第40話
翌日、
警部は学校に関する後処理を終えると、オレと夏美に面談の時間をとってくれた。オレたちは警部をダンス部の部室に招いた。他に場所がなかったのだ。
オレはさっそく警部に聞いた。
「八十八騎警部。掃除のおばちゃんが『おくねさん』だったとは・・・意外です・・・まったく気がつきませんでした」
「掃除のおばちゃんは、西田早季子という名前なんだけどね。5年前に問題の女子トイレの掃除をしていて、偶然、あの抜け穴を見つけたらしいんだよ。女子トイレの一番奥の個室を掃除していて、水洗レバーを押して水を流したときに、持っていたデッキブラシの先が壁の擬音装置にたまたま当たったんだ。それで、壁に穴が開いたので、驚いたと言っていたよ。そうして、偶然に抜け穴の存在を知ったんだね」
今度は夏美が警部に聞いた。
「それで、掃除のおばちゃんは、どうして『おくねさん』になったんでしょうか?」
「初めは抜け穴を見つけて、おもしろがって、何度か出入りしていたらしいんだ。そのうち、女子生徒が女子トイレの奥で変な音がすると騒いでいるのを聞いたらしい。それで、女子生徒を驚かせることを思いついたらしいんだ」
夏美がさらに聞いた。
「でも、どうして、わざわざいつも白いワンピースを着て、女子生徒を驚かしたんですか? 女子生徒を驚かすだけなら、白いワンピースは着なくてもいいんじゃないですか?」
「ところが、そうじゃないんだ。毎日、掃除をしているので、掃除のおばちゃんは、生徒たちとは顔見知りなんだよ。だから、驚かしているのが自分だとわからないように、わざわざ白いワンピースを着たんだよ。そうして、白いワンピースでいつもと違う服装になって、女子生徒たちを驚かせていたんだ。白いワンピースが強く女子生徒たちの印象に残るようにしてね」
夏美が独り言のように言った。
「確かに『おくねさん』の白いワンピースは印象に残りますね」
「そうなんだ。『おくねさん』はいつも顔がわからないようにしていた。だから、『おくねさん』を見た人はどうしても、白いワンピースだけが強く印象に残ることになるんだ。そうやって、掃除のおばちゃんは、白いワンピースを生徒たちに強烈に印象づけることで、本来の自分をカムフラージュしていたというわけなんだよ」
オレは思いついたことを口にした。
「そうか・・・つまり、逆に言うと・・・『おくねさん』がなぜいつも白いワンピースを着ているのかということを考えれば、犯人は生徒たちと顔見知りだってことに、もっと早く気づくことができたわけなんだ」
警部がしみじみと言った。
「そのとおりかもしれないね。我々は、『おくねさん』がなぜ、突然現れたり、突然消えたりするのかってことに、引っ張られすぎたのかもしれないね」
夏美がポツリと漏らした。
「掃除のおばちゃんは、女子生徒たちに白いワンピースを印象づけたかった・・・これって、自分をカムフラージュする以外に、自分の存在を女子生徒たちに印象づけたかったのかもしれないですね。掃除のおばちゃんは寂しかったのかな?」
警部が答える。
「ご主人は亡くなって、一人娘は結婚してしまって東京にいて、ほとんど帰ってこないらしいんだ。それで、独りぼっちだったらしい。寂しくて誰かに構ってもらいたかったんだろうね。それで、『おくねさん』を始めた・・・」
夏美が神妙な顔をしてうなずいた。
「寂しかったから、よけいに『おくねさん』をやめれなかったのね」
「おそらく、そうだろう。そうやって、最初はほんの軽い気持ちで女子生徒たちを驚かせていたらしいんだけど、女子生徒たちが怖がるのがだんだんと面白くなってきて、次第に病みつきになったらしいんだ。そうなると、もう、やめようとしても、やめられなくなってしまったと言っているよ。誰かが自分のことを話題にしているということだけで、うれしかったんだね。『おくねさん』をやめると、自分のことが誰の話題にものぼらなくなるのが怖かったんだ」
オレはなんだか『おくねさん』がかわいそうになった。オレがポツリと言う。
