第12話 半郷(はんごう)



「ここからエルフの里までは、どのくらいかかるんですか?」

 

 皆で馬にまたがろうとしている時。

 杏葉が疑問に思って聞くと、ガウルから

【余裕を見て、五日くらいだろう】

 との返事。

 

「五日……そ……ですか……」

 

 杏葉にとっては初めての長旅である。しかも、町を避けるということは、野宿なわけだ。

 とても言えないが、なるべくベッドで寝たい、元日本人である。


「そうか、野宿は不安だよな」

 ダンが察して渋い顔をし、ジャスパーが

「ガウルさん、申し訳ないっすけど、野営用テントって買ってもらうことできます?」

 と切り出す。

 着替えと寝袋は、ある。が、外で寝ることに杏葉が慣れていないことは、ダンもジャスパーも分かっていた。

 

 だが杏葉は、それを訳す気には到底なれなかった。出費がかさむだろうし、余計な寄り道は危険を呼ぶかもしれないからだ。

 

「アズハ?」

「あじゅ?」

 一向に話そうとしない杏葉を、二人が心配そうに見やる。

 

 ガウルとリリも

【アズハ、どうした?】

【不安の匂いにゃね……どうしたんにゃ?】

【不安? 何が不安なんだ?】

 と声を掛けてくれることで、ますます申し訳ない気持ちになってしまう。杏葉はキリッと顔を上げて、親指を挙げる『サムズアップ』のポーズをした。先ほど決めた「大丈夫」のハンドサインだ。

 

「大丈夫! 行きましょう!」

 

 このことが、のちのち全員の心にしこりを残すことを、この時はまだ誰も気づかなかった。


 

 

 ◇ ◇ ◇




 人目を避けるために選んだ道は、整備されていないので、とにかく揺れる。

 

 ガウルに甘えてほぼ抱き着いているとはいえ、緊張で全身に力が入ってしまう杏葉。凝りもそうだが酔いも襲い掛かり、さらに慣れない野宿で眠れず、だんだん体調が悪化してきてしまった。


 そんな三日目の昼前のこと。


【アズハ!】


 ガウルは、自分の懐の中でマントにくるまっていた杏葉から、突然力が抜けたのを感じた。

 

 先頭を走っていた彼が速度を緩めて、やがて馬を止める。後ろも「何事か?」とそれに合わせて止まり、すぐに事態を察したダンが、慌てて馬から降りて走り寄る。

 

「アズハ!」

「あじゅっ!」

 

 ジャスパーも馬から飛び降りて、駆け寄った。

 リリは軽い身のこなしで馬から降りると、二頭ともどうどう、と落ち着かせながら手綱をたぐる。――杏葉は、ガウルの腕の中でがっくりこうべを垂れていた。青白い顔で、気を失っている。


【アズハ! アズハ!】


 ガウルが呼ぶが、返事がない。

 ダンが、道の脇の木陰に連れて行こうと身振り手振りで伝え、ガウルは頷いて慎重に馬を進め、杏葉を抱き上げダンに託す。


「……アズハ……」

 

 木陰に寝かせた杏葉を慎重に覗きこむダンは、呼吸が浅く速いのを見て、眉を寄せる。

「ダンさん、回復魔法してみるっすよ」

 ジャスパーが懐から杖を出すと、ガウルが慌てた。

 

【っ! 待てっ】

 

 だがその言葉は、焦っているジャスパーには届かなかった。

 

「ヒール!」

【くそっ】


 リリが咄嗟に周辺を警戒し、キョロキョロとすると――


【……あにゃー】

 

 バサッと何かが上空に飛び立った。


【警戒っ】

 

 リリは親指だけ手のひら側に折って、その手を挙げる。『危険、もしくは警戒』という意味にしたそれを、さらにそのままグーの形にすると『助けて』という意味と決めた。今はまだ、手は開いている。


 ダンはそれを見上げて

「……ジャスパー、魔法はまずかったらしい」

 と唸るように言った。

「へっ!? あっ……」

 しまった、と思ったがもう遅い。


 ガウルも下馬し、上空の一点を見つめているようだ。


【ちっ、レコンちょうか】

【はいにゃ。誰を連れてくるんかにゃー】


 偵察や哨戒しょうかい用に飼われている、獣人王国では一般的な鳥の魔獣だ。ある程度の者が訓練すれば、扱いやすい。それが居るということは、近くに飼い主も居るということだ。


【言葉が通じないと不便だな】

【どうしますにゃ、団長】

【……人間に対する態度で決めるしかないだろう】

【嗅いで判断、にゃね】


 リリが相手の感情を読み取り、人間に敵意を持つようなら――最悪は排除しなければならない。緊張感を高める二人。


【……来たにゃ】


 ガサガサと道端の草むらが揺れ、やがて姿を現したのは……


【ここで何をしている】

 

 マントをきっちり着込み、フードを目深に被っていてその面貌や表情は窺いしれないが。

 


 ――大柄な、熊のようなの男だった。



【まさか! 人間、なのか!?】

 

 ガウルが驚くと、その熊のような男はそれには答えず、木陰に居る三人へと顔を向けた。

 

「……グアイ、ワルイノカ?」

「! ああ、そうだ!」

「言葉……通じる……!?」

「スコシ」

「「!!」」

 

 熊男は、ガウル達を振り返る。

 

