第18話 魔王の魔力 あるいは おっぱい 5/5

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「おっぱいを触らせてやろう」


 ソフィーは胸を張りながら言った。

 プルンと震わせながら、言いのけた。

 そして、その言葉を俺は確かに聞いた。

 そのような重要なことを聞き漏らすはずもない。

 だが、念のために確認をさせてもらおう。


「もう一度聞かせてもらえるか?」

「……お、おっぱいを触らせてやろう」

「もう一度」

「お……おっぱいを――お主、言わせたいだけじゃろ!」


 ソフィーは顔を赤らめながら言う。

 成程、おっぱいか。

 おっぱい――それは女性の膨らんだ胸部を指す。

 その感触を求め、数多の男どもが憧れ、身を焦がす。

 俺も男だ。

 その憧れに触れたくないと言えば嘘になるだろう。

 だが、ここでソフィーの誘いに乗ったらどうなるだろう。

 彼女は調子に乗って、遥かなる高みから俺を見下すことになるだろう。

 彼女とは長い付き合いになるだろうから、そういうのは避けたい。

 というわけで、ここは乗るべきではない。

 これが結論だ。


 だが、待って欲しい。

 果たして、そのような常識に縛られた結論は、魔法使いに相応しいものだろうか。

 魔法――それは、新たな世界の理を探求するものだ。

 だとすれば、魔法使いと言うのは、もっと自由な精神性を持つべきだ。

 そこに手に入れたいものがあるというのなら、社会性など気にしなくてもよい。

 むしろ、気にするべきではない。

 気にしてはいけない。

 それが魔法使いなのだ。

 以上の思考を、1秒以内に済ませ、俺は告げる。


「それで――勝負はいつ始める?」

「躊躇うことなく、乗り気になりおった!」

「何か問題でも?」

「いや、乗り気にさせるために言ったんじゃが、少しは自重したらどうじゃ? あるいはその精神性を少しでいいから自嘲したらどうじゃ?」

「そんなことを言われても――やる気が出ちゃう! だって、男の子だもんっ」

「なんか、むかつく言い方じゃな!?」

「そんなことより、いつ始めるんだよ?」

「始めるのはいつでもよいぞ。じゃが、そう簡単に――」


 ソフィーに生まれたほんの少しの気のゆるみ。

 その瞬間を俺は見逃さなかった。

 ごく自然な動作で、ソフィーに一歩近づく。

 握手でも求めるかのような自然体。

 警戒されることなく右手を差し出し――。


 その手をソフィーの胴に向けて放つ。


 その瞬間、ソフィーはすさまじい速度で体をねじった。

 そして、そのねじりを利用して、体を横にずらす。

 本来であれば、胴のど真ん中に当たるはずだった攻撃。

 回避しようがないはずの攻撃。

 だが、それはソフィーの身体をかするだけに終わった。


「甘かったのう――」

「はい、一発! これで俺の勝ちだ」


 得意げな表情を浮かべるソフィーに対し、俺は勝鬨を上げた。

 いや、だって、かすっただけと言っても、当たったわけだし。

 ノーダメージというわけではない。

 限りなく0に近いダメージだろうが、0ではないのだ。

 だったら、これは俺の勝ちだろう。


「おいこら、待て。お主、妾の意図するところを何も理解しておらぬじゃろう!?」


 興奮するソフィーに対し、俺は諭すように言う。


「そんなことはないさ。お前は、俺におっぱいを触ってほしかったんだ。だけど、それを素直に言えないから勝負なんてことを言いだした!」

「何一つ伝わっておらぬではないか!?」

「伝わる必要はない。必要なのは結果だ。条件はクリアされた! 俺はお前のおっぱいを揉む権利を手に入れた。それが今最も重視されるべき結果だ! さぁ、お前のおっぱいをこの俺に揉ませるがいい!」


 俺はそう言いながら、一歩ソフィーに近寄る。

 そう、約束の時が訪れたのだ。


「ネクよ、考え直さぬか?」

「断る! 断固として、俺は、おっぱいを揉む!」


 これまで、女性の生の胸を見たことは何度もあった。

 だが、それらは、死体になった状態のものだった。

 後は、イヴのものくらいだが、これは除外していいだろう。

 小さかったし、妹のものだし。


 対して、目の前にあるものは生命力に溢れている。

 魂の具象化によるものとはいえ――否、だからこそである!

 それは、あらゆる外部要因を取り除いた純然たるおっぱいであるはずなのだ!

