第35話

 道明寺は稽古場の隅に置いてあった文箱から二枚の紙を取りだして、オレと夏美に一枚ずつ渡した。オレがその紙を見ると・・・こう書かれていた。


 『平家物語 冒頭


 祇園ぎおん精舎しょうじゃの鐘の声、諸行しょぎょう無常むじょうの響きあり。


 沙羅しゃら双樹そうじゅの花の色、盛者じょうしゃ必衰ひっすいことわりをあらはす。


 おごれる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。


 たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前のちりにおなじ。


                平家物語 第一巻「祇園精舎」より 』


 なんだ、これは? 古文の授業か?


 すると、道明寺が背筋をピンと伸ばして、またも高らかに声を張り上げたのだ。


 「古典日本舞踊 扇子の基本動作 その2 『平家物語』」


 驚いて道明寺を見つめるオレと夏美の耳に、道明寺の声がひびいてきた。


 「それでは、この文章に合わせて、日本舞踊の振付をしていきます。二人とも私の振りをよく見ておくのよ。まず、『祇園ぎおん精舎しょうじゃの鐘の声』ですけど、ここはこのような振りで踊ります」


 そう言うと、突然、道明寺は「ィィおんンンンンン」と大きな声を張り上げた。その声にオレと夏美はビクッとする。道明寺が立ったまま片手で扇子を動かして大きなキノコを描く格好をした。


 道明寺の不思議な踊りは続く。ついで「しょうゥゥゥじゃァァァ のォォォ」と叫ぶと、内股でしゃなりとその場にしゃがみこんだ。女性っぽい仕草だ。そして、扇子を使って、眼の前で何かを塗る格好をした。それが終わると、扇子を垂直に立てて、そこに手を当てて扇子を軽く押さえる仕草をした。道明寺はあの肌色の半袖レオタード姿だ。まるで素っ裸で踊っているようで、息を飲むようなあでやかさだ。


 その次には「鐘ェェェェ のォォォ 声ェェェェェ」と大きく叫ぶと、再び立ち上がった。今度は内股で扇子を眼の上に水平に持っていって、扇子で何やらお寺の釣り鐘を突くような仕草をする。その内股の仕草がまた何とも色っぽい。


 道明寺の摩訶不思議な踊りと叫び声に・・・オレと夏美は面食らってしまった。オレたちは唖然として道明寺を見つめるだけだ。


 道明寺の振りが色っぽいのはいいが・・・いったい何が始まったのだ? 全く理解ができない・・・


 道明寺はここで動きを止めると、茫然として口を開けているオレたちを見た。


 「二人とも分かりましたか? まず、『祇園ぎおん』と言って、扇子でキノコを描きます。これは古都京都のシンボル、キノコ型をしている京都タワーのことです」


 オレの頭は混乱した。京都タワーだって?・・・オレは写真で見たことがあった。JR京都駅の北側に当たる烏丸からすま口に建っているキノコ型のタワーだ。オレは、何かの本に『海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたタワー』という説明があったのを思い出した。


 道明寺が続ける。


 「次の『精舎しょうじゃ』は・・『しょうじゃ』・・『しょうじや』・・『しょうじ・や』・・つまり『障子しょうじ屋』ですね。だから、『精舎しょうじゃの』では『京都祇園にある障子屋の娘』が障子を貼っている仕草をします」


 オレは絶句する。『京都祇園にある障子屋の娘』だって? その娘が障子を貼っているんだって? 何なんだ、それはいったい? それにしても、障子貼りなんてものは畳屋さんや建具屋さんなんかがしてくれると思うのだが・・今どき、障子貼りを専業とする『障子屋』なんて商売があるのだろうか?


 オレの疑問にかかわらず、道明寺の声が続く。


 「それで『京都祇園にある障子屋の娘』が障子を貼る仕草ですが、ここは、このように刷毛はけで障子のさんに糊をつけて、そして、障子紙を貼るわけです。それで扇子を刷毛に見立てて、このように上下に動かします。そして、今度は扇子を『障子紙』に見立てて、障子のさんに貼るのです。扇子を垂直にして『障子紙』に見立てるわけですね」


 オレは感心する。扇子っていろいろなものに見立てることが出来るんだなぁ。まるで、落語家が扇子を使って落語を演じているようだ・・・それにしても、肌色のレオタード姿の道明寺が内股にしゃがんで障子を貼る姿は、何度見てもゾクリとするほどあでやかだ。オレは思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。


 オレの耳に夏美の感心する声が聞こえた。


 「さすが、友梨佳ゆりか先生は日本舞踊の名取ね。動作の一つ一つが決まっているわ」


 それに引き続いて、オレの耳にさらに道明寺の声が入ってきた。


 「次の『鐘の声』では、こうして扇子を水平にして・・『鐘突き棒』に見立てて、扇子を使って釣り鐘をつく仕草をします。つまり、障子を貼り終わった『京都祇園にある障子屋の娘』が、近所のお寺に行って、お寺の釣り鐘を突く格好をするわけです」