【人間の言葉、少し話せる】

【なっ!】

【にゃ!?】

「ツレテコイ」【連れて来い】


 その熊男は二つの言語で話すと、背を向けて森にズンズン分け行っていく。即断しなければ、見失うだろう。


 リリが、親指を立てる。敵意を嗅がなかった、ということだ。

 ガウルもダンも、男からは害意を感じなかった。お互いに頷きあって、親指を立てる。


「行こう」

 ダンが、人差し指を倒して熊男の背を差したのを合図に、全員で動き出した。

 ジャスパーが杏葉を背負い、残る三人はそれぞれの馬の手綱を引き、後を追いかけたのだった。




 ◇ ◇ ◇




 鬱蒼とした森は、あっという間に杏葉たちの姿を飲み込んでしまうほど深い。ほんのわずか、脇道から入っただけだが、すでに道を失っている。

 熊男の後をついていかなければ、到底入ろうと思わないだろう。


「ココダ」【ここだ】


 三十分ほど進んだだろうか。

 熊男が振り返り、木造の家を指さす――熊男の家らしかった。馬をつなげられるような、太く丈夫な木の柵を指さされ、手綱をかける。

 

 驚いたことに、熊男の家の奥は、切り開かれた広場のようになっていた。十数軒ほど似たような家が建っていて、その周りにはよく手入れがされた畑がいくつか。耳を澄ますと、小川のせせらぎのような水音も聞こえてくる。畑の一部に水を引いているようだ。木でできた水路が、道を這っている。


「村!?」

「ほえー」


 驚いたのは、ダンとジャスパーだけではない。


【まさか、このようなところに集落があるとは】

【人の気配だけ、するにゃねー】


 リリが目を細めて、ぴくぴくと耳を動かす。

 だが不思議と今は、人影がない。


「ハイレ」【入れ】


 律儀に、熊男は二回ずつ発言する。

 人間の言葉と獣人の言葉なのだろう、と皆把握でき、感謝を伝えた。

 杏葉を背負ったジャスパーが一番最初に、それからダン、リリ、ガウルと続く。


 こじんまりとしているが、よく整頓されている、住みやすそうな家だった。


 熊男は、暖炉の前のソファに次々と布を持ってくると、指で差す。

 ジャスパーは黙って頷いて、ソファの上に杏葉をゆっくりと丁寧に横たえた。熊男は、杏葉の膝の下に、柔らかい布をぐるぐる巻いて差し込み、足を高くする。ソファは熊男が座る大きさということもあり、杏葉には十分ベッドの役割を果たしている。


 はっ、はっ、はっ、はっ。


 短く浅い息が、杏葉から絶え間なく漏れている。


「アズハ……」

 ダンが、杏葉の眼前に両膝を突いて、顔を覗きこむ。苦しげで、熱もありそうだ。


「ミズ、ノマセヨウ」【水を飲ませよう】

 

 熊男が、木の小さなボウルになみなみと水を入れて持ってきた。


「オオカミ、イル。ドクミ、イラナイ」【狼なら毒味はいらんだろう。安心して飲ませろ】


 狼の嗅覚なら、水に何か混ざっていれば気づく。ガウルが念のため嗅いでから頷いた。ダンも頷き、杏葉の上体を支えて、こぼれるのも構わずに、少しずつ口の中にその水分を流し込んでいく。――杏葉はぐったりしていてなかなか飲み込めないが、なんとか喉は上下している。ダンは、何度も何度も続けた。コクン、コクン。徐々に飲み下せるようになり、呼吸も落ち着いてくる。

 

「ビョウキニ、キクノ、チガウマホウ」【回復魔法は病気への効果が弱い】

「そうか! 治癒魔法か……」

 ジャスパーが言うと、熊男は頷いて逆に問う。

 

「デキナイ?」【治癒魔法は、できないのか?】

「……」

「治癒は、限られた者にしかできないんだ」

 苦しげなジャスパーに代わって、ダンが答えた。水を飲ませ終わり、再度杏葉を寝かせる。

 

【どういうことだ?】

 ガウルが、会話から事態を把握できず尋ねると、熊男が淡々と言った。


【この人間は、体力やケガを回復させる魔法は使えるが、病気を治すものは使えないのだそうだ】

【っ!】

【にゃー……】

「どうしたら……」

「あじゅ、あじゅ! くそっ」

「……ヤスンデ、マッテロ」【休んで、待ってろ】


 熊男は、人数分の木のジョッキと水差しを近くのテーブルに置いてから、のしのし家を出ていった。

 全員で顔を見合わせ、杏葉を覗きこむ。自然と自分たちも水を飲みながら、苦しそうな杏葉の様子を交替で見始める。


 いくらも経たず、家屋の外に足音が聞こえてきた。


「モドッタ」【戻った】


 熊男の背後に、小さな体躯の女性と思われる人物が、隠れるように立っている。

 同じようにローブのフードを目深にかぶっているが、顎の感じからして人間と思われた。

 

「ニンゲン、オンナ?」【人間の女の子?】


 その女性が、高い声を発する。やはりそれぞれの単語で、同じことを二回発言してくれる。

 全員が頷くと、彼女は杏葉の頭上から覗きこみ、じっと見た後で。


「ツカレタダケ、オモウ」【疲れてるだけだと思うわ】

 

 ほぼ同時に、話す。

 それを信じて良いものか、全員、判断がつかない。

 

「アンシンシロ」【安心してくれ】

 戸惑う全員に向けて、熊男がゆっくりと告げる。

「ココハ、ハンゴウ」【ここは、半郷】

「「ハンゴウ?」」

【【半郷?】】


 コクリ、と頷いた熊男は、自分を指さしながら、とんでもないことを言った。


「ジュウジン、ト、ニンゲン、ノ、コドモ、スムトコロ」【獣人と人間の間にできたこどもが、隠れて住んでいる】

 

 おもむろにフードを脱ぐとその下には――



「っ……」

「え! ええっ!!」

【にゃっ!】

【まさか!】



 頭の上から熊の耳が生えた、男の顔が、あった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る