第4章 『正しいこと、の連鎖』⑪
降りてきたのは、保科と室長だった。
二人は雑居ビルの貧相なエレベーターとこの落ち着いたバーとのギャップに驚く素振りも見せず、何事かを話しながらカウンターに近づいてきた。室長がまるでバスケットのシュートを打つような素振りをし、それを保科が呆れるような目で見ている。
やがて室長が俺に気づき、「おや」と目を丸くする。
「これは珍しい、ええと……」
「……村本です」
驚きを隠しつつ、何度目なのかわからないやりとりをする。どうしてここに室長たちが現れるのか。いや、入店時の様子を見れば、2人はこの店が初めてではないのだと分かる。慣れた雰囲気の高橋同様、常連客なのかもしれない。
だが、俺は覚えていた。今回の案件をどうするのか、そう聞いた俺に対し、その答えはもうすぐやってくると高橋は言ったのだ。
――あの2人が答え、なのか?
戸惑う俺をよそに高橋は、「ね、向こう、いい?」とテーブル席の方を指差した。バーテンダーは「かしこまりました」と頭を下げる。
「お飲み物はこちらでお持ちしますので、皆様どうぞあちらへ」
礼を言ってテーブル席へと移動する高橋に、保科と室長が続いた。俺も慌てて後を追う。格子柄のパーテーションで半個室のようになった4人席。高橋と保科が隣に座り、向かい側に高橋、俺は空いた席に座るしかない。
すぐにバーテンダーが俺たちのグラスと新しいおしぼりを持ってやってきた。室長はスコッチの水割り、保科は烏龍茶をオーダーする。
それらが運ばれてくると、高橋は乾杯をする間もなく言った。
「で? どうだったの」
いたずらを企む子供のような目。それを室長も嬉しそうに受け止め、うふふ、と笑う。
「いやあ、君の人脈は恐ろしいなあ。確かに見つけたよ」
「何よ、見つけてから言ってるんだから、当たり前でしょ。そんなことより、話はできたの?」
「ああ、随分と長い話をね」
室長は手元の重厚なグラスを掲げ、薄茶色の液体をゆっくりと飲む。
「海が見える丘の施設でね。ありゃもう、ホテルみたいなもんだな。僕、羨ましくなっちゃったよ」
「もう、そんなことどうでもいいわよ。どんな話をしたのか早く言いなさいよ」
「うん、まあ、最初は驚いとったが、僕が後輩だと知って安心したようでね」
「ああ」
「どうしてあの人たちは、自分と同じ大学の卒業者だっていうだけで、あんなに急に態度を変えるんだろうね。それに先方、僕のこと知っててさ。ああ、君が宇田川君か! とか言って」
「あら、さすが有名人」
有名人? 室長が?
話の内容もさっぱりわからないが、室長が有名人だというのもさっぱりわからない。答えを探すように向かい側を見ると、テーブルに置かれた烏龍茶をストローですすりつつスマホをいじっていた保科が俺の視線に気づき、「バスケだよ」とボソリと言った。
「バスケ?」
「ああ、このオッサン、こう見えてバスケの元有名選手」
えっ、と思い、室長の方を見る。
「うふふ、まあ、そうなんだよねえ」
「元でしょ、元」
高橋が冷たくツッコみ、「でも、ほんと使えるわよね、その経歴。羨ましいわ」と遠くを見るような目をする。
俺は思わず言う。身長は俺よりだいぶ小さいし、体型だって島田のように小太りだ。有名選手どころか、本当にバスケができるのかもわからない。
だがその一方で、いくつかの記憶がすくい出されるように浮かんだ。
初めてHR特別室に行った時、ソファに寝転んだ状態からすごいバネで立ち上がった室長。
中澤工業の事務所に貼られたバスケット選手のポスターに、妙に興奮していた室長。
「同学でしかもバスケの有名選手。そりゃ相手も心を開くか……でも、さすがに今回の話は寝耳に水なんじゃないの」
高橋が言うと、室長は「それがさ」とどこか悲しげな雰囲気になって答えた。
「僕が行く前から、既に考えていたっていうんだ。一線から退いて、あらためて自分の人生を振り返ったんだ、と。そうしたら気づくことがあった。BANDへの出資話ももちろん知ってて、それを知った当初はむしろ喜んでいたんだと」
「当初は、ということは、今はそうじゃないのね。高木生命の本当の思惑が見えてきたってことなのかしら」
BAND、そして高木生命。
……やはりこれは今回の案件についての話らしい。だが、俺にはその全体像がまったく見えない。一体室長と高橋は何の話をしているのか。
「ああ。先方も、引退者とはいえ社内とのつながりが完全になくなったわけじゃなさそうでね」
「なるほどね。で……彼の結論としてはどっちに転んでるわけ」
「まあ、自分の人生そのものの評価でもあるわけだから、そう簡単に結論は出せないだろう。人間、過去の記憶というのはほとんどプライドと同義だからね。だが、後悔している部分はあると言っていた」
「……そう。それで明日の件は?」
「まあ、大丈夫だ。しかるべきところに許可も取った」
室長はそう言いながらスコッチウイスキーを飲んだ。
「さすがね。……で、保科、あんたの方は? 会わせてもらえたの?」
「ああ、まあね」
スマホから顔を上げず保科が答える。
「それで、どんな状態だったの? 話はできた?」
「……いや、それはほとんどできなかった。2人で縁側で、ぼーっとしてただけ。でも、お母さん曰く、今日はすごく気分が良さそうに見えるって。訪ねてきてくれてありがとうってさ」
「それって、どういう意味?」
すると保科はスマホを置き、言った。
「俺みたいな、どこの馬の骨ともわからない奴でも、訪ねてきたことを喜んでくれるんだ。状況は推して知るべしだろ。俺、マジでムカついてきたよ。彼をあんな風にした奴は、その高級な施設でのうのうと暮らしているわけだろ」
室長の方を睨みつけながら言う保科に対し、室長も視線を落とす。
「保科君にしちゃ一面的な意見だが……ま、彼は君がそう思うくらいの状態だったんだろうね。だがね、彼は後悔していたよ。彼のような人生を歩んできた人間が後悔を口にする。それがどれくらいのことか、君もわからぬわけではあるまい」
ふと沈黙が訪れたが、それを高橋が自然に引き継いだ。
「あれだけ大きな会社は、何人もの人間の人生を巻き込みながらここまで永らえてきた。……いい? だからからこそ簡単には止まれないのよ。むしろ、誰かが止めてくれることを望んでるように私には思えるわ。……特にあの社長にとっては、お兄さんのことがあるわけだから」
「でも高橋さん、結局会わなかったんだろ、今日」
「あら、よくわかるわね。この僕ちゃんのおかげで、予定を変更したの」
そう言って俺を指差し、室長と保科が俺を見た。
「いや……あの、どういう話なのか俺、全然わかんないんですけど」
そうだ。そのとおりだ。いつだってこいつらは、俺を置いてきぼりに話を進めやがる。
「だから、明日のプレゼンの話さ」
室長が事もなげに言う。
「プレゼン?」
そして高橋はメニューに視線を落としながら、面倒臭そうに言った。
「僕ちゃんも来てね。明日13時、BAND JAPANに乗り込むから」
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