 『京都祇園にある障子屋の娘』が、どうして近所のお寺に行って、わざわざ釣り鐘を突くんだ。そのお寺の住職は近所の娘が勝手に寺の鐘を突いても、何にも文句を言わないのだろうか?・・・太っ腹な住職だなぁ・・・しかし、近所の人は迷惑だなぁ。昼夜を問わず、お寺の鐘がゴーン、ゴーンと鳴らされるわけだもんなぁ・・・


 茫然と見つめるオレたちを気にせず、道明寺の説明は続く。


 「では、次の『諸行しょぎょう無常むじょうの響きあり』です。『諸行しょぎょう』は『商業』ですね。つまり、『京都祇園にある障子屋』の『商売』である『障子屋稼業』のことです。だから、ここはこうして、腰をかがめて、扇子は脇にはさんで、両手を腰の前で揉み合わせます。これは『京都祇園にある障子屋の娘』が、障子貼りを依頼しに来たお客さんに、揉み手をして『まいどあり~』と言う格好ですね。ここでは、こうして揉み手をしながら実際に『まいどあり〜』と声を出しましょう」


 揉み手をして「まいどあり~」だって? さすが『京都祇園にある障子屋の娘』は商売人だ。大阪商人も顔負けじゃないか・・・


 「さて次の『無常むじょうの響きあり』ですが、この『無常むじょう』とは『無償』のことです。つまり、『無常むじょうの響きあり』とは『無償の響きあり』ということです。どういうことかと言うと・・・障子貼りを依頼しに来たお客さんが『無償にしてくれ』、すなわち『タダにしてくれ』と言ったわけです。それに対して『京都祇園にある障子屋の娘』が、このように顔の前で扇子を立てて振るのです。これは『タダなんてできると思とんのかい。顔でも洗って出直してこんかい。このボケ!』と断る格好なのです。ここも顔の前で扇子を立てて振りながら、このセリフを必ず言いましょう」


 『京都祇園にある障子屋の娘』が「タダなんてできると思とんのかい。顔でも洗って出直してこんかい。このボケ!」なんて言うのか! なんて柄が悪い娘なんだ。家では障子貼りを手伝っているが、きっと、学校ではスケバンなんだ。怖いなぁ・・・

 

 「それでは、次の『沙羅しゃら双樹そうじゅの花の色』にいきます。『沙羅しゃら双樹そうじゅの』とは『皿掃除の』という意味ですね。ですから、『京都祇園にある障子屋の娘』が丸い皿を拭く格好をします。ここは扇子を広げて、皿に見立てましょう。そして、片手で扇子を持って、片手に持った布巾ふきんで拭く仕草をするのです。このように、皿に息を吹きかけてもいいですよ」


 なんで『京都祇園にある障子屋の娘』が皿を拭いてるの? 障子屋は食堂も兼業しているのだろうか? きっと、障子貼りの本業があんまり儲かっていないんだな・・気の毒だなぁ・・


 「次の『花の色』ですが・・・ここでは、こうやって・・・」


 そう言うと、道明寺は右足を一歩前に踏み出した。それにかぶせるように右肩を大きく前にかがめた。すると、オレたちにレオタードの背中にプリントされた桜吹雪が丸見えになった。


 「・・・背中の桜吹雪を見せるのです。ここでは、ぜひ『てめえ、この背中の桜吹雪が見えねえのかい! このボケ!』と下手人げしゅにんに向かって、決めセリフを言って下さい」


 うわ~。『京都祇園にある障子屋の娘』は背中に桜吹雪の刺青をしているのか! それにしても、京都の娘なのにセリフが『べらんめえ口調』の江戸っ子になってるのはどうしてなの? それに、江戸町奉行の遠山の金さんが下手人に向かって言うセリフだが・・花のお江戸のお奉行様が下手人に対して・・『桜吹雪』を見せて「このボケ!」なんて言うのかなぁ・・・


 「そして次は、『盛者じょうしゃ必衰ひっすいことわりをあらはす』です。まず、『盛者じょうしゃ』とは・・『じょうしゃ』・・すなわち『乗車』のことですね。つまり、『京都祇園にある障子屋の娘』が京都市内でタクシーに乗車するわけです。ですから、ここは、このように扇子を上げてタクシーを止めて、そして、次に片足を順に上げてタクシーに乗り込む格好をします」


 肌色レオタード姿の道明寺が、内股のままで、片足を順に上げてタクシーに乗り込む格好をする。内股なので、足を上げる際に尻が大きく横に振れる。あまりの色っぽさにオレは道明寺の仕草に見とれた・・・


 「次の『必衰ひっすいの』ですが・・・『必衰ひっすい』とは『ヒスイ』、つまり『宝石のヒスイ』のことです。ここは『京都祇園にある障子屋の娘』が京都市内でタクシーに乗って、タクシーの運転手に「運ちゃん、わての持ってるヒスイを買わへんけ?」と迫るわけです。ここでは、こう両手の上に扇子を広げ、その上にヒスイを乗せて、前にいる運転手に見せる格好をします」


 『京都祇園にある障子屋の娘』はいつも『ヒスイ』を持ち歩いているのか? 障子屋以外にいろんな商売をしてるんだなぁ。しかし、こんなところで、なんで『ヒスイ』が出てくるの? それにしても「運ちゃん、わての持ってるヒスイを買わへんけ?」とは・・・柄が悪いなぁ。おまけに京都祇園の娘なのに、なんで河内かわち弁なの? 


