第36話

 オレたちが『古典日本舞踊』を習った翌日の月曜日だ。オレと夏美は昼休みに化学実験室で牧田と会った。


 『おくねさん』の眼と口から炎が吹き出した件を相談するためだ。午前中の休憩時間に夏美が牧田に話すと、牧田はオレたちの相談に乗ることを快く了承してくれた。そして昼休みに、オレたちはまたあの化学実験室に集まったというわけだ。


 夏美が今までのことをかいつまんで牧田に説明した。いつもの牧田だったら「スキャンティー」などと言ってフザケているが、この日は真剣に夏美の話を聞いてくれた。夏美の話が一通り終わると、牧田は難しい顔をして言った。


 「俺は幽霊なんかは信じない。だから『おくねさん』が人間だとして話を進めたいんだが・・・小紫が『おくねさん』の眼と口から炎が出るのを見たとき、炎以外には何か変わったことは無かったかな?」


 何か変わったこと? オレは先日の『おくねさん』が現れたときのことを思い起こしてみた。しかし、変わったことは特に無かった気がする。オレは牧田にそう答えた。


 「う〜ん。炎が出たことと、炎でオレの顔が熱くなったこと・・・それ以外はこれと言って・・・変わったことは無かった気がします。・・・どうも、思いつきません」


 牧田はさらに同じことを聞いた。


 「何でもいいんだ。たとえば、こんなものを見たとか、何かを聞いたとか・・・何でもいいんだが、何か変わったことは無かったか?」


 ん、聞いたこと? オレの頭に何か響くものがあった。そうだ・・・


 「聞いたことと言えば・・・そう言えば、炎でオレの顔が熱くなったときに、何かゴーという音を聞いた気がします」


 「ゴーという音だって・・・」


 そう言うと、牧田は考え込んだ。そして、少しして、オレと夏美の顔を交互にながめた。


 「俺は『おくねさん』の眼と口から赤い光が出たことは説明できるんだが・・・小紫の顔が熱くなったということだけが、どうにも俺には分からないんだ」


 赤い光が説明できるんだって・・・オレは驚いた。さっき、夏美が牧田にいきさつを話したばかりなのに・・・どうしてそんなに簡単に分かるのだ?


 オレは急いで聞いた。


 「えっ、先生は『おくねさん』の眼と口から赤い光が出たことは説明できるんですか?」


 「ああ。俺の考えが正解かどうかは分からないが・・・説明はできる」


 夏美も驚いて聞いた。


 「牧田先生。それは一体どういう・・・?」


 「うん。たとえばだな・・・」

 

 そう言うと、牧田は後ろを向いて何かゴソゴソとしだした。牧田が背中を向けているので、オレには牧田が何をしているのか全く見えなかった。


 何をしているんだろう?


 すると、牧田が後ろを向いたまま、オレに声を掛けた。


 「小紫・・・」


 「はい」


 「そのときの『おくねさん』の顔なんだが・・・」


 「はい」


 何を言い出すんだろう? オレは緊張した。


 「そのときの『おくねさん』は、こんな顔じゃあなかったかい?」


 牧田がオレを振り向いた。オレの見知らぬ男の顔がそこにあった。そして・・・突然、その顔の眼と口からピカリと赤い光が放射されたのだ。化学実験室の中が赤色に染まった。炎だ・・・


 「うわ〜」


 オレは悲鳴を上げると、化学実験室の床にひっくり返ってしまった。


**************


 「小紫君。大丈夫?・・・小紫君・・・しっかりしてよ」


 誰かがオレの身体を揺すってくれている。オレは眼を空けた。眼の前にボンヤリと夏美の心配そうな顔が見えた。


 「あれっ、倉持?」


 夏美の声がした。


 「良かった。気がついた!」


 すると、夏美の顔に代わって、牧田の顔がオレをのぞき込んだ。


 「小紫。すまない。小紫があんなに驚くとは思わなかったんだ」


 「えっ」

  

