番外編 その頃のアンダーウッド家

 エレノア・マクベス。

 元貴族令嬢にして、孤高の盗賊。

 これまで、数々の危機を持ち前の魔力によって乗り越えてきた。

 そんな彼女であるが、現在危機的状況にいた。


 ネクたちに敗れた後、彼女は『運び屋』の男によって運ばれた。

 魔力を持った生きた商品として。

 運び込まれた先は、アンダーウッド家だ。

 そのことに気づいたとき、彼女は恐怖で気を失いそうになった。

 だが、それも今ほどではない。

 彼女は現在、ある少女の前で直立不動の姿勢をとっていた。

 身体に付着したジョゴスが蠢いてはいるが、それを気にする余裕もない。


「これが、その『商品』ですか」

「はい。盗賊ですが、魔力持ちでございます」

「成程、確かに多量の魔力は持っているようですね」


 イヴ・アンダーウッド。

 一見、ただの可愛らしい少女だ。

 だが、魔法の才能を持つエレノアは、一目見た瞬間に理解した。

 あれは、別次元の化物であると。

 神々、あるいは悪魔か。

 そういう類のものが、人の皮を被って人の振りをしている。

 それが、エレノアがイヴに対して抱いた印象だ。

 そして、そのイヴは、エレノアの目の前で運び屋と話をしている。


「ところで、話は変わりますけれど、運び屋さん」

「はい」

「ネクお兄様が裸のまま箱に入った状態で輸送されていたというのは、事実なのでしょうか?」

「それは……」

「何でも、うちの使用人が依頼をしたのだとか」

「そ、それは言えません」


 絞り出すようなかすれた声で答える運び屋。

 かろうじて残っていた運び屋の魂がそう告げさせた。


「そうですか。では、使用人たちを吐かせることにしましょう。全く、お兄様に対して、そんな酷い扱いをするだなんて……。それなりの対応をする必要がありそうですね」

「それなりの対応――ですか」


 一体、どんな目にあわされることになるのか。

 考えただけでも、吐き気を催しそうになったが――。


「金一封です」


 その言葉の意味をエレノアは理解できなかった。

 運び屋も同じだったようで、意外そうな表情を浮かべながら尋ねる。


「金一封ですか?」

「ええ、面白かったので金一封です。それに、使用人たちがそんな悪戯をしてくれたおかげで、エレノアさんとも出会うことが出来ました。この出会いには感謝しなければなりません」


