【参】『誰か』が勝手に決めた『普通』

 何故、私を見て怖がらない?

 このひとは《反転邪視》の瞳も視た。

 皆が『化物』という瞳を。

 このひとは、一体何を考えている――?


「なあ、コマモノウリって何すんの?」

 急遽、乾物店まで買いに走り、その間に篝さんがご近所さんから分けて頂いた米で物部様と篝さん、そして私の分の朝食を作った。

 三人分にしては少なめ。それも食材を使い切ってしまったので、朝の仕事が終わった後にまた買いに行かなくてはならない。

 酢漿さんもいるとなれば、出来る限り多めに食材買い溜めしておきたい。

 一人でそれだけの量を持ち帰るのは難しいため、荷物持ちを手伝っていただく事も考えて、まずは小間物売りの仕事を教える事にした。

「吉原の昼見世前に、備品等の小物を売りに行きます」

「遊郭って夜だけじゃないの?」

「ほぼ一日中営業していますよ。準備時間は朝の間だけなので急いでください」

 私の仕事は、吉原の顧客から注文いただいた品物を背負い箱に詰めて、納品する事。店の備品、化粧品、装飾品、菓子類等々などなど

 遊郭内で働く女性達は外出を許されないので、こちらから出向く。店舗でも販売は行っているが、そちらは篝さんの担当だ。

 私達は大門右手の茶屋で番人に切手を提示し、得意先――小野おのゆきやへと進んだ。

「おお! 天満月ちゃん! 久し振りだねえ!」

「旦那様、お世話になっております」

 背負い箱を置き、挨拶もそこそこに、小野雪やの楼主は破顔し、私の肩に、手に触れてきた。

 ひくり、と顔が引き攣りそうになるのをなんとか抑え、笑顔を作る。

 私の瞳に嫌悪感を抱かない、珍しい方だった。

 ここ吉原の中でも一番の得意先であるため、無碍には出来ない。

「前回ご注文いただいておりましたお品ですが……」

「嗚呼。其れより、如何だい? 未だうちで働く気にはならないかい?」

 楼主が私を何故か気に入っている理由はこれである。

 ――私を買いたいから。

 一瞬、ぴくりと反応してしまったが、目の前の楼主は私の手を撫で回す事に夢中で気が付いていないらしい。

「申し訳ございません。以前からお伝えしております通り、物部様の店で働かせていただいている身ですので……」

「そうだよ」

 酒焼けした低い女性の声を合図に、楼主の手が止まる。

「こんな変な目の娘、置ける訳ないじゃないか。客に不気味がられる」

「おい、お前……」

 私を買いたいのは楼主だけなのだ。

 邦人や異邦人とも違う、光の加減で様々な色に変わる瞳は私ですら、嘗ては妹一人しか知らない。

 初めて見るものに対して、他の者は大抵、不気味だと邪険に扱う。

 それでも注文を続けてくださるのは、物部様がお口添えされたからだろう。

 今まで好奇の目に晒されたり、不気味だと避けられる事が多かったので、こういった遣り取りは慣れてはいるが、これでは酢漿さんに仕事を教えるどころか、まず仕事にならない。