「寂しくて、女子生徒たちを驚かすことを続けたわけなのか・・・」
警部が後をつないだ。
「最初は『おくねさん』なんていなかった。だけど、掃除のおばちゃんが寂しくて、白いワンピースを着て女子生徒たちを驚かすことを続けた・・・それが、いつしか安賀多高校の女子生徒の間で『おくねさん』として呼ばれるようになったんだね」
夏美が聞いた。
「包丁はどうして持っていたのかしら?」
「人を殺すつもりではなく、単に驚かせるためだったらしい。女子生徒たちを驚かせる効果を上げるために、近所の100円ショップで買ったと言ってるよ」
オレは気になっていたことを聞いた。
「掃除のおばちゃんはオレを本気で殺す気だったんですか?」
「それなんだけどねえ。本人は、小紫君を殺す気はまったくなかったって言ってるんだ。小紫君のダンスが気に入って、それで、ちょっかいを出してやろうと思って、いたずら心で驚かせたと言ってるんだよ」
「そうでしょうねえ。掃除のおばちゃんにはオレを殺す理由なんて、まったくないもんなあ」
オレは何度もオレのダンスに拍手をしてくれた掃除のおばちゃんを思い浮かべた。
オレの心に、掃除のおばちゃんの寂しさが
まるで、オレ自身を見ているようだ。オレは「すき」という言葉を聞くと踊り出してきた。この秘密のために、オレはずっと人を避けてきた。オレはずっと孤独だった。そうなのだ、夏美と会うまでは・・・オレはずっと孤独だった・・・
オレの耳に警部の言葉が入ってきた。
「動機がないのは確かなんだけど、包丁を持っていたからねえ。まあ、そのへんは、これから、取り調べが進むとはっきりしてくると思うよ」
オレは思い切って警部に聞いた。
「警部。掃除のおばちゃんは殺人未遂罪になる可能性があるんですか?」
「俺は裁判官じゃないから断言できないけど・・・被害者が殺されかけたと言うかどうかが大きいと思うよ」
「被害者・・・つまり、オレですね。オレは・・オレは・・『おくねさん』がオレを殺そうとしたとは思っていません」
オレは断言した。警部も夏美も驚いて、オレの顔を見た。
「掃除のおばちゃんが『おくねさん』になったのは、きっと現代社会の孤独が原因ですよ。決して、掃除のおばちゃんはオレを殺そうとしたわけじゃないんです。おそらく、日本中に、同じように孤独から、第二、第三の『おくねさん』になる人が・・・そんな『おくねさん』予備軍が・・・たくさんいるんだと思います。掃除のおばちゃんを裁くよりも、誰もが抱える社会の孤独の問題を裁くべきです」
警部も夏美も何も言わなかった。
部室の中を重い沈黙が支配した。
そのとき、オレは夏美を想った。心から夏美のことをいとおしいと想った。熱いものがこみあげてきた。涙がでそうだった。胸がキュンとなった。
いたたまれない気持ちになって、胸が張り裂けそうだ。オレは何も話すことができなかった。
すると、警部がオレを見た。ちょっと、オレをたしなめるという眼だ。
「だけど、小紫君。もう危険なことはしないようにしてもらいたい。もう、こんな、リスキーなことは止めてもらいたいものだね」
オレは何か言おうとしたのだが・・オレの身体が勝手に動いた。
オレはリズムをとった。タッ、タッ、タッ、タッ。そして、オレの口が勝手に『スキャンティーピカリ』から聞こえた、あの偽の夏美の歌を歌い出したのだ。
♪ どんぐり ころころ どんぶりこ
おいけにはまって さあたいへん
どじょうがでてきて こんにちは ♪
「どじょうがでてきて こんにちは」でオレは、自分のドジョウを飛び出させる格好をして、ヒクヒクと卑猥に腰を前後に動かした。
オレの口から勝手に声が出る。
「あっそれ、ドジョウじゃ。ドジョウじゃ」
オレはリズムをとった。タッ、タッ、タッ、タッ。そして、オレは偽の夏美の歌を歌う。
♪ どんぐり ころころ どんぶりこ
おいけにはまって さあたいへん ♪
♪ どじょうがでてきて こんにちは ♪
♪ うなぎがでてきて こんにちは ♪
あれっ、『うなぎ』ってなんだ?