 オレは身体を起こして立ち上がった。夏美がオレを背中から支えてくれた。すると、牧田がオレに何かを差し出した。


 「さっき見せたのはこれだよ」


 牧田がオレに見せたのは・・・知らない男の顔のお面だった。


 「こうすると眼と口が光るんだ」


 牧田がお面の横のスイッチを押すと、お面の眼と口が赤く光った。強烈な赤い光がお面の眼と口から放たれて・・・化学実験室の中が再び真っ赤になった。夏美の顔も牧田の顔も真っ赤だ。まるで、化学実験室の中で火が燃えているようだ。


 オレはびっくりした。


 「せ、先生。こ、これは・・・」


 牧田がお面のスイッチを切った。すると、化学実験室の中がいつもの色に戻る。


 「うん。これは去年のA市の『ハロウィーン祭り』で、屋台で売ってたお面だよ」


 ハロウィーン祭り? オレたちの住むS県A市では毎年秋に若者向けの『ハロウィーン祭り』が行われる。実はA市は若者の流出に頭を悩ませているのだ。A市の若者たちは、大学入学や就職を機に大部分が東京や大阪といった大都会に出てしまうのだ。そして、彼ら、彼女らは、そのまま東京や大阪で結婚して・・・もうA市には帰らず、そのまま東京や大阪に居ついてしまうのだ。


 このため、A市では数年前から秋になると城跡公園で、若者向けの『ハロウィーン祭り』を開催しているのだった。オレは行ったことは無いのだが、地元のテレビのニュースを見ると・・・『ハロウィーン祭り』当日には、会場の城跡公園にたくさんの屋台が出て、さまざまな扮装をした若者たちが集まって、たいそう賑わっているのだ。


 牧田が言った。


 「俺は『おくねさん』がこのお面を使って、赤い光を出したんだと思っているんだ。もちろん、『おくねさん』は女の顔のお面を使ったと思うがね。さっきも言ったように、このお面は俺が去年のA市の『ハロウィーン祭り』の屋台で買ったものなんだが・・・屋台では、女の顔のお面も売られていたからね。それに、こういったお面はかなり以前から売られているよ。『おくねさん』も女の顔のお面を何年か前の『ハロウィーン祭り』で買ったのではないかな?」


 オレの口から思わず声が出た。


 「すると、『おくねさん』は『ハロウィーン祭り』に行ったということですね。やっぱり『おくねさん』は人間だったのかなぁ・・・それもA市の・・・」


 牧田がもう一度お面の横のスイッチを入れた。また、お面の眼と口が赤く光る。化学実験室の中が真っ赤になった。真っ赤な顔の牧田が口を開いた。


 「このスイッチを押すと、眼と口についている赤いLEDライトが点滅するんだ。単に怖い顔のお面をつけるだけでは、ハロウィーンが面白くないからね。このお面は普通の顔だろう。普通の顔で相手に油断させておいて、突如、スイッチを入れて強烈な赤い光を相手に放射するんだ。光があまりに強烈なので、周囲全部が赤くなるから、光を放射された相手は誰しもビックリするわけだ。こうして相手を驚かせて、ハロウィーンを盛り上げるわけだね・・・そして、スイッチを切るとライトが消える」


 牧田が再びスイッチを操作すると、お面の赤い光が消えた。


 夏美が驚いた声を上げた。


 「先生。それはLEDライトなんですか?」


 「ああ、そうだ」


 オレは疑問を感じた。オレはあのとき、顔が熱くなったのだ。だから、『おくねさん』の眼と口から出たのは単に赤いLEDの光というわけではなくて、熱い炎のはずなのだ・・・


 オレは牧田に言った。


 「でも、先生。あのとき、オレの顔が確かに熱くなりましたよ。だから、オレが見た赤い光は確かに炎だったと思うのですが・・・そんなLEDライトではなかったと思いますが・・・」


