第213番個体の記録――任務開始から150年

 棺が並んでいる。

 暗がりの中ぼんやりと武骨な直方体が見える。足元を導くための薄いライトが道を作っていた。メリナ・213・レプオルモはそれを辿りながら、棺に記された名前を眺めた。

 ここで眠っているのはコールドスリープで次の世代まで眠っている者たちだ。起きるのは数十年後になるだろう。

「ああ嫌だ……」

 メリナはぶつぶつと歩きながらつぶやいていた。猫背でまわりに視線を配りながらも、どこか顔色が悪い。

「メリナさん」

後ろを歩く少女が声をかけてきた。びくりとメリナは驚いて慌てて振り向く。それが32だと気が付くと、ほっと溜息をついた。

「何をおどおどとしているんですか。しっかりしてください」

「いや……でも」

 32はまたもため息をついた。

「まあ、いいです。それではしばらくお別れですね。もしかしたら世代交代して今生のお別れかも」

「そうだね……」メリナは彼女の言葉を聞いて、少し考えた。

「……ねえ、もしよかったらもう少し起きてない?いや一人でもできるんだけど、あなたが起きていたほうが楽なことが多いんだよ」

「……」

 32はじっとメリナのほうを見てくる。そしてため息をついた。

「ちょっと目をつむってください」

「え? な、何?」

「いいから。冬眠装置に頭を乗っけてみてください。」

「ちょっと、まさか殴るんじゃないよね?」

「大丈夫ですって。やってみてください」

 メリナは言われた通りにした。

 次の瞬間頭に強い衝撃を受ける。強い衝撃を頭蓋に受けることになり、頭が揺れる。頭皮から血が出ることとなった。痛みで思わずその場に崩れる。蹴られたようだった。

「がっ!? な?! なに……何を!?」

「甘えてんじゃないですよ。先代のあなたはもう少ししっかりしてましたね」

 34は勢いよくメリナの髪の毛を掴んだ。

「やめ……やめてよお!」

「あなたねえ。やってほしいことがあるならちゃんと湾曲的なことを言わずにしっかりと口に出してください」

「うぐ……やめて……やめてください……痛い痛い痛い」

「敬語はダメだって言ったでしょう」

 32は髪の毛を引っ張りながら冬眠装置の間を通っていく。そして一つの前で立ち止まり、メリナを床に這いつくばらした。

「わかりますか? これがあなたの先代が眠っている装置です。死体を処分しきれなかったので冬眠装置に押し込んでデータを差し替えているだけですが。あなたの態度はこの彼女に申し訳ないと思わないんですか?」

「ごめんなさい……ちゃんと先代みたいになります! だからこれ以上痛くしないで……」

「先代はね。何をやるにも冷静沈着で、そつなく任務をこなしていました。そしてよく私を可愛がってくれましたよ」

「可愛がってて……正気かよ」

 32の蹴りがメリナの頭を直撃した。

 うめき声を気にせず32は話を続ける。

「ですから私がいなくてもちゃんとやってもらわないと困るのです。まあ、他にも仲間はいるので本当に一人と言うわけではないので、頑張ってください」

「は、はい……」

「敬語禁止!」

「わか……わかった!」

 メリナは痛みに耐えながら、何とか返事をする。しばらくせき込んでまた声を荒らげた。

「私! 32が起きるころにはちゃんと一人前になってるから! むしろこれまでの仕返しにこき使うくらいになってるから!」

「それはどうかと思いますが、まあ」と32は頷いて見せた。「期待はしています」


 それからまた仲間を集めて、32は冬眠装置の前に立った。何度も確認した引継ぎ事項をまた暗唱して見せ、それから安心したように眠りについて行くのだった。

 仲間たちが去ってもメリナは彼女が入った冬眠装置をじっと見つめていた。

 メリナ・212・レプオルモは生まれた時からこの宇宙船の中しか知らない。そして任務を遂行するために生きているのだという。

 ならば、と思う。

 

――今度こそ自分の代で辞めてやめてもいいのではないか。


 自分のせいでより大きなものを台無しにするのは嫌いではなかった。人のがっかりする姿は好きだ。『お前は駄目な奴だ』と言われると「はあ? あなたの想像している百倍駄目な奴ですが?」と開き直りながら奇行に走りたくなる。

 何かないかと冬眠部屋を見回した。そして32の入った装置の前で視線が止まる。

 今、自分は優位な立場にいるんじゃないだろうか。そう思った瞬間、ふつふつと欲望が湧いてきた。どうして私はあんな小さい子にいいようにやられてたのだろうか。

 私のほうが起きている期間は長いので、何とかやり返せばよかったんだ。それはそれとして今が絶好のチャンスだと気が付く。

 冬眠装置の動かし方はすべて理解している。そして中の人の安全な体の動かし方も。

 メリナはゆっくりと立ち上がり、32の入った装置をいじり始める。ディバイスを操作し、1時間程度であれば外に出せるようにする。手術などはこうやって大抵行う。間違って誰か入ってこないように部屋自体をロックする。言い訳も複数考えておく。正常にコールドスリープできているという偽のデータを読み込ませて、装置自体を騙した。

