第4章  『正しいこと、の連鎖』⑫

「あの……これはどういうことなんです」


 BAND JAPANのエントランスに現れた柳は、青い顔をして言った。痩せ型の長身にクリエイターっぽい服装。昨日も俺たちをこうして迎えた、案内役の男だ。


「社長の許可は取れているはずですが」


 高橋が事もなげに言うと、柳は困った顔でうつむき、唸った。昨日以上に怯えた様子だ。


「ええ、それはそうなんですが……ただ、私としても内容を事前に聞いておく必要が、ですね……」


 モゴモゴと言う柳を横目に、「さ、行くわよ」と高橋は俺に言った。


 全く取り合おうとしない高橋の様子に、柳も諦めたのだろう。槙原社長とアポが取れているのは事実らしい。結局それ以上は何も言わずに俺たちを先導し始めた。


 それにしても、昨日の今日でよくOKをもらえたものだ、と思う。


 ……いや、下手をしたら希望を出したのは今朝なのかもしれない。何しろ今回の案件をどうするか、昨晩あの落ち着いたバーに行った時点では決まっていなかったのだ。


 俺たちは昨日と同じ“ジャングル”の中を進み、そして当然のように、それを通り過ぎた。つきあたりを左に曲がって、それまでとはまるで雰囲気の違う“壁”へと向かう。


 柳が壁の脇にある電話機を使って中に何事かを伝えると、やがて扉が開いた。柳はほとんど諦めの境地といった顔で俺たちを奥へと案内する。


 1つ目の扉を抜けた先のサイネージには、昨日と同じ「未許可の方は立ち入りをご遠慮ください」の文字。電話に向かって昨日同様にペコペコと頭を下げる柳の細い背中を見ながら、今更のように緊張を覚えた。


 一体高橋は、いや、“俺たち”は、何をするためにここにやって来たのか。昨夜、例によってHR特別室のメンツは俺に何も教えてくれなかった。ただ、「明日13時、BAND JAPANに乗り込む」と一方的に告げられただけだ。


「あの……プレゼンって、一体何をどうプレゼンするんですか」


 サイネージの威圧的な文字と怯える柳を見比べながら、隣の高橋に小声で聞いた。保科や室長の姿がないことも気になるが、まずは何をしにここに来たのか、だ。高橋は無表情にこちらを見て、何も言わないまま視線を戻す。そしてボソリと、しかし何の迷いもな口調で言った。


「何をプレゼンするかって、そんなの決まってるじゃない」


「……え?」


「価値観よ」


「……は?」


「私たちは、価値観をプレゼンしに来たのよ」


 そのとき2つ目の扉が開き、俺達の前にBAND JAPANの“本体”、高木生命が姿を表した。





 槙原社長は、明らかに不機嫌そうだった。


「どういうことかね、高橋さん」


 ソファではなく執務机の向こうの椅子に体を預けたまま、社長は言った。


「と、言いますと?」


 高橋は、薄い笑顔を浮かべ、首を傾げてみせた。槙原社長は眉間にシワを寄せ何かを言いかけたが、それを一度止め、深呼吸した上で、ゆっくりと苦笑いを浮かべた。参ったな、という雰囲気で続ける。


「あなたが個人的な話をしたい、と言うから、私はこうして時間を作ったんですよ」


 個人的な話?


 すぐに、小さな納得感と、下品な想像が頭に浮かんだ。


 なるほど、このエロオヤジは、高橋にそう言われてホイホイと乗ってきたのだ。まさかこの社長室でいやらしいことでもしようと考えたのだろうか。だが逆に言えば、高橋はそういう下心を利用して、こんな急なアポイントを切ったということなのか。思わず頬が緩みそうになった。ざまあみろ、と思ったのだ。さすが高橋さん、やることがエグい。


 ……だが、すぐに、不安が押し寄せてきた。


 槙原社長は、高橋にコケにされたも同然だ。ここまで俺たちを案内し、早々に人払いされた柳の青い顔を思い出す。今回の相手は、先日保科と行ったクーティーズバーガーや、室長と行った中澤工業とはわけが違う。天下のBAND JAPAN、いや、高木生命なのだ。今回の件が問題になったとき、ぶつかって消し飛ぶのは俺たちAAの方ではないのか。


 思わず表情を伺った。だが、やはりと言うべきか、高橋は落ち着き払っている。……保科といい室長といいそしてこの高橋と言い、やはり頭がおかしいとしか思えない。なぜこういう気まずい場面で落ち着いていられるのだ。


「ええ、そのとおりです。私は個人的な見解を話しにきました」


「そうか……じゃ、彼は必要ないんじゃないか?」


 槙原社長のギョロリとした目が、恐らく初めて、俺に向いた。


「あ……あの……」


 思わず口ごもる俺をよそに、「彼は大事な研修生ですから、いてもらわなければなりません」と高橋は答える。


 次の瞬間、ドン! という鈍い音が響いた。ハッとして顔をあげると、槙原社長が今度こそ怒っていた。固く握ったらしい拳が、机の上で震えている。今のは社長が執務机を叩いた音らしい。


「……舐めるのもいい加減にしろ」


 ドスの利いた声。冷たい表情。その裏側に感じられる強烈な怒気の気配。中澤工業のタカちゃんもプロレスラーのような迫力があったが、それとは種類の違う、言うなれば、ヤクザの組員ではなく組長の凄み。こういうことに慣れていない俺は、その迫力に物理的な圧迫感を覚え、思わず体を引いてしまった。


 ……のだが、隣に立つ高橋は逆に、カツカツカツ、と執務机へと向かっていくではないか。


 そして……事もあろうに、その机に向かって、拳を振り上げ、そして振り下ろした。


 再び、ドン、という音。


 目を丸くする槙原社長に向かって、高橋は言った。


「舐めてなどいません。むしろあなたこそ、求人を舐めないでいただきたい」


「……なんだと?」


「結論から申し上げますわ」


「……」


 そして高橋は驚きの表情を浮かべた槙原社長にゆっくりと顔を近づけ、ささやくように言った。


「御社の採用課題は………あなたです」

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