第3章  『息子にラブレターを』⑥

「高本さんで、タカちゃん、なんですねえ」


 事務所の裏口を出て、工場へと移動しながら室長が言った。その手には先ほど男から半ば無理やり奪い取った名刺がある。ひとしきり眺めたあと室長はそれを俺に渡した。そこには、中澤婦人が「タカちゃん」と呼ぶこの大男の名、高本邦夫という名が書かれてあった。


「チッ、うるせえな。タカちゃんって言うな」


 婦人に職場の案内を命じられたタカちゃん、いや、高本は、口では小言を言いつつも、俺たちを工場へと連れて行くこと自体には素直に従うつもりらしい。


「いろいろ触んじゃねえぞ。素人なんだからよ」


 高本はそう言って、事務所と工場とをつなぐ通路に置かれたダンボールや散らかった靴を、率先して片付けていく。そのテキパキした動作、それらが俺たちの邪魔になるかもしれないという気遣い、何より、あれほど俺たちに敵意を示していたのに、婦人の指示にはおとなしく従う様子を見て、意外に思う。


 通路はほんの五メートルほどしかない。小学校の頃、校舎と体育館をつなぐのがこんな通路だったなと思いつつ、事務所の背後にすり寄るように建つ工場に俺たちは入っていく。


 そこは一種異様な空間だった。


 外から見て3階建てほどの高さがあったが、中はワンフロアの吹き抜けで、天井は高いが開放感はない。所狭しと機材が並び、忙しく稼働している。音は思ったほど大きくはないが、それでも、それなりに声を張らねば会話できないほどにはうるさい。さらに、電灯が少ないのか節電なのか全体的に薄暗く、油とカビ臭さが混じったような独特のにおいもあって、どこか息苦しい感じがする。


「で? 一体何を知りたいんだよ」


 高本はそう言いながら振り返ると、面倒くさそうに首をバキバキと鳴らしてみせた。作業着ではあるが、その姿はまるでプロレスラーだ。薄暗い工場で見るとさらに迫力がある。その体の向こうには、暗がりの中で動く人間の影が見え隠れしている。


「ここでは電気検査をする機械の、部品を作っていると聞きました。ここにある機械で作るんですね」


 室長の言葉にあらためて室内を見回す。かなり年季の入った風の機械も多い。いろいろな所に、ペンでメモ書きされたカラーテープが貼ってあったりする。


「そうだ。そのための工場だからな」


「人間の手じゃ、作れないんですか。それとも便利だから機械でやるんですか」


 室長の言葉に、高本はヘッと鼻で笑う。


「太さ1ミリ以下の部品だぞ。人間の指がどれだけ太いと思ってやがる」


「ふむ」


「機械で切って、機械で形を整えて、機械で研磨する。機械じゃなきゃできねえよ」


 ふーむ、と数秒間考えた室長は、「でも」と続ける。


「全部機械でやるのなら、あなたがた社員さんは何をするんです? いなくたっていいんじゃないですか」


 あまりにシンプルかつ失礼な問いだったが、意外と本質をついている気もした。実際、ここから見る限り、人間より機械の数の方がずっと多い。


「ね? そうでしょう。全部機械がやるのなら、別に人間はいりませんよ」


「俺たちは、部品を作る機械を作るんだよ」


 高本から漏れた聞きなれない言葉に、一瞬頭が混乱したようになる。部品を作る機械を作る? 室長もすぐに反応した。


「ほう……おもしろい表現ですね。部品を作る機械を作る。つまり、作るものそれ自体を作ると」


「そうだ。俺たちは製造機械を作る仕事をしてる」


 そう言われた室長は、一番近くにあった機械に近づき、その横腹にプリントされたロゴマークを指差す。


「でも、タカちゃん」


「タカちゃんって言うな! ……高本だ」


「もう、名前なんて別にいいじゃないですか。まあいいや、じゃあ高本さん、機械にはこうやってブランドロゴがついてますよね。向こうのも、ほら、あっちのにもついてる。つまり、この機械自体を作ってるメーカーがあるわけだ」


 高本はチッと舌打ちをして、「それがなんだよ」と声を不機嫌そうに言う。


「だってさっきあなた、機械を作るのが仕事だって仰いましたよ。あれ、嘘なんですか」


「嘘じゃねえよ!」


 見ていてハラハラする。室長の質問はあまりにストレートだ。確かに俺も、「機械を作る」ということがよくわかっていなかったが、だからといって嘘つき呼ばわりするなんて。まるで、思ったことをそのまま口にする子どもみたいじゃないか。


 高本はイライラした様子で、「だから……」と頭をゴシゴシと掻く。どう説明すればいいのかを考えている様子だ。


「あんたの言う通り、ベースとなる機械自体はメーカーから買うさ。だがな、当たり前だが、工場によって環境は違うよな。作るスピードも、作る量も、あるいは作る物自体もバラバラだ。ここまではわかるか」