 その時、酢漿さんにぐっと力強く肩を抱き寄せられた。

「そうですか? 虹みたいで綺麗でしょう。――お姉さんの方がもっとお綺麗ですけどね」

 何だこの歯の浮く台詞は、と思ったが、同時にきゅんっと幻聴が聞こえたような気がした。吉原特有の空気とは違う、桃色の雰囲気まで感じる。

 ……先程まで楼主と言い争っていた女性の瞳が輝き、仄かに頬も染まっていた。

「え……? んん、そうかい……?」

「虹といえばこちら! 光が当たると煌々して、お姉さんにお似合いだと思うんですよね! 一層華やかになりますよ!」

「そ……そうだねえ……。…………一つ位なら」

「おい、一寸待て! こんな高価なの買えんぞ!!」

 楼主の言葉を無視して女性は嬉々いそいそと一圓札を五枚、店から持ち出してきた。酢漿さんは簪を手渡しがてら「今後も御贔屓に」と笑顔で受け取る。

 あの簪は確かに綺麗ではあるが、渡来品で高価なため、私が仕事を引き継いだ時から売れ残っている商品の一つだった。

 それを、この妓楼に着いてから数分で売ってしまった。

 物部様からの質問の時といい、酢漿さんはころころと自在に雰囲気を変えられるらしい。

 ……このひとは本当に何者なのだ。 

「ねえねえ、お兄さァん。鑓手婆やりてばばあを云い包めるなんて、遣るじゃないの」

「此の後うちで遊んで行かないかい? お兄さんなら大歓迎だよォ」

「本当ですかー? 綺麗なお姉さん方!」

 妓楼の二階から、営業準備中の遊女達が酢漿さんを誘ってくる。先程の遣り取りを見ていたらしい。

「駄目ですよ、酢漿さん。私達は客ではなく働きに来ているので、遊ぶのは禁止されています」

「えっ、そうなの」

 遊ぶつもりだったのか、このひと。一文無しで働く事になったのを、もう忘れてるのではないだろうか。

 仕事は出来るところが、またもやもやする。

「ありがとうございまーす! でも今、天満月に仕事教えてもらってる最中なんで!」

「……天満月……? 嗚呼、其処の気味の悪い眼の娘ね」

 刺のある、悪意の籠った言葉。

 見上げると、先程まで酢漿さんを見ていた遊女達が、冷ややかに私を睨んでいる。

 私はこの方達に何もした覚えは無い。初めて見る方もいる。

 抑々、吉原へ商売で来ている者と関係を持つと双方共に罰を受ける事を、彼女達は必ず知っている筈だ。

 只単に、『気味の悪い眼の娘』が気に入らないのだろう。

「ねえ、小間物売りさん達。知ってる? 昨晩うちの結月ゆづきが死んでるのが見つかったの」

「噂で聞いたんだけど野犬に殺されちゃったみたい。足抜けなんかするから罰が当たったんじゃなァい?」

「こら、由季よしすえ! 藤恵里ふじえり! 余計な事を……!!」

「夜も売り歩くんでしょォ? 気を付けた方が良いわよ……と云っても、夜中にそんな不気味な目を見たら、犬の方が逃げるかもしれないけど」

 くすくす。

 くすくすくすくす。

 ケラケラケラケラケラケラ。

「今度からアンタじゃなくて、物部様と其処の新人君が売りに来てくれたらいのに」


 ◆


「小間物売りって儲かるんだなあ」

 注文品が殆どであったとはいえ、予備で持ってきていた商品まで売り尽くし、ひょいっと軽くなった空の箱を背負った。

 午前だけで、半月分の売り上げを叩き出してしまった。

「酢漿さん、奉公の経験でもあるんですか?」

「いや、初めて」

「初めてでこれって……!」

「だって、あれ以上、天満月が悪く云われてんの聞きたくなかったから」

 どくんっ、と心臓が跳ね、飛び出すかと思った。

「『何処かの誰か』が勝手に決めた『普通』を押し付けられるって嫌だよな。さっきの女の人達は他の人に負けない位、綺麗になろうと頑張ってるんだろ? 遊郭に限らず特別な存在になる為に、人は『普通』に埋もれないようにしている。なのに天満月の瞳を『普通じゃない』から嘲笑うのはおかしいだろう」

 頬が、目頭が、心が――熱い。

 それ以上に、痛くて苦しい。

「天満月の瞳は綺麗だし、不気味でも何でもねえよ」

 誰かに、純粋に、瞳だけを褒められたのは初めてだった。

 物ノ怪駆除の最中――この瞳が、他の人からはどのように見えているのか分からない。《反転邪視》を直視している物ノ怪は『化物』と云い放ち、全員絶命した。

 態々、そんな瞳を鏡で確かめる気にもならなかった。

 生きている者で、私の瞳を間近で視た事があるのは酢漿さんだけだ。

「……私の瞳は、どのような瞳なのですか?」

 ぐっと顔が近付き、瞳を覗き込まれる。

「周りの光によって蒼だったり翠になったり……でも元は白銀かなあ。宝石みたい」

「では、はどうでしたか」

「――満月みたいだった」

 満月?