 道明寺が続ける。


 「そして次の『ことわりをあらはす』では・・・『京都祇園にある障子屋の娘』がタクシーの運ちゃんに『ヒスイなんて高いものを買うお金は持ってまへん』とヒスイの購入を断られるわけです。そこで娘が運ちゃんに『なんや。ヒスイを買う金も持ってへんのんけ。ケチくさいタクシーやな! こんなタクシーに乗ってられるかい。このボケ!』と言って、タクシーから降りるわけです」


 オレは絶句する。「このボケ!」って言うのが好きな娘だなぁ・・・学校でも同級生の男子に「このボケ!」って言ってるんだろうなぁ・・・


 「従って、ここは、このように、まず扇子でポカリと運転手の頭をブツ格好をして、それから片足ずつ上げて、タクシーから降りる格好をするわけです。その仕草をしながら、娘の『なんや。ヒスイを買う金も持ってへんのんけ。ケチくさいタクシーやな! こんなタクシーに乗ってられるかい。このボケ!』というお上品なセリフを必ず言いましょう」


 『京都祇園にある障子屋の娘』は、一度乗ったタクシーから降りるのか! タクシーの運転手はとんだ災難だな・・・それにしても、娘が言う「なんや。ヒスイを買う金も持ってへんのんけ。ケチくさいタクシーやな! こんなタクシーに乗ってられるかい。このボケ!」というのがお上品なセリフなのかなぁ?


 そこまで言うと、道明寺はオレたちの前に立って、満足そうにオレたちをながめた。


 「あなたたちは初めてですから、今日はとりあえず、振付はここまでにしましょう。それで、『古典日本舞踊』では二人ペアで踊りを披露します。つまり、一人が古典の文章を『能の謡曲』のようにうたいあげて、もう一人がその謡いに合わせて、今の振りを踊るのです。もちろん一人だけのときは一人で謡いながら踊りますが・・・『古典日本舞踊』の基本は二人のペアなのです。では・・・あなたたちは・・・そうねえ・・・」


 ここで道明寺は夏美とオレを交互に見た。


 「じゃあ、夏美ちゃんが謡いをやって、小紫君が踊りをやってちょうだい。それでは、今のところを謡いと振りをつけて実際にやってみましょう」


 そう言うと、道明寺は稽古場の奥から、あの肌色のレオタードをもう一着出してきて、オレに差し出した。


 「さっ、小紫君。これを着るのよ」


 「えっ、な、なんで、オレが・・・」


 「決まってるでしょ。これを着ないと『花の色』のところで、背中の桜吹雪を見せることができないじゃないの。それにね、この『桜吹雪』は『平家物語』以外にも『古典日本舞踊』のさまざまな『古典』で登場するのよ。だから、これから『古典日本舞踊』を踊るときには、あなたは必ずこのレオタードを着るのよ」


 そんなぁ・・・こんな肌色のレオタードなんて・・・素っ裸みたいで恥ずかしい。しかも、背中に桜吹雪のプリントがあるなんて・・・とても正気の沙汰とは思えない!


 しかし、オレは道明寺に逆らうことはできない。『おしとやか』になるために日本舞踊を習うことは、山西からの厳命なのだ。


 こうしてオレは赤いダンス部のレオタードを脱がされて、無理やり肌色のレオタードを着せられた。もちろん、オレの肌色レオタードの背中には桜吹雪の柄がプリントしてある。道明寺が奥からキャスター付きのミラーを出してきた。ミラーを見ると・・・まるで素っ裸のオレが映っている。ミラーの中のオレの顔がみるみるうちに真っ赤になった。


 それから、オレと夏美は道明寺に『平家物語』の冒頭をたっぷり練習させられた。稽古場の中に『祇園ぎおん精舎しょうじゃの鐘の声、諸行しょぎょう無常むじょうの響きあり。沙羅しゃら双樹そうじゅの花の色、盛者じょうしゃ必衰ひっすいことわりをあらはす』と言う夏美の声が何度も響き渡った。


 しかし、『古典日本舞踊』ねぇ・・・『京都祇園にある障子屋の娘』ねぇ・・・『桜吹雪』ねぇ・・・


 こんなんで、果たしてオレたちは山西が言っていた『おしとやか』に無事に変身することができるのだろうか?・・・


 


 

 

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