 準備を入念にしてさっそく開けた。

 白い煙が箱から漏れ出てゆっくりと地面に落ちていった。霧が晴れるように32の体が現れる。一糸まとわぬ姿で装置の内部機関により白く輝いているように見えた。メリナはそれを見下ろしながら、ごくりと唾を飲み込んだ。そしておもむろに手を伸ばし彼女の体を触った。

 股の間には何もない。生殖器も生まれたときかからつけていないようだった。限りなく冷たく、まるで死体のようだ。そのまま手を上げていき、胸に触れる。脈拍は感じられない。百分の一にまで落とした鼓動は、手には伝わっては来ない。

 装置の蓋部分に結露が出来始める。メリナは漏れ出た冷気により身震いをした。

  ラクガキ程度で済ませるつもりはなかった。性的興味はあるかないかで言えばある。32は先ほど先代には可愛がってもらったって言っていた。それはつまり性的な意味ではないだろうか。ではクローンである自分もまた性的な行為をする権利があるのではないか。

 メリナは息を荒くしながら、まずどうしようかと考える。言い知れない気持ちがゆっくりと腹の下あたりから湧き上がってきた。沸き上がった者は音となって、腹から鳴り響く。その音は空腹時の音に似ていた。


 ――??


 待った。今の音は『似ていた』とかではなく、実際に腹の虫だったのでは。確かに32の肢体を見つめていると唾液で口がいっぱいになった。それは間違いなく食欲であった。まさか、と思いながらもメリナは32の唇にそっと触れてみる。柔らかく、冷たい。そして甘い香りがした気がした。

 メリナは可能性を考える。彼女を食すことが出来るかと。

 彼女を殺すことはできない。これは当然のことだ。彼女に殺意を向けることはできないと、認識を植え付けられている。保身以外にも32を殺したくないという気持ちに嘘はなかった。

 ならほんの少しだけ……例えば片足だけとかはどうだろうか。32が起きた時に足が付いていないと大問題だ。管理をしているのはメリナなのだから、すぐに誰がやったかはわかる。しかし32が起きるのは数十年後となる。ならばその間に変わりの脚を見繕うというのはどうだろうか。この部屋にはたくさんの冬眠中の人間がいる。そして彼らの中にも暗殺対象がいた。寝ている間に少しプログラムをいじって『事故死』してもらう人もいる。そんな中からちょうどいい脚を切り取って、32の脚にくっつける。暗殺対象には子供もいるから適応する脚は多分見つかるだろう。仮に見つからなくても生者の中から探せばいい。死者が一人や二人変わっても大した違いではない。じゃあつまり両手両足程度までなら切断して食すことが出来るのではないだろうか。

 何回かプランを練り直し、ようやく実行に移すことが出来る段階に入った。


 数日後。棺を開けたり閉めたりしながら、何日もかけて32の脚の切除に成功した。冬眠中は心臓の動きが限りなく弱いために、少しの出血が命に係わる。自立循環する人工血液が体を満たしているが、これを的確に切断面より上部で折り返させなければならない。応急処置程度の医療装置は冬眠装置自体に付いていた。それらをハッキングして、切断の手術を行う。3代ほど前の自分が医療を学んでいてよかったとメリナは感謝した。

 そしてその切断した足を食べることが出来る状態まで加工出来た時は涙を流した。食品加工と料理の技術を学んだ6代前の自分に感謝した。ブロックに切り分けて、空いている冬眠装置を冷蔵庫代わりにして保存した。空いてなかった場合は、どいてもらってスペースを作った。

 計画は順調に進み、無事32の肉を食すことが出来た。何よりもおいしい、というわけではないが、生意気な彼女の肉を食べているという優越感は何にも代えがたい調味料だと言えた。そして彼女を自分の中に入れるという行為から言いしれない満足感を得ることができた。

 しかしながらここまで来るのにかなりの時間と労力を消費した。一人でやるのにはかなりの限界を感じていた。誰か協力者が欲しいと。それに加えて、メリナもまた冬眠する必要があり、実行を数年後に控えていた。しかし32の治療のための代わりの脚を見つけるのが難航しており、おちおち寝ている暇もなかったのだ。せめて冬眠中に誰か代わりに探してくれないだろうか。

 そこでメリナは思いついた。同じ趣向を持った同志を作ればいいのだ。

 これだけの囚人がいるのだから、食人趣味の人間もそれなりにいるだろう。そういった人たちにノウハウを伝授し、他の冬眠中の人間を食用とするラインを製作する。世代が進めば新しく食人趣味を植え付けることが出来るはずだ。幸い自分の役職はそういった先導をするのに向いていた。もちろん32をほかの人間に食べさせることはしない。これは自分のものだ。

 自分の描いた未来に、メリナは柄にもなくワクワクしていた。おそらく計画の成就にはかなりの時間を有すだろう。だがきっと大丈夫だと、根拠のない自信がメリナにはあった。

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