「白目が濃紺で、瞳が月明かりで白銀の中に、黄金色の光がゆらゆら揺れて……目に夜空があるって、すっげえ綺麗だなあって思った」

 真っ直ぐ、正面から答える酢漿さんは嘘を吐いているようには見えない。

 瞳の能力――《反転邪視》を欲しているようにも見えない。

 抑々、一般人の酢漿さんがこんな瞳を手に入れても利点メリットが無い。……私を褒めた処で、先程の遊郭での出来事のように得する訳でもない。

 誰かを殺す瞳が、綺麗な筈ない。

「……酢漿さん、近いです。離れてくだ――」

 ぐー……きゅるるる……。

 聞き覚えのある音がし、酢漿さんの顔を見る。気まずそうにしている辺り、今朝の物部様からの請求書が却々なかなか応えたらしい。

 早めに仕事も終えられ、昼食には未だ早い時刻だが、早朝から走り回っていた為、其れ成りに空腹である。

「……ご飯、食べに行きますか」

「行く!」

 急に元気になり、先程までの凛々しく思えた姿が、今では大型犬のようだった。


「はい、ライスカレー二人前ね!」

 牛肉入りのライスカレー、そして満々なみなみと水が注がれた洋盃コップスプーン

 吉原から近いので、よく利用する食堂の名物だ。

 今朝の事を思い出し、注文の際に酢漿さんの分は大盛りにしてもらった。

「天満月……これ……」

「ライスカレーです。食費の事でしたら気にしなくて大丈夫ですので……」

「いや、ライスカレーって、何?」

「……食べた事ありませんか?」

「だってこれ、どう見てもウン――」

「それ以上云ったら、今後一切ご飯抜きですからね」

 ご飯抜き、という言葉に口を噤み、怪訝そうに匂いを嗅ぎ始める。

 ライスカレーを食べた事がない、というよりも、存在を初めて知ったという顔だ。

 だいぶ洋食が広まってきたとはいえ、全く食べた事のないという人も少なくはないとは思うのだが……。蓼村出身と云っていたが、今まで村から出てこなかったから、洋食にも馴染みが無いのか。

 ……そう云えば、蓼村なんて、この近くにあっただろうか?

「うっめえ!」

 一口分掬い、恐る恐る口にした酢漿さんが、煌々と、子供のように目を輝かせた。

 余程美味しかったのか、がつがつと頬張る様子に周りのお客さんからの笑い声が聞こえる。

一寸ちょっと、酢漿さん! もう少し声を抑えて……」

「でも、天満月が作った飯の方が旨いな」

「…………え?」

 嗚呼。また、このひとは。

 何も考えないで云っていそうな分、余計にたちが悪い。

 頬が熱い。

 こんな人と今まで出会った事無かったから、真正面から褒められても、どうすればいいのか分からない。

 素直に好意を受け取れなくて、もどかしい。……申し訳なくなる。

 それに――

「天満月も、これ作れる?」

「……材料があれば……」

「じゃあ今度作って! 天満月のカレーも美味いんだろうなあ」

 その無邪気さが、素直さが、私には眩し過ぎる。

 このひとが、何を考えてるのか、益々分からない。

 只、一つ。

 物部様からの質問への答えと、遊郭での遣り取りを見る限り、酢漿さんは『普通』を押し付けられる事を異常に嫌っているように思えた。

 私と同じように、今まで嫌な思いをしてきたのか、そこまでは分からない。

 だけど、酢漿さんは自分の考えを持って、自分が正しいと思う行動をしている。

 私とは、全然違う。

 捨てられ、売られたからと言い訳をして、何人も物ノ怪を駆除ころしてきた。

 其処に私の意思なんか無い。

 ――こんな汚い私なんかが、酢漿さんと一緒に居てはいけない。

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