスカートの裾から覗いている。

「や、ヤダ! い、いつから!? も、もしかして、あなた、何かやった!?」

「まさか。話している最中に勝手に生えてきてたよ。興奮したら出てくるみたいだから、気をつけたほうがいいよ」

 つまり、彼は尻尾が出てこようと全く態度にも顔にも出さずに話を続けていたということだ。あの警察官のように過剰に反応されるのは困るが、ここまで無関心だと逆に怖い。

「……どうして、そんなに平気な顔してるの……? 普通、もうちょっと怖がるんだけど……」

「見慣れてるからね、いろいろと」

 少年は楽しそうに笑い、少し態度を改めた。

「自己紹介がまだだっけ。僕は城田望しろた のぞみ。望でいいよ、猫又さん」

「……『猫又さん』じゃないわ。千世っていう、ちゃんとした名前があるもん」

 ずっとあったモヤモヤが消えた気がした。

 そういえば、人間に本名を名乗ったのは初めてだ。正体も含めて。

 なんとなく、人の世に受け入れてもらえたような気がして、訳もなく心が弾んだ。

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