「ええ、わかります。ネジと一言で言っても、太いものもあれば細いものもある。そういうことですよね」


「ああ。だから、自分たちの工場に合わせて、細かく調整していかなきゃならないんだよ。メーカーから買ったそのままの状態で使えることなんて滅多にない」


「ははあ、なるほど。その調整作業をあなたは、機械を作る、と表現した。具体的にどういうことをするんです?」


「そんなのいろいろだ。ネジを締め具合を変えたり、部品を付け替えたり」


「なるほど」


「ハードだけじゃない。ソフトの調整も重要だ」


「ソフト?」


「プログラムだよ。機械に対する命令だ。自分たちの思い通りに動いてもらうには、内容に合わせてプログラムも書き換えていかなきゃならない」


「はああ、なるほどなるほど。……でも、ハードにしろソフトにしろ、それはメーカーさんにお願いすればいいんじゃないですか? 最初からこういう部品をつけといてください、こういうプログラムをつけた状態で売ってくださいって」


 高本は首を振る。


「日本の機械メーカーはそういう調整はあまり好まない。販売先の要望にひとつひとつ応えてたら大変だからな」


「ふーむ。そういう苦労が、こういったテープなんかに現れているわけですか」


 室長は機械に貼られたカラーテープの一つを指差す。高本はチッと舌打ちし「まあな」と答える。素人がわかった口を利くな、とでも思っているのだろう。ただでさえ俺たちの印象は悪い。


「でも、じゃあ、その調整作業が終わったら、いよいよ人間は必要ないんじゃないですか? 後は機械に任せて、お茶でも飲んでたらいいじゃないですか」


 ああ……どうしてそういう言い方を……。俺が何を言う間もなく、高本は「んなわけねえだろ!」と声を荒げる。


「おや、なぜです?」


 一方の室長は涼しい口調で聞き返す。高本も室長のことがだんだんとわかってきたのだろう、怒りというより呆れた表情を浮かべ、「だから……」とこめかみを掻く。


「だから……不具合が起きることだってあるし、だいたい機械につけてる加工部品は摩耗するんだ。何時間かごとに交換しなきゃいけない。作る部品が変われば、機械のセッティングだって変わる。直接的な処理をするのが機械とそのプログラムだというだけで、製造工程の全体を管理してるのは俺たち人間だ」


「はああ、なるほど。勉強になります」


 室長はそう言って、大げさに頷く。だがすぐに別の方向を向き、「あ、あそこに何人かいますね」とズカズカ進んでいく。慌ててついて行くと、確かにそこには5名ほどの人が並んで作業をしていた。よく見れば全員が外国人である。


「彼らは何をしているんです?」


「分別だよ」


「何と何を分別するんですか」


「簡単に言えば、不良品をより分けてる。0.1mmみたいな細さの部品だと、どうしたって不良品が出るからな」


「そうなんですか? 日本の製造業は不良品ゼロにこだわると思ってましたが」


「そりゃ、納品段階じゃそれが当然だ。だが、製造段階で不良品ゼロというのは言うほど簡単じゃない。そもそもウチの場合、作ってるものが小さすぎるんだ。0.3mmくらいまでは何とかなるが、0.1mmになればもう肉眼じゃ何も見えねえ。ああやって顕微鏡で見ながら1つ1つをチェックしないと、どういう傷がついてるかもわからない」


「彼ら、日本人じゃないですよね」


「ああ。ベトナムから来てる。皆、真面目でいい子だ」


 どこか誇らしげなその口調に、思わず高本の顔を伺った。初めて見る、嬉しそうな表情。自慢の部下たち、ということなのか。


「なんでまた、ベトナムの人を?」


 ベトナム人が働いていることは、病院で社長からも聞いた。そして高本は社長と同じようなことを答える。


「……日本で技術を学んで、ベトナムに戻ってそれを活かして働くってプロジェクトがあるんだよ」


「ああ、なるほど」


「オヤジがそれに協力してるもんだから」


「……オヤジ?」


 室長が聞き返すと、高本はハッとしてこちらを向き、それから眉間にしわを寄せ、言い訳のようにチッと舌打ちする。


「だから、社長だよ、社長」


 高本は社長のことをオヤジと呼ぶらしい。そういえばさっきは、奥さんのことを「おっかさん」と呼んでいた。これだけ小規模な会社だと、社員もこれほど家族的な関係になるのだろうか。


 だが、それにしてもオヤジ、おっかさんというのはすごい。改めて考えてみれば、高本の社長や社長婦人とのやりとりは、雇い主と社員というより、親子のようでもあった。一瞬、本当の親子の可能性を考えたが、あり得ないとすぐに思う。あの夫婦からこんな大男が生まれるはずもないし、顔立ちも全然違う。そもそも中澤と高本とで名字も別だ。