 牧田はニヤリと笑った。


 「小紫。果たしてそうかな?」


 「えっ」


 「小紫。『おくねさん』はいつも長い前髪を顔の前に垂らしていて、顔はよく見えないんだったな」


 オレは『おくねさん』の顔を思い出した。いつも長い前髪を垂らしているので、顔が分からないのだ。


 「ええ、そうです」


 「では、もしも小紫の言うように『おくねさん』の眼と口から出たのが炎だったとしよう」


 「・・・」


 「小紫が見たのが本当に炎だったのなら・・・そのとき、『おくねさん』の顔の前の長い前髪は、眼と口から出た炎でどうして燃えてしまわなかったんだ?」


 えっ?・・・・オレは不意を突かれた。思いも寄らない指摘だった。


 オレは先日のことを思い出してみた。


 『おくねさん』が女子トイレの奥の個室に現われて・・・

 オレに近づいてきて・・・

 『おくねさん』の前髪に隠れた眼と口がピカリと赤く光って・・・

 そして、『おくねさん』がさらにオレに近づいて・・・

 ゴーという音が聞こえて・・・

 オレの顔が熱くなった・・・

 そこでオレは炎が出ていると思ったのだ・・・

 それから、『おくねさん』がオレの眼の前までやってきて・・・

 確か『おくねさん』の長い前髪がオレの顔に触れたのだ・・・

 そして、ゴーという音がさらにオレに迫って・・・

 オレの顔がさらに熱くなった・・・

 そこで、オレは気を失ってしまったのだ。


 そうだ。牧田の言うとおりだ。あれが眼と口から出た炎だとしたら、『おくねさん』の長い前髪はオレの顔に触れる前に間違いなく燃えていたはずだ。しかし、前髪はオレの顔に触れたのだ。つまり、前髪は燃えなかったわけだ。ということは、あれは炎ではなかった・・・


 青天せいてん霹靂へきれきとはまさにこのことだ・・・


 オレは勢い込んで牧田に言った。


 「先生、その通りです。あのとき、『おくねさん』の前髪がオレの顔に触れたとき、確かに前髪は燃えていませんでした。では、あの赤い光は?」


 「赤いLEDの光だと思う。LEDは熱を出さないから、近づけても熱くならないんだ。だから、前髪が燃えなかったんだよ」


 オレは混乱した。しかし、オレの顔は確かに熱くなったのだ・・・


 「で、でも、先生。オレは確かに顔が熱くなるのを感じましたよ」


 「そこなんだ。それが俺にはどうしても分からないんだよ。単なる赤いLEDの光なのに、どうして小紫の顔が熱くなったのか? これはまるで『おくねさん』が仕掛けた『熱のトリック』だな・・・小紫の聞いたゴーという音も気になるなぁ・・・」


 牧田はそう言うと、腕を組んで考え始めた。


 すごい頭脳だ! オレは牧田を見直した。今までは単にスキャンティーが好きなだけのおかしな教師だと思っていたが・・・どうして、どうして、大した分析力だ。ひょっとしたら、牧田はとんでもない頭脳の持ち主なのかもしれない。オレは牧田を心から尊敬した。


 夏美も同じ思いのようだ。じっと牧田の顔をながめている。夏美の顔に『尊敬』という文字が浮き上がっていた。


 やがて、牧田が口を開いた。


 「どうもいい考えが浮かばないなぁ。だから・・・先日、小紫の前に『おくねさん』が現われたときに『おくねさん』が仕掛けた『熱のトリック』は何だったのかを考えるんじゃなくて・・・これからは・・・『おくねさん』が小紫に『熱のトリック』を仕掛けてきたときに、小紫がどうしたらそのトリックを見破ることができるか・・・を考えてみたいと思うんだ。実は俺に一つアイデアがある。お前たち、明日の昼休みにもう一度、この化学実験室に来てくれないか」


 オレと夏美は翌日も昼休みに化学実験室に行った。


 牧田が実験机に前に座っていた。牧田の前には、何やら肌色の小さい布がポツンと置いてあった。布の横には小さな電気回路の基盤のようなものが取り付けられている。


 牧田はオレたちを見るとニヤリと笑って、その肌色の布を取り上げた。


 夏美が声を上げた。


 「牧田先生。それは何ですか?」


 牧田がその小さな布をオレたちに見せながら言った。


 「これが『おくねさん』の『熱のトリック』を暴くものだよ。これの名前は『スキャンティーピカリ』だ」


 オレが「スキャンティーピカリィィィ?」と叫ぶのと、夏美が「スキャンティーピカリ ですって?」と叫ぶのが同時だった。


 『スキャンティーピカリ』って、いったい何だ?


 それにしても、また『スキャンテー』だなんて・・・いったい全体、この先生は・・・


 オレの中で、牧田への『尊敬』が音を立てて崩れていくのが分かった。


 



 


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