オレが横を見ると、なんと警部もオレに合わせて、腰を前後に動かしながら歌を歌っているのだ。そして、警部は『どじょう』を『うなぎ』に替えて歌っている。
オレは踊りながら吹き出してしまった。『どじょう』か『うなぎ』か気にしているんだなあ・・
オレと警部のそれぞれの口から勝手に声が出る。
「あっそれ、ドジョウじゃ。ドジョウじゃ」
「あっそれ、ウナギじゃ。ウナギじゃ」
オレと警部は、それぞれのドジョウとウナギを飛び出させる格好をして、ヒクヒクと卑猥に腰を前後に動かした。
そこへ、山西が部室にやってきた。腰をヒクヒクさせているオレと警部を見て、眼を丸くしている。
山西の驚いた声が飛んだ。
「いったい、何なの。これは? 二人ともどうしたの?」
夏美が言った。
「ドジョウとウナギのダンスです。先生、八十八騎警部もダンス部に入部希望のようです」
オレと警部は止まらない。山西の見ている前で、オレたちの口から歌が出る。
♪ どんぐり ころころ どんぶりこ
おいけにはまって さあたいへん
どじょう/うなぎ がでてきて こんにちは ♪
オレと警部は、それぞれのドジョウとウナギを飛び出させる格好をして、ヒクヒクと卑猥に腰を前後に動かした。
「あっそれ、ドジョウじゃ。ドジョウじゃ」
「あっそれ、ウナギじゃ。ウナギじゃ」
山西の声がダンス部の部室いっぱいに響き渡った。
「警部。虚偽申告は禁止と言ったでしょ! 特に誇大申告は許しませんよ! 真実を言いなさい!」
***********
ダンス部の部室だ。
ダンス部の練習後、1年生たちが一生懸命に安賀高ダンスリーグで披露する創作ダンスの振付を考えている。それを2年生がアドバイスしている。もう、1年生も2年生も、誰も安賀高ダンスリーグに不満を言う者はいない。オレもみんなと一緒に部室に残って、ダンスの創作に参加していた。
誰かが口に出した。
「この動きのとき、みんなの体感テンポが違うから、全員のダンスをそろえるのが難しいわ。こんなとき、よその学校のダンス部はどうしてるのかな?」
「メトロノームで体感を合わせた方がいいよ」
別の部員が部室の隅からメトロノームを出してきた。
「だけど、同じ人でも元気なときと疲れてきたときとでは、体感テンポが違ってくるでしょう。あれは、どうやって調整すればいいのかしら?」
みんなが口々に言う。
「そうなのよ。なんか、同じ曲でも朝は遅く聞こえて、夜は速く聞こえる気がするのよね。あれって不思議よねえ」
「私もある、ある。そのときの身体の調子によって、バラードがいつもより遅く聞こえたり、アゲアゲな曲がめっちゃ速く聞こえたりするのよね」
「そのとおりよねえ。疲れているときは、いつもとテンポが違うでしょう。だから、周りからなんだかダンスをさぼっているように見られちゃうのよ」
夏美が1年生たちに言った。
「いいことを教えてあげようか。小紫君がダンスをさぼったら、ダンスをさせる魔法の言葉があるのよ」
オレは飛び上がった。そんなことを公表しないでほしい。
1年の瀬本茜から声がかかった。
「えー、小紫副部長がダンスをさぼったときの魔法の言葉ですかぁ? そんなのがあるんですか? 倉持部長、ぜひ、教えてください」
夏美がオレを見て、クスッと笑う。
オレはあわてて話に割って入った。オレは言った。
「オレたちは高校生だ。恋愛はまだ早い。好きと言うのはまだ早いんだ」
みんなきょとんとしている。夏美が笑い出した。茜は明るく微笑んでいる。茜はひょっとしたら、オレと夏美の秘密を知っているのかもしれない・・・
オレは言った。
「さあ、みんながんばろう。もうすぐ安賀高ダンスリーグだ」
オレの言葉で、みんな創作ダンス作りに戻った。ワイワイガヤガヤは、まだまだ部室の中で続きそうだ。オレはもう孤独ではなかった。
オレは思った。ダンスっていいなあ。
了
小紫君、ダンスを踊ろ 永嶋良一 @azuki-takuan
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