 だが、それにしても。


 本当の親子でないにしろ、高本という男がこの会社の中枢にいる人間なのは間違いのないことのように思えた。社長が高本を「中澤工業の芯」と呼ぶのもわかる。


 だが、だからこそ、疑問は大きくなった。


 ――なぜ社長は、それほど高本の「退職」にこだわるのか。


 そこから十分ほどかけて俺たちは工場内を回った。室長は相変わらず質問を連発していたが、高本の方は明らかに口数が少なくなり、同じような返答を繰り返すばかりになった。


 工場を一周りして入り口まで戻ってくると「ほら、もういいだろ」と高本が言う。


 俺たちはまるで生け簀の魚のように高本の巨体で工場を追い立てられ、事務所との間の通路に出た。


「ほら、グズグズすんな。事務所に戻れ」


 だが室長は立ち止まり、くるりと振り返って、とんでもないことを言った。


「仮にあなたが辞めるとした場合、どういう人が必要ですか」


 高本の顔が一瞬で凍りついた。


「なに?」


「だから……あなたが辞めた後にですね」


 信じられないという驚きの表情が、ゆっくりと怒りに変わっていく。


「……辞めねえって言ってるだろ」


「ええ。ですから、仮に、ですよ。どういう人ならここで活躍できるんですか」


 室長の言葉に高本はまた舌打ちをする。だが、もう声を荒げることはしなかった。この変人につっかかっても意味がないと理解したのだろう。


「別に……特別必要な知識なんてねえよ」


「もうちょっと詳しく教えて下さいよ。あなたがこの仕事に一番詳しいと言うから、こうして案内を頼んでいるわけで」


 高本は自分を抑えるため、というような大きなため息を漏らすと、「だから……」と続ける。


「だから……別に何か経験がなくたっていいつってんだ。工業高校卒とかなら御の字さ。だいたい俺だって、完全な未経験から始めたんだ」


「ふむ。じゃ、労働環境はどうなんです? 最近じゃブラック企業撲滅! なんて動きも盛んですけど。御社はブラック企業なんですか?」


 思わず俺は吹き出してしまった。御社はブラック企業なのか、などと正面から聞く営業がどこにいる。そんな俺を高本が忌々しげに睨む。俺は「あ、すみません」と咄嗟に言ってごまかしの咳払いをする。室長は俺たちのやりとりを意に介することもなく答えを促す。


「残業時間とか、月平均で言うとどれくらいんなんでしょう。休憩の取り方とか、有給はちゃんと取れるのかとか……」


 高本はまた溜息を漏らし、呟くように言った。


「……そういう目線でしか見れねえやつは伸びねえよ」


「ん? どういうことです?」


「だから……本人の視点がどこにあるかで、印象は全然違うってことだ」


「ちょっとわかりませんね。説明してもらえませんか」


「……例えば俺だって、入社した頃は全然うまくいかなくて、結果、徹夜して仕上げるなんてことはザラだったよ。それをブラックって言うならブラックだろ。……でも別に不満なんてなかったね」


「ほう、そりゃなぜです」


「自分の意志でそうしていたからさ。できない自分が許せなくて、だから、勝手に頑張ったんだ。残業だって休日出勤だって、別に誰かに強制されたわけじゃない」


「なるほど。……でも、仮に意思があったって、長い残業や休日出勤が嬉しい人なんていないでしょう。どうして乗り越えることができたんです?」


 室長の質問に、高本どこか遠くを見るような、何かを思い出すような顔で、視線を上げる。


「俺だけじゃなかったからな。俺が徹夜する時は、皆がつきあってくれた。……オヤジだって、若くねえのに、作業服着て、頭にタオル巻いてよ。皆で顔を突き合わせて、ああでもないこうでもないって、何十回、何百回って失敗して……」


「……」


「でも頑張ってやり続けて、ついに成功して……抱き合って喜んで、それで外に出てみたらもう次の日の朝だったりするんだよ。……これがブラック企業か? 夢中すぎて誰も朝になってたことなんて知らなくて、おいもう朝じゃねえかって揃って大笑いして……それで事務所に戻ったら、髪の毛ボサボサのおっかさんがウトウトしながらオニギリ握ってたりな。……わかるか、俺たちはそうやってこの会社を作ってきたんだ」


 いつの間にか高本は室長を見ていた。まっすぐに。


「だから……いいか、適当なこと言ってオヤジらを騙すようなことをしたら……俺が許さねえ。わかったかよ」


 室長はその覚悟のこもった目をまっすぐ受け止め、頷いた。


「ええ、よくわかりました」

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