第3章  『息子にラブレターを』⑫

 中澤工業からの帰りのタクシー。微かにタバコ臭い車内から、遠ざかっていく古びた社屋を見つめる。そしてその背後に建つ四角い工場。


「室長」


 視線はそのままに、言った。


「ん? 何だね」


「……これが、仕事なんですか」


 自分がどういう気持ちなのかよくわからなかった。苛立っているようでもあり、諦観に襲われているようでもある。


 事務所で婦人が泣きじゃくり、高本に手紙を書くと言った。正直な気持ちを書くから、それを見た上でどうするかを決めてほしいと婦人は言ったのだった。あのときの高本の顔を俺は忘れないだろう。あの大男が、まるで幼い少年のように見えた。


 俺たちは結局、そのまま中澤工業を後にすることになった。目を赤くした婦人がタクシーを呼んでくれ、それが到着する10分程度の時間にも、室長は特に仕事に関する話をしなかった。


「さあねえ」


 相変わらずの呑気な物言いに、俺は思わずカッとなって室長の方を見た。


「さあねえって……室長、これじゃ俺たち、タダ働きじゃないですか。いや、働きにすらなってない」


「ん? どういうこと?」


「だってそうでしょう。俺たちは何も売っていないし、中澤工業は何も買っていない。内輪揉めを仲裁しただけだ」


 そうだ。その「内輪揉め」こそ、中澤工業が俺たちAAに声をかけた理由だった。高本が退職するということで、新人採用のニーズが持ち上がったのだ。


 その退職がなくなってしまったら、求人のニーズも同時になくなる。しかも今回、室長自らそのニーズを潰しにかかった。言わば、自ら利益を捨てたようなものなのだ。


「これでもし……もし高本さんの退職がなくなったら、中澤工業は求人を出す理由がなくなる。そしたら俺たちの仕事もなくなってしまいます」


「うん、そうだね」


 そうだねって……。思わず大きなため息をついた。何をどう言えばいいのかわからず黙っていると、室長が言った。


「で、それのどこが問題なんだい?」


「……は?」


 こ、この人は……この人はいったいどこまで本気なのだ?


「どこが問題って……俺たちの仕事は求人広告を売ることなんだから、それがなくなったら大問題じゃないですか!」


 俺の剣幕に、老齢の運転手がちらりとこちらを振り返った。


 HR特別室という部署が、AAの中でどんな立ち位置なのかはいまだによくわからない。だが、室長にしろ保科や高橋にしろ、AAという会社に雇われて給料をもらっている人間であるのは間違いないだろう。そうである以上、会社の利益のために働く義務がある。


「ああ、なるほど。そこが違うのか」


「……違う? どういうことです」


「いや、まあ、別に君の仕事観をどうこう言うつもりはないんだけどさ」


「じゃあ、なんですか」


「いやね。求人広告を売ることが自分の仕事なんて、私は考えたことなんてないなと思っただけだよ」




 葛西駅に到着してタクシーを降りると、室長は次のアポがあると言い残してさっさと姿を消してしまった。


 営業一部の仕事ではほとんど来ることのない界隈だ。高架になった線路の下に店舗が並ぶ風景にはどこか下町感がある。いきなり一人にされて、俺はこれからどうすればいいのか。室長は何の指示も残してはいかなかった。


 俺はどこかボンヤリとした心地で、駅とは違う方向に歩き始めた。普通に考えればこのままHR特別室に戻るべきなのだろうが、なんとなく、タクシーの中での会話が頭に残っていた。それに、中澤工業での出来事も、どう消化すればいいのかわからなかった。


 俺はあてもなく歩いた。


 幼い頃から、どんなことでも大抵はうまくできた。学校では、先生がどうしてほしいのかは簡単にわかったし、応える為の努力もしてきた。それは就職活動でも同じだった。だからこそ俺はAAに入れたのだし、同期の中でも珍しい営業一部配属という華々しいデビューを飾ることができたのだ。


 だが、HR特別室は、違う。


 これまでのやり方がまるで通用しない。保科にしろ室長にしろ、自分とは全く違う価値観の中で働いているとしか思えないのだ。


「……なんなんだよ、クソ」


 今更のように悪態をついた。だが、それで気持ちがおさまるはずもない。気づいたときには携帯電話を取り出していた。そして自分でも驚いたが、俺は営業一部にいる同期、島田の番号を画面に表示させたのだった。


