第1章 魔法学院入学編

第1話 裸・裸・ランド 1/4

     1


「魔王死すべし!」


 俺は目覚めると同時に、そう叫んだ。

 俺の中に魔王を憎む正義の心が生まれていた。

 人はそれを下心と呼ぶのかもしれない。

 だが、そんなことは関係ない!

 あの女、こんど会ったらただじゃ置かない!


「あの、ネクさん?」

「ん?」


 目の前には、ハルがいた。

 何故だか、とても焦っている様子だ。

 それを見ていて、俺はあることを思い出した。


 俺たちは今、魔法学院に向かっているのだ。

 これから集合地点まで、自分の足で移動しなければならない。

 だから、今日は早く出発する必要があるのだが――。


「随分と、日が高く昇っていないか?」

「上っていますね」


 嫌な予感が全身を駆け巡る。

 まさか――。


「今、何時だ?」

「集合時間まであと三十分です」

「一応聞くけど……。間に合う可能性は?」

「0ですね」


 0か。

 うん、成程ね。

 完全に置かれた状況を理解した。


「どうするんだよ! 置いていかれたら、自分たちで魔法学院までたどり着かないといけないんだろ! そこまでたどり着く金なんて持ってないぞ!」

「ボクもですよ! というか、どれだけ距離があると思っているんですか? 学院が用意してくれる特別な方法じゃないと、馬車とかを駆使しても普通に二週間はかかりますよ! それに、馬車に乗ってそんなに長距離移動できるようなお金はないですし、かといって徒歩で行くのも無理ですからね! 完全に詰んでいます! 全部ネクさんのせいですからね!」

「人のせいにするなよ! 俺は昨日、身体能力強化なしで走りっぱなしだったんだ! そりゃあ、疲れて寝坊くらいするさ! それに、アンダーウッド家は昼夜逆転生活が当たり前だったし!」

「そんなの自己責任でしょう!」

「そうだよ! それでも――」

「……どうしました?」


 俺は途中で言葉を止めた。

 湖の向こう側から、何かがこちらに向かってくるのが見えたのだ。

 それを端的に表現するとすれば『馬車』としか言いようがない。

 だが、ただの馬車ではない。

 魔法学院が用意したと一目で確信できるレベルの異質さ。

 通常の馬車とは一味も二味も違う、魔法的存在がそこにはあった。


「な、何ですかあれは!?」

「馬車……なんじゃないか?」

「馬車って……。あんなものを馬車と呼べますか!?」

「他に呼びようがないから仕方がないだろ」


 その『馬車』は、すさまじい速度でこちらに向かってきた。

 地響きのような音がぐんぐんと近づいてくる。


「あれって、俺たちを迎えに来たやつかな?」

「分かりませんけど、このままだと危ないような気がします」

「そうだな!」


 俺たちは、馬車の進行方向から外れるべく走り出した。

 その次の瞬間には、馬車は俺たちの背後に轟音と共に到着していた。

 走らなかったら、轢かれていたんじゃないか、これ。


 振り返り、その馬車を見上げる。

 その車体は、通常の何倍もの大きさを誇っていた。

 装飾された五階建ての建物を切り取ったかのようだ。

 これが動くというのが、目の当たりにした今でも信じられない。


 通常であれば、馬力でも引くことは不可能。

 仮に数匹の馬を使ったとしても、ろくに速度は出ないだろう。

 そもそも、あの車体が動けば、振動と重量で崩壊するのが普通だ。

 そんな馬車が、高速で走っていたのだ。

 しかも、急制動で停止までしていた。

 それは、それを可能にする『異常』が存在することを意味する。

 つまり――。


「ハル、これ、どう思う?」

「こ・れ・は! 素晴らしい! 素晴らしいとしか言いようがありません!」


 ハルはひどく興奮しながら言った。

 頬を赤く染め、目を輝かせている。

 どうやら、こいつは魔道具に興奮するタイプの変人のようだ。


「まず、この馬車そのものが魔道具なんです! 多分、姿勢制御に軽量化の魔法等、様々な魔法効果を組み合わせて、これほどまでの巨大な構造を可能にしているのでしょう! その絶妙なバランス! 機能美! どれをとっても超一流!」