 イヴは無邪気な笑顔をエレノアに向ける。

 それを見たエレノアは恐慌状態になり、体中を震わせた。


「ところで運び屋さん。彼女の値段ですが――どれくらいを考えていますか?」

「こいつには馬車を壊されているうえに、商品を駄目にされています。最低でも、百万ゴルはいただきたいところで――」

「では、それで買いましょう」


 イヴの言葉に、運び屋は固まった。

 最初は高めの値段を告げ、それをもとに交渉を行う。

 高額な商品を扱う場合は、それが常となっていた。

 だが、イヴは言い値で買うと言っているのだ。


「よ、よろしいのですか?」

「ええ、何か問題でもありますか?」

「いえ、どんでもございません!」


 問題があるどころか、僥倖というしかなかった。

 怖い思いをしたが、その甲斐があったというものだ。


「では、うちの経理担当と一緒に別室にて手続きをしてください。これで正式に、エレノアは我がアンダーウッド家にお迎えしたということで」

「はい、かしこまりました」


 運び屋は、男性執事と一緒に客間を出た。

 部屋には今、イヴとエレノアの二人だけが残されている。

 そして、イヴの視線がエレノアに向き――。


「ところで、エレノアさんでしたか?」

「は、はい」

「ちょっと顎を上げてくださいますか?」


 イヴはそう言いながら、エレノアの顎を右手で上げる。

 そして――その唇に、自らの唇を重ねた。


「ふぁ、ふぁにを!?」


 抵抗する言葉を吐いたものの、エレノアは動けなかった。

 それはただの口づけではない。

 口を通して、魔力を吸い取られる感覚。

 それは、魔力欠乏症の心配があるほどに強烈なもの。

 だが、抵抗は出来なかった。

 ネクによる【コンフ】の効果が抜けきれていない今、それはすさまじい快感を伴った。

 結果、腰が抜けて床にへたり込む。

 その間もイヴの唇は、エレノアの唇を離さなかった。

 そして、数秒後には、エレノアの意識は昇天してしまっていた。


「さて、突然失礼しました」


 イヴは口元をペロリと一舐めしながら言った。


「あの、今のは一体、どんな意図があって」

「お兄様から魔法を受けたと聞きましたので、その魔力を調べさせていただきました。もうすっかり、体は良くなっていると思いますが?」

「へっ?」


 言われてみれば、体が随分と軽かった。

 突如として現れる快感に備える必要もない。


「何をしたんですか?」

「貴女の中に残置していたお兄様の魔力を回収させていただきました。いえ、正確に言えば、お兄様の魔力ではないのかもしれませんが。いずれにせよ、大変有意義でした。どうやら、お兄様は特殊な魔力を手に入れられたようですね」

「特殊な魔力ですか?」

「まぁ、それについてはこちらの話です。さて、話を戻しましょうか。ああ、そんなに畏まる必要はありません。没落したとはいえ、貴女も貴族の一員であることに変わりはありませんから」


 突然投げられたその言葉に、エレノアは息をのんだ。

 いずればれてしまうかもしれないとは思っていたが、いくら何でも早すぎる。


「……分かっていらっしゃったのですか?」

「ええ、勿論。そうでなければ、盗賊一人にあの金額は出せません。さてさて、エレノアさん。貴女は正式にアンダーウッド家の『所有物』となりました。故に、貴女が所有している屋敷や爵位もすべてアンダーウッド家のものということになります。まずは、その処分についてお話ししましょう」

「処分って……」

「まず、屋敷と爵位はその辺の成金さんに売り払ってしまうことにします。これだけで、先ほどお支払いすることになった100万ゴルは軽々回収できます。全く、いい買い物をしました。『お買い得』という言葉は、こういう時にこそ使うべきなのでしょうね」


 エレノアは困惑するしかなかった。

 だが、そんな中でも、エレノアは気づいた。

 このままでは、大事なものを奪われてしまう。

 これまで生きてきた理由、盗賊をやってきた目的をつぶされてしまう。

 だから――。


「あの、イヴさん。申し訳ないんだけど、屋敷と爵位はそのままにしておいてもらえませんか?」


 恐怖に支配されながらも、そう主張した。

 だが――。


「お断りします」


 イヴはそれをあっさりと拒否する。


「でも、それを失ったら、あたしは生きる理由を失ってしまいます」

「そんなもの、ここに来る前から失っていたじゃないですか。貴女の心は、とっくの昔に折れています」


 心臓を掴まれたような感覚に襲われるエレノア。

 だが、それを認めるわけには行かなかった。


「そんなことは……」

「貴族というのは、それなりにネットワークを持っているものです。もちろん、没落した貴女の家はそのネットワークから外れているでしょうけれど。そこから得られた情報によると、すでに貴女のお屋敷は手入れが行き届かなくなっているのだとか。お金になる家具類は売却済。庭の手入れも碌にされていない。貴女が最大限の努力をしたうえで、この状態になっています」

「それは……」

「もう分かっているはずです。貴女の努力は無駄でしかないと。中身のない爵位を保つためにお金を使うのは、死体に心臓マッサージをするようなものです。あるいは、枯れた花に水をやるのにも似ています。貴女は、それを認めたくないだけで、理解はしている。だから、貴女は考えているんですよね? 『いっそのこと、誰かに殺されて、楽になりたい』と」

「そんなことは――」

「ないとは言わせません」


 断言する少女。

 その瞳は、エレノアのすべてを見透かしているようだった。

 あるいは、実際に見透かしているのかもしれない。


「貴女は自暴自棄になっていた。もはや、まともな判断能力など残っていなかった。そうでなければ、貴族令嬢だった方が、盗賊などという生き方を選ぶはずがありません」


 押し黙るエレノア。

 イヴは更に言葉を続ける。


「ですから、貴女にはその願いを叶えて差し上げようと思います。魔力を持った女性を使った実験を行うのは初めてなので、どういう順序で行うのが最も長く使いつぶせるか検討してからになりますが」

「っ……」

「おや、もしかして本気にしてしまいましたか? 軽いジョークのつもりだったのですが。まぁ、ジョークでなかったとしても、貴女は別に構わないでしょう? 死にたいと思っていたのですから――」


 その雰囲気に、エレノアはすっかり飲み込まれていた。

 そんな彼女に対し、イヴは軽い調子で告げる。


「ええ、ですから――死に場所を提供して差し上げるのはむしろ親切というものです」



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