 なんでだよ。なんでここで島田なんだ。


 バカバカしいと首を振り、画面を閉じかけた。


 だが――


 俺はずっと、島田の仕事の仕方をバカにしてきた。スマートさのかけらもない、まるで営業二部、いや営業三部のような泥臭い営業。クライアントの話にいちいち感情移入し、売上に見合わないような取材を行い、原稿の効果に馬鹿みたいに一喜一憂する。営業一部というのは、もっとクールでクレバーでなければならない。そう思っていた。


 だが今、自分の中で何かが変わり始めている。


 話し方といい風貌といい、そして仕事の進め方といい、どこか室長に似ている島田なら、俺のこのモヤモヤした感情に何らかの答えを出してくれるのかもしれない。


「はいはーい」


 数度のコールで島田は出た。


「村本だけど。お前、いま外?」


「うん、アポ帰り。どうしたの?」


「いや……」


 何をどう言えばいいのだろうか。今更になって動揺したが、考えている間に面倒くさくなって、言った。


「お前さ、俺たちの仕事って、何だと思う?」


「え? 何?」


「だから……俺達の仕事って、一体なんなんだ?」


「……」


 電話の向こうで島田がどんな顔をしているのか、簡単に想像できた。あの、驚いたときに見せる、ひょっとこのような表情をしているのだろう。やがて向こうから、小さな笑い声が聞こえてきた。


「何だよ、笑うなよ」


「いや、ごめん。まさか村本くんがそんなこと言うと思わなくて」


「うるせえな。いいから答えろよ」


 さすがに恥ずかしくなってきて、声を荒げた。島田の笑い声がやみ、「……そうだなあ」という呟きが聞こえた。五秒ほど黙った島田は、言った。


「端的に言えば、求人広告を売ることなんじゃないの」


「え?」


 意外な答えに思わず言う。


「だから、僕らの仕事は、求人広告を売ることでしょ」


「そ、そうだよな」


「うん。僕ら営業マンなんだし」


「だよな」


「うん」


 ほら見ろ、あの島田だって、俺と同じ考えなんじゃねえか。俺は、ホッとしたやらムカつくやら妙な気分になりつつ、「だよな、だよな」と繰り返した。


その時――


「でも」


 島田が声を落とした。


「それは間違いかもしれないって、最近よく思うんだよ」


「……は? 何だよそれ」


「言ったよね、何か流れが変わってきた感じがするって」


「ああ……」


 そうだった。確かに昨日の電話で、島田はそう言っていた。営業一部の達成が「裏ワザ達成」だったこと。そして大きなクライアントが複数落ちたこと。


「お客さんが僕たちに求めることが、変わってきてる気がするんだよ」


「変わってきてる? どういうことだよ」


「先輩がそう言ってた。なんか、データだとか事例だとか、そういうのだけじゃもう厳しいって」


「はあ? なんだそりゃ。じゃあどうしろって言うんだよ」


「よくわからないよ。だいたい僕は、先輩たちみたいなデータ型の営業は最初からしてないもの。してないっていうか、できないだけなんだけど」


 そう言って島田はケタケタと笑い、「でもさ」と続ける。


「でも、なんだよ」


「こんなこと言うと先輩に怒られそうなんだけど」


「なんだよ、言えよ」


 島田がすっと息を吸うのが聞こえた。そして、妙に真剣な口調で言った。


「皆、クライアントをモノみたいに考えてる気がする。求職者のことも」


「……そりゃ、売上目標があるんだから、いちいちじっくり考えてられねえだろ」


「いや、うん、それはわかるんだけど、そういうことじゃなくてさ」


「なんだよ、何の話だよ」


「僕、ずっと不思議だったんだよね」


「何が」


「人のことを扱う業界なのに、人間性をどこかで否定している感じがするんだよ、僕ら業者もそうだし、クライアント側も。どうしてか皆、意識して無感情になろうとしてる感じがする。それってなんか、変だなーって。求人業界なんだから、もっと人間っぽく仕事したらいいのになーって」


「……」


「でも、なんかそれが変わってきたのかもね。クライアントの方が、だんだん感情的になってきた気がする」


「感情的?」


「うん。僕にとっては、その方がわかりやすくていいんだけどね」


そう言って島田は笑った。


(第3章『息子にラブレターを』おわり)

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