「そ、そうだな」

「そして、車体の他にも注目すべき点があります! それは、この車体を牽引しているのが『ペガサス』だということ!」

「だよな~」


 この馬車を牽引していたのは、二体の魔法生物――即ちペガサスだった。

 ペガサスとは、大雑把に言えば羽の生えた馬だ。

 だが、ただの馬では――。


「ご存じの通り、ペガサスはただ馬に羽が生えただけのものではありません! そもそも、馬に羽が生えたところで空を飛ぶことは不可能です! それを可能たらしめているのは、ペガサスが生まれながらに使用することが可能となっている魔法的能力なのです! そして、魔道具と魔法生物の両方を組み合わせて操るのは、見た目ほど簡単なことではありません! それを可能にするのは、極限まで計算されつくした構造と、御者さんの技術の賜物! これは魔道具職人が目指すべき極地の一つと言っていいでしょう!」

「分かった。分かったから、少し落ち着いてくれ」


 早口で捲し立てるように言うハルを制止する。

 それでようやくハルは話すのを止めた。

 すると――。


「おい、お前たち。あたしを無視とはどういう了見だ?」


 怒りのこもったドスのきいた声が降ってくる。

 その声の主は、御者席に座っていた。

 野性味あふれる若い女性。

 短髪で攻撃的な顔つきをこちらに向けている。

 まさに『戦士』といった印象を受ける。

 御者席にいながら、何故か肌を大きく露出する水着のような服装をしている。


 だが、それは女としての色気を主張するものではない。

 それは、鍛え抜かれた肉体を見せつけるための服装だった。

 日焼けしたその肉体は、美しい筋肉を讃えている。

 まるで、筋肉という鎧を着ているかのようだ。


「お前たち、魔法学院の新入生だな!」

「……はい」

「気の抜けた返事すんな!」


 それは仕方がないだろう。

 規格外の馬車。

 希少な魔法生物。

 それに興奮する少女。

 異様に美しい筋肉を見せびらかす女。


 何一つとして、平凡な要素が存在しないじゃねぇか!

 気の抜けた返事もなにも、気を引き締める要素が存在しない。


「ああ、そうだ。自己紹介がまだだったな。あたしは、ロゼリア・ポーラス! 魔法学院の教師で、この馬車の御者もやっている! まぁ、気軽にロゼリア先生とでも呼べ! というわけだから、さっさと乗りな!」

「あ、あの、これは魔法学院に向かうんですよね?」

「そうだ! 当たり前だろ?」


 ロゼリア先生は何の疑問もないといったように答えた。

 だが、ここまで俺たちを迎えに来るというのはおかしい。


「集合場所、ここじゃなかったと思うんですけど」

「なんだ、そんなことか。そういえば、お前たち何でこんなところにいるんだ?」

「のっぴきならない事情がありまして」

「なんだ、それ? 難しい言い方するなよ、お坊ちゃん? 簡単に説明しろ。さもなくば、置いていくぞ」


 簡単に説明か。

 出来ないこともないが、信じてもらえるだろうか。


「盗賊に襲われ馬車が壊れたので集合場所まで走っていこうと思ったら体力が尽きて休憩がてら睡眠をとっていたら寝坊しました」

「気に入った!」

「ええっ!?」


 一体どこに気にいる要素が――。

 いや、この女の体を見れば、大体予想はつく。

 この脳みそまで筋肉で出来ていそうな見た目からすれば――。


「馬車がないなら自分の足で走ればいい。そのど根性、貴族のお坊ちゃんにしては見どころがあるじゃねぇか!」


 やっぱりそこだったか!

 まぁ、そこが評価されたなら、昨日一日走り続けた甲斐はあった。


「ああ、それと。なぜここが分かったかという話だが。お前たち、入学許可証持っているだろ?」


 いいえ、持っていません!

 箱の中は全部見たけど、そんなものはなかった。

 でも、ここで正直に言うと乗せてもらえない可能性があるよな。


「あー、あれですね、あれ」

「あの入学許可証には特別な魔法が施されていて、あたしからその位置が大体分かるようになっているんだ。だから、集合地点にいなくても、運が良ければ乗せていく。運が悪かったら、自分で何とかしてもらうしかないけどな」


