第35話 勝敗

「ふぅー……」


 午前十時。制限時間が来て、俺は描画道具を置いた。

 デッサンは完了していて、俺としては納得のいく絵になった。

 朱那も立ち上がり、体をぐりんぐりん動かす。


「朱那、お疲れさ……」

「どんな感じになった!?」


 俺が労いの言葉を言いきる前に、朱那がこちらに駆け寄ってくる。

 俺の描いた絵を見て。


「わっ。流石悠飛! 悠飛らしい、すごく温かい絵になったね! こういうの、すごく好き!」

「ああ、うん。ありがとう」


 朱那が、椅子に座っている俺の後ろに回り、抱きしめてくる。狙っているのかもしれないが、後頭部に、や、柔らかな感触が……。いや、これは下着の感触? よくわからないけれど、俺には不慣れな感触である。


「ホント、仲いいなぁ、お二人さん。画家とモデルのカップル……。さて、どうなることやら」

「ん? こういう組み合わせって、なんか良くないんですか?」

「さーね。いいことも、悪いことも、どっちもたくさんあるだろう。好きにやってみればいいさ」

「まぁ、言われなくてもそうしますけど!」


 俺と朱那がイチャイチャしている後ろで、遅れてやってきていた八草と日向が話し合っている。


「……デッサン一つで、ここまで違いが出てくるとはね」

「うーん……色葉先輩も相変わらず素晴らしいですけど、花染さんのは……なんでしょうね。華月先輩を描いたのに、なんで魔女になってるんでしょう?」


 え? 魔女?

 何のこっちゃ、と思い、ここに来て初めて花染の描いたデッサンを見る。


「……え?」


 なんでそうなった?

 すごいとか、上手いとかいう以前に、花染の絵に困惑してしまった。

 俺が温かみ、力強さ、輝きを主に表現する絵になったのに対し、花染の描いた朱那は、酷く陰鬱な空気をまとっていた。

 表情は暗く、顔にも陰が差し、不健康そうで、世界を憎む魔女のような姿。

 朱那らしさが全くなくて、朱那の皮を被った別の誰かを描いているようにしか思えない。

 わけがわからなすぎて、何を言えば良いのかもわからない。

 朱那もコメントに困っている様子で、尋ねる。


「……花染さん、どうしてそんな絵になっちゃったんですか?」

「ん……私には、こう見えた」

「え? わたし、そんなに暗い顔してました?」

「華月がずっと色葉のことばっかり見てるから。こっちの印象としてはこれだよ」

「ああ……なるほど」


 俺も、なるほど、と思わないでもない。

 朱那はいつも俺にばかり笑顔を向けてくれる。俺からするととても温かい女の子だけれど、その笑顔を向けられない側からすると、魔女のように冷たい印象に映るかもしれない。

 それにしても。


「花染さん……。朱那に強い光を感じていたみたいですけど、随分と真逆な絵を描きましたね」

「その光が強いからこそ、振り向いてもらえない絶望も強くなる。

 言っておくけど、私がこんな絵を描こうと思ったのは初めてだよ。こんな絵が描けるとも思ってなかった……」


 花染は、自分の絵をためつすがめつ眺めて、さらに続ける。


「……これ、ぶっちゃけ嫉妬の現れだよな? 恋愛感情ではないと思うけど……そっか。それでも、私はすごく悔しいのか……」


 俺と花染の勝負だったのだけれど、その勝敗などどうでもいいとでもいうように、花染がじっと自分の絵を見つめている。

 その背後に、水澄先生が歩み寄る。


「なかなか屈折した絵を描くじゃないか。私と出会った当初の美砂を思い出すよ」

「……私、こんな絵描いてたっけ?」

「ああ、描いていたね。君は尖っていたし、鬱屈した思いをキャンバスにぶつけて屈折した絵を描いていた。

 ……これは私の勝手な感想だが、君はこういう屈折した絵を描くときに、より大きな力を発揮するように思う。

 それなのに、私と出会ってしまったせいで、トゲが抜け、画風も丸くなってしまっていた。正直、少し惜しいと思っていたのだよ。

 君は……もがき苦しんでいるときこそ、素晴らしい絵を描く」


 水澄先生に対して、おそらく初めて、ぞっとした。

 普段は教師としての姿しか見ていないが、今のこれは一人の表現者としての一面なのだろう。単純に相手の幸せを願うより、表現者としてより力を発揮できることを願う……。そんな、冷酷とさえいえる一面を持つ人だとは、思っていなかった。

 水澄先生の薄ら笑いは、花染の描く魔女よりも、魔女らしく感じられた。


「それで、華月さん。君としては、美砂と色葉君、どちらを勝者とするのかな?」


 水澄先生が朱那に問いかけた。

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