第4章  『正しいこと、の連鎖』①

 待ち合わせは、六本木の某オフィスビル1階にあるスターバックスで。


 東京で暮らすようになったのは大学からで、既に7年ほどが経っているが、それまでは東海地方の片田舎で育った。渋谷とか原宿とかいう名はテレビや雑誌で見聞きするものだったから、上京して当たり前にそれらの街で過ごすようになってしばらくは得意な気持ちだった。


 六本木にも同じような憧れはあったが、意外と足を運ぶ機会は多くなかった。だから、社会人になった自分が今、六本木のスタバで待ち合わせしていることに、悪くない満足感を覚える。


 店はあまり広くはないが、壁はなく、ソファやスツールがゆったりと配置されているせいで圧迫感はない。当然のことだが、お洒落だ。


 席は7割程度の埋まり具合で、半分以上が外国人だった。ひと目で高級品だと分かるスーツの人もいれば、逆にスケーターかラッパーかと思うようなルーズな服装の人もいる。MacBookを叩いたり文庫本を読んだり、ただ仲間と話していたりするだけなのに、妙にサマになる。


 ブロンドの外国人なのに日本語堪能な美人スタッフからアイスコーヒーを受け取ると、俺はビルのロビーが見える位置に座った。壁がないから、店の中からでもビルエントランスの正面にある総合受付が確認できるのだ。


 ビルのラウンジとしての機能も兼ねているのだろう。ロビー中央にあるカウンターの中には、もし合コンにやって来たら何かのワナだと思うほどキレイな受付嬢が2人。そしてその脇には、このビルに入った企業のロゴマークが並んだ案内板が立っている。


 アイスコーヒーを口に運びながら、俺はその案内板を見る。


 並んだロゴマークはどれも堂々としている。実際、そうそうたる顔ぶれだ。誰でも知っている総合商社、大手広告代理店のクリエイティブ支店、大手ディベロッパー、世界的な巨大金融企業、高給取りの代名詞でもある外資系コンサルティングファーム。


 そのなかの一つ、雷のような形で「B」という文字をかたどったロゴを見つけ、俺は思わずつばを飲みこんだ。


 わざとらしく視線を逸らし、スマホを取り出すと、ブラウザを立ち上げる。すぐに、さっきまで見ていたWebページが表示される。


 そこには、あの案内板にあるのと同じロゴマークが掲げられたオフィス写真が写っていた。


 なぜかジャングル風の奇妙な空間に、統一感のないテーブルや椅子が雑然と並べられている。GoogleとかFacebookとか、ああいう企業をイメージしているのだろう。いかにも今風の、自由で先進的な雰囲気。


 思わず頬が緩んだ。自分が今からここに行くのだと思うと笑えてくる。まさか「BAND」もウチの顧客だったとは――


 「BAND」と言えば、モバイルバッテリーの分野で大成功を収めたアメリカ発のベンチャー企業だ。数年前「PO」(ピーオー)というオリジナルブランドを立ち上げ、イケてるデザインのモバイルバッテリーを発売した。POのバッテリーは容量や機能こそ大したことはなかったが、とにかくオシャレだった。結果クリエイター層を中心に話題になり、要するに「バズった」。


 俺はカバンの中から、数週間前に買ったばかりのPO製モバイルバッテリーを取り出し、苦笑いする。「御社の製品、使ってるんです」と言ったらBANDの担当者はなんと言うだろうか。そういったおべっかには辟易しているのかもしれない。何しろ、BAND社だ。


 今日行くのはBANDの日本法人「株式会社BAND JAPAN」だが、その美的センスや先進性は世界共通のはずだ。そう思いながら俺は、POのモバイルバッテリーをカバンの中に戻した。


 その時――


 なんとなく気配を感じて、顔を上げた。一人の女がビルエントランスを抜け、カッカッカッカッとヒールを鳴らしながらロビー中央まで進み出てきた。その姿を見て、思わず息を呑む。


 その女は立ち止まり、何かを探すように左右を見回している。驚くべき美人だった。受付嬢とは存在感が違う。俺はあの人の身長がそれほど高くないことを知っている。たぶん160センチくらいだろう。だが、スタイルが恐ろしくいいせいで大きく見える。


 その女――HR特別室の高橋はそして、俺に気付いた。





「あの……今日って、どういうアポなんですか」


 AA本社の入っているビルと同じような広いエレベーター。高橋と並ぶと、かいだことのないスパイシーな香水が鼻に届く。あの鬼頭部長の先輩、ということは俺よりも二回り以上年上のはずだが、そんな風にはまるで見えない。


「どういうアポって、別にあんたが知る必要ある?」


 ……だが、威圧感は確かに、鬼頭部長以上だ。


 今朝、HR特別室に出勤すると、高橋のアポに同行するようにと宇田川室長に言われた。


 もちろん俺はその場で内容を聞いたのだが、あのふわふわしたおっさんが教えてくれたのは、クライアント名と待ち合わせ場所、時間だけだった。相変わらず、状況説明は一切ない。


 まあ、だが、その時の俺は、そんな室長の対応に対し何の不満も覚えなかった。保科と行ったクーティーズ然り、室長と行った中澤工業然り、印象的ではあるが所詮は小さな個人店、そして町工場だ。だが、今回アポ先がBAND社だと知った俺は、要するに、舞い上がってしまったのだ。


「きょ……今日のクライアント、個人的にも好きなんですよ」


 その気持ちがまた蘇ってきて、俺は思わず言った。すると、高橋はその小顔をこちらに向けて、はあ? という顔をする。


「なんで?」


「い、いやだって、すごい会社じゃないですか。自分、商品も使ってるし」


 そう言って鞄の中からPOのモバイルバッテリーをちらりと見せた。高橋はそれを冷たい目で捉えると、ため息混じりに首を振る。


「残念だけど、あんまり期待しないほうがいいわよ」


「え? どういうことですか」


 エレベーターの中は適度に混んでいる。変に静か過ぎる空間より、適度なざわつきの中の方が人間は話しやすいのだと東京に出てから知った。エレベーターの外に面した方の壁はガラス張りで、眼下には芝公園、東京タワーが見えている。


 高橋はかすかに目を細め、鼻で笑った。


「ま、百聞は一見にしかず。せいぜいショックを受けないようにね、僕ちゃん」


 その時、エレベーターは目的のフロアに到着した。

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