 危ねー。

 ハルが一緒じゃなかったら、俺は一人で置いて行かれていた。

 常々運の悪い俺だが、今回だけは幸運だった。

 俺がほっと胸をなでおろしていると、ロゼリア先生は勢いよく告げる。


「さぁ、話はこれでおしまいだ! さっさと乗んな!」


     2


 俺とハルは、乗り口から馬車に乗り込んだ。

 馬車の中には、新入生と思しき魔法使いが多数乗っていた。

 少し見まわしたが、その大半が女生徒だった。

 というか、全員が女生徒だった。


 女生徒たちは、俺が乗り込んだとたん、俺に視線を向けた。

 それは、ただ見ているだけの視線ではない。

 観察し、吟味されている感じ。

 肉食獣に囲まれた小動物のような気分だ。

 あるいは、学者に観察されている実験動物か。


 とにかく、この居心地の悪い視線からは何とかして逃れたい。

 そう思っていたら、彼女たちはすぐに視線を外した。

 なんだったんだ、これ。


「品定めされちゃいましたね」


 後ろからハルが言った。

 何故か目を細めて楽しそうな表情を浮かべている。


「品定めってどういうことだ?」

「魔法学院に通う女生徒の中には、保有する魔力量が大きい殿方を手中に収めることを目的とする方も多くいるそうです。そうすれば、将来的に保有魔力量の大きい子供が生まれ、その家の発展につながりますから」

「入学した時から婚活か」

「多分、追放された元アンダーウッド家のネクさんだということはほぼ全員にばれていますよ。貴族様は貴族様で、商人と同程度には情報が早いですから」

「それもお家のためか」


 俺たちは、空いている席に座った。

 すると、その隣の席の女生徒が、少しだけ表情を歪ませた。

 俺、何かした? 泣いていいかな?


「ネクさん、もしかして、ボクたちってとてつもなく汗臭いのではないでしょうか? 昨日はずっと走りっぱなしでしたし。色々あって体を洗ったりする余裕もありませんでしたから」

「ああ、そうかもな」


 俺はハルの匂いを嗅ぐ。

 多少の汗臭さと、何故か少しフルーティーな香りが混ざっている。

 もしかしたら、香水でもかけたのだろうか。

 そう考えていたら――手刀を脳天に叩き込まれた。


「何をするんだよ」

「こっちのセリフですよ! 一から百までこっちのセリフですよ! 何をするんですか! 匂いを確認するなら、自分の身体でやってくださいよ!」

「自分のだとよく分からなかったりするだろ?」

「だからって、ボクの匂いを嗅ぐことないじゃないですか! 乙女の羞恥心をなんだと思っているんですか!」

「大丈夫、あんまり臭わなかった」

「臭うわけないじゃないですか! 昨日、ネクさんが寝静まった後、こっそり水浴びしていたんですから!」

「なんだと!? 俺が眠っている隙に、そんなことが……」

「ネクさんが突然目を覚ますのではないかと思って心配でしたけどね。寝言で『おっぱい、おっぱい』言っていましたし」

「そんなことを言っていたのか、俺!?」

「はい。どんな夢を見ていたんですか?」

「……おっぱいを揉むために魔王との決戦に挑む夢」

「なんですかそれ……。やっぱり、ネクさんって凄まじい変態ですね」

「おい、そういうこと言うなよ」

「あ、ごめんなさい。ちょっと言い過ぎました」

「興奮しちゃうだろ?」

「このド変態!?」

「その変態という言葉! ハルに言ってもらえるなら、悪くない!」

「おかしな誤解を招きそうな発言をしないでください! 動いている馬車から突き落としますよ!」

「愛情表現ってやつか」

「もうやだ、この人!」


 俺たちは周囲の目を気にせず騒いでいた。

 すると――。


「それじゃあ、出発するぞ!」


 ロゼリア先生が手綱を使ってペガサスに指示を与えた。

 すると、馬車がゆっくりと動き出す。

 巨大な馬車が動き出し、ぐんぐん加速する。

 この大きさでこの速度。

 色々なものに衝突してしまうのではないか。

 そんな疑問が頭をよぎったが、それは杞憂だった。


 動き始めて少しすると、牽引しているペガサスが宙に浮き始めたのだ。

 そりゃあ、ペガサスだし、浮くよな! 羽あるし。

 それに続いて、俺たちが乗っている馬車も宙に浮く。


 周りを見ると、明らかに元気のない生徒が数名見受けられた。

 こんなのに乗っていたら酔っても仕方がない。

 そんな生徒のことを気にかけることなく、ロゼリア先生は一方的に呼びかける。


「それじゃあ、次の奴を迎えに行くぞ! 飛ばすから、全員気合い入れて行けよ! 気分悪くなったら、自分で何とかしろ!」


 そう言って、ロゼリア先生はペガサスに鞭をやった。

 馬車の速度が目に見えて早くなる。

 窓の外には、これまで体験したことのないような速度で外の景色が流れていく。

 これが外の世界か。

 アンダーウッド家から離れた世界。

 広い広い、際限のない世界。


 俺はただ、その光景を感動しながら見ていた。

 この直後に酷い目にあうのも知らずに。

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