第4章 『正しいこと、の連鎖』⑬
「私が……採用課題だと?」
「ええ、そうですわ」
怒りの為か微かに震えた槙原社長の言葉に、高橋は躊躇なく頷く。
「……どういう意味だ。冗談を言っていい場面じゃないぞ」
俺は思わずツバを飲み込んだ。槙原社長の言葉は、高橋個人だけでなく、俺たちの勤めるAAにも向けられている。今回のBAND JAPANの1200万円という大商いも、社長の判断次第ではなくなってしまうだろう。
いや、それで済めばマシなのかもしれない。ポッと出の案件がキャンセルされたところで、利益がなくなるのは確かだが、話がゼロに戻るだけなのだ。
だがもし、公式な形で抗議を受けたらどうなる。高木生命という大きな会社から「AAの営業からこんな対応をされた、AAはひどい会社だと」と表明されたら、AAは大きなダメージを食らう。
競合他社が無数に存在する俺たちのような求人屋にとっては、ちょっとしたイメージダウンが大きな痛手となる。
しかし、高橋の後ろ姿は凛としたものだった。
「もちろん冗談ではありませんわ。御社がより大きな成長を目指すのであれば、そして、そのための採用を本気で行うのであれば、まず見直すべきはあなたの考えそれ自体だということです」
「……私の、考え?」
「ええ。求人業者らしい表現をお求めなら、ターゲット設定の見直し、と言い換えましょうか」
ターゲット設定。つまり、どんな人間に対して求人のメッセージを送るか、という設定のことだ。
確かにここでミスをすることは多い。経験者が欲しいと言って「経験5年以上」と条件を設定したものの、実際には経験年数より資格の有無の方が重要だった、というようなケースだ。ターゲットが変われば当然、伝えるメッセージも変わってくる。
しかし、槙原社長はふん、と鼻で笑った。
「偉そうに言うな。君らの仕事は私たちクライアントの求める人材を引っ張ってくることだろうが。外野の君らがなぜ、ターゲット設定を見直せなどと言えるのかね」
槙原社長のストレートな言葉に、確かにそれもその通りだ、と頷きそうになった。
俺たち求人屋の仕事は、クライアントの求めている採用を実現することだ。どういう人材が何人、いつまでに欲しいのかを決めるのはあくまでクライアント側で、俺たちではないのだ。
だが、高橋は首を振った。
「いいえ、そうではありませんわ」
「何が違うというのだ」
槙原社長はどこか勝ち誇った顔で言い、手元の引き出しから、最近はあまり見なくなった紙巻きたばこを取り出し、火をつける。そしてゆっくりと立ち上がると、目の前に仁王立ちする高橋を避けるようにして、ソファに座った。
「ま、せっかくだ。話を聞こうじゃないか」
どうぞ、と向かい側の席を勧める社長に高橋は目礼し、それに従った。ゆったりした背もたれのソファに、浅く座る。一瞬迷ったが、俺はその場から動かなかった。高橋の隣に座ったところで、俺にできることなど何もない。それに、徐々に怒りを収めつつあるように見える社長が、また機嫌を損ねないとも限らない。
「つまり君は、私のターゲット設定が間違っていると言うんだね」
「間違っているかどうかはわかりません。ただ、仮に正木さんのような方を採用できたとして、御社がいま切実に求めている、社会的な信頼というものは手に入らないだろうと考えているだけです」
「ほう……君は彼を否定するのかね?」
槙原社長はどこか嬉しそうに、ニヤリと笑った。
なんとなく話が核心に近づきつつある気がする。高橋はいったい槙原社長に何を言おうというのか。槙原社長が、「ターゲット通りの社員だ」と太鼓判を押した正木。そうだ。昨日俺は正木に接触するために新橋から六本木に戻り、そして2人で酒を飲んだ。
正木は今の状況を「幸運」と言った。少しでもリスクのない道を選びたいと、そのためには既に成功者のいる道を選ぶのが一番だと。過去に辛い思いをしたからこそ、BAND JAPAN、いや、高木生命の傘の下で暮らせることに価値を感じていた。
「ま、わからんこともない。あいつの表情や物腰が不自然だとでも感じたのだろう? 確かにあいつはまだ若手で、しかも新人だ。ウチの文化がまだ馴染みきっていない部分はある。私から見ても、まだ力みすぎだと思うよ」
社長は体を起こし、テーブルの上のガラス製の灰皿でタバコをとんとん、と叩く。
「だが、それもじきに慣れてくる。これまでも皆、そうだったんだ。最初は正木のように、ぎこちない。だが、早い者で半年、遅くても1年で、みな立派な“高木生命の営業”に成長していく。そう思えば、正木は非常に優秀だ。入社半年ほどだが、既にいい結果を出している。……どうだね、高橋さん。私が彼に期待し、彼のような人間に来てもらいたいと思うのはおかしいかね?」
高橋は何も言わない。……いや、もしかしたら何も言えないのかもしれない。俺たちはしょせん求人屋だ。社長がこう思っていて、正木ら社員たちもその環境を受け入れているのなら、一体それ以上何が言えるというのか。
黙ったままの高橋に、社長は体を乗り出すようにして言った。
「いいかね、高橋さん。あなたが正木をどう判断したかは知らん。だが、あいつは事実、強くなった。入社した頃は本当に弱かったんだ。あんな状態では、人生を自らの足で歩んでいくことなど到底できない。そんなあいつに、私たちは強くなる機会を与えた。このままじゃお前はダメなままだぞ、だから頑張らなきゃだめだとな。俺たちの差し伸べた手を、あいつは掴んだ。あいつは自分の意志で、強くなることを決めたんだ」
社長の表情は真剣だった。本当にそう思っている顔。
「俺たちのやり方に異論を挟む人間もいるだろう。だがな、そういう奴はしょせん偽善者だ。本当の地獄を見たことがない、ひよっこだ。人生は綺麗事ではいかない。いいかね、高橋さん。正木は潰れる間際だった。あのままじゃ、二度と立ち上がれないまま人生を終えていくだけだっただろう。わかるかね? この厳しい世の中、弱いままでは渡っていけないんだ!」
自分の言葉に興奮するように、語尾が荒くなった。
社長室の中に、しん、と冷たい沈黙が降りた。
「……お兄さんのように、ですか」
やがて、ポツリと呟くように高橋が言った瞬間、槙原社長の目が大きく見開かれた。
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