 そう、これはおっぱいという純粋概念そのものなのだ。

 とうとう、それを手中に収める時が来たのだ。

 それが、手に届くところまでやって来たのだ。

 その想いを胸に、俺は手を伸ばし――。


「じゃが、断る」


 そう言って、ソフィーは俺の身体を蹴り上げた。

 その衝撃は、これまで経験したことがないほどに強烈だった。

 体を貫通したと錯覚するような鋭い痛み。

 その後は、身体に力が入らなくなり、床に倒れこんだ。


「約束が違うぞ!」

「約束? 約束とは何じゃ?」


 俺の非難の言葉に対し、ソフィーがあざけるような口調で尋ねた。


「一撃でも入れることが出来ればおっぱいを揉ませてくれると言ったじゃないか!」

「言ったのう。じゃが、妾は『いつ』とは言ってはおらぬ。妾がその気になれば、それは一年後、二年後、あるいは十年後ということも十分に在り得る話じゃ」

「騙しやがったな!」

「また、妾は『誰の』とも言ってはおらぬ!」

「なんだと!?」

「妾が許すと言ったのは、お主の隣で眠りこけている小娘のおっぱいを揉むことじゃ! ゆえに、契約が成立したところでお主は妾のおっぱいを揉むことは叶わぬ! どうじゃ、小僧! これが魔王じゃ! この魔王の狡猾さに恐れおののくがよい! ふははははははははっ!」


 ソフィーは右足で俺を踏みつけ、そのまま高笑いをした。


「なんてことだ。俺の中に、魔王を許さないという正義の心が芽生えてしまった」

「動機!?」

「この俺としたことが。まさか、こんな安いペテンにかかるとは」

「何とでもいうがよい。じゃが、よいのか? 小娘は未だ眠りこけておる。今なら妾は見て見ぬふりをしてやるぞ」

「この悪魔め」

「悪魔ではない。魔王じゃ。さぁ、我が手を取るがよい」


 俺たちは固い握手を結んだ。

 逡巡する間もなく、友好条約が締結された。


「妾が言うのもなんじゃが、やっぱり決断早過ぎぬか?」

「考えたって仕方がないこともあるさ」

「それもそうじゃな。それでは、特訓を開始しよう」

「……は?」

「改めて特訓開始じゃ。改変能力を使わずに妾に一撃でも攻撃を当てることが出来れば、お前を目覚めさせてやろう」

「この女……! いいだろう、全力でやってやる! 魔王だろうが何だろうが関係ない! 叩きのめしてやる!」


 こうして、俺たちの特訓は始まった。

 ソフィーはこれまでの鬱憤を晴らすかのように魔法を駆使して暴れまわった。


「ふはははははっ! これは爽快じゃな!」


 俺は逃げまわりながら、ソフィーを観察し続けた。

 隙を突こうにも一切の油断がなく、近寄ることすら難しい。

 分析をしようにも、使っている魔法の種類すら分からない。

 いくら何でも、これは圧倒的過ぎる。

 そこまで考えたところで、俺はふとあることに気づいた。


「おい、ソフィー」

「何じゃ? 言葉で惑わして油断させようという腹積もりか?」

「いや、違うから。これって、魔法の特訓じゃないよな?」

「……そこに気づくとは」

「馬鹿にしてんのか!? それで、これって一体、なんの特訓なんだ? さっきから、俺は一度も魔法を使ってないんだけど」

「当然じゃ。そもそも、これは魔法学院で生き延びるための特訓なのじゃからな。生き延びるために必要なのは、攻撃でも防御でもない。逃走テクニックじゃ! お主は後の世で、逃げ上手のバカ君と呼ばれることになるであろう!」

「魔王が逃走を勧めるのか!?」

「当然じゃ。妾も時には逃げる。だって、女の子じゃもん」


 ウザい言い草だった。

 やられて見て、初めてわかるウザさ。


「俺は、格好よく魔法を使って『ネクさん、すっご~い』って言われるようになりたいんだ!」

「まずは逃げる特訓からじゃ。人間離れした動きで敵の攻撃を避け続け『ネクさん、すっごくキモ~い』と言われるようになってもらう! それに、この空間内では魔法は使えぬからな」

「そうなのか?」

「そりゃあ、魂の具象化空間じゃからな。現実とは理が異なっていて当然じゃろう」

「それじゃあ、さっきからお前が使っているのは何なんだよ?」

「これは、妾がこの空間を改変して生み出している『魔法のような何か』じゃ。お主はおっぱいに触りたいあまり、それを自分自身で封じたから、使えないじゃろうけどな。じゃが、それでも望むのなら反撃をしてくるがよい」


 相手は強力な魔法もどきを打ち続けることが可能。

 こちらはそれを避け続け、ほんの僅かな隙を待つしかできない。


 成程、確かに状況は絶望的だ。

 だが――。


「俺は諦めない! 絶対にお前に一撃入れてやる!」

「お主、どれだけおっぱい触りたいんじゃよ」


 俺は確固たる意志をもって、ソフィーと対峙した。

 アンダーウッド家に生まれて、これほどまでに真剣になったことはない。

 ここが、俺の新たな人生の第一歩なのだ。


 俺たちの戦いは、数時間にわたって繰り広げられた。

 避け切れなかった魔法もどきに当たって、何度も大けがをした。

 だが、この空間では怪我はすぐに元に戻る。

 俺は決してあきらめることなくソフィーに挑み続け――。


 そして――。

 翌朝、盛大に寝坊した。

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