【肆】『酢漿』という名の青年

 酢漿さんへ仕事を教え始めて、数週間が経った。

 その間、物ノ怪駆除の仕事は行わなくて良いと云われていたので、執務室に呼び出されるのは久しぶりに感じる。

 時刻は日付が変わる、少し前。

 一階、居間の時計が零時を知らせる音を確認し、軽く三回、扉を叩く。

「物部様、天満月です」

「どうぞ」

 許可を頂き、少し間を空けてから扉を開く。

 執務室の中央、大きな机には書類の束と書簡、大量の書籍が積まれていた。

 物部様と篝さんが長椅子に腰掛けている。

 眼の下に薄っすらと隈が出来、疲れた様子の篝さんはちらりと私の方を確認だけして、構わず普段着ている唐装を脱ぐ。

 上半身のみ肌を晒し、両手の手袋を外して、物部様の隣に座った。

「……申し訳ございません、保守整備メンテナンス中でしたか。また後程お伺いします」

「構わないよ、呼び出したのは私だからね。其れに、篝君にも聞いておいてもらった方が善い」

 篝さんの手袋の中――両手には指が無い。

 一本や二本ではなく、全ての指が。

 補うように刃物状の《呪具》を付け、私が働くようになるまでは篝さんが物ノ怪駆除を行っていたと聞いた事がある。手袋はその刃先を収める為のものだ。

 酢漿さんが働き始めてから、私が付きっ切りで教えていた為、その間の駆除を篝さんが代わりに行ってくれていたのだろう。

 私のように元々呪いが掛かっている者とは違い、《呪具》を使えば誰でも物ノ怪に匹敵する能力を得ることが出来る。

 但し、対価として恨み憎しみを――呪詛の念を集中して注がねばならない。念が強い程、《呪具》の威力も増すが、その分体力と気力の消耗が激しくなる。

 ――篝さんの駆除を見た事があるが、《呪具》の威力は相当強い。

 失った指や、背中の火傷の痕、身体中の切り傷がその強さの元なのだろう。過去に何が遭ったのか、今まで何処で何をしていたのかは、聞かないのが暗黙の規則ルールだ。

 身売り。戦争。差別。迫害。

 今まで『何不自由なく幸せだった』と心から云える者は、戸籍過去を捨てて〝盈月堂ここ〟には来ない。

「お疲れ様、天満月君。酢漿君の仕事ぶりは如何だい?」

「業務に問題はございません。それ処か、とても営業がお上手ですので、この調子ですと衣食住費全て含めても直ぐに返済し終えるかと」

「そうか。其れは残念だ」

 感情の籠っていない、突き放した口調だった。

 そのまま物部様は、篝さんの指から腕の具合や反応を診ていた手を一旦止め、机へ向かい書類を二枚、私に見せるように広げた。

 一枚目は物ノ怪の手配書。

 二枚目はその物ノ怪の駆除許可証。

「次の物ノ怪駆除の後、酢漿君もしなさい」

 一瞬、息が詰まった。

 どうして。何で、酢漿さんを。

 いつの間にか握り締めていた掌が、小刻みに震えて、冷たくなっていく。

「何故……ですか……?」

「彼が私達に噓を吐いているから。人は噓を吐く時、無意識に右上を見る。彼が右上を見たのは、私が知る限り二回」

 名前と何処から来たのかを尋ねた時。

 小銭を御父上の形見だと話した時。

「君と一緒に居る時は如何だったかな」

 私といる時。

 初めて彼と出会った時、仕事を見たかという問いに対してあからさまな反応だった為、直ぐに嘘だと判った。確かに目線は右上を向いていたかもしれない。

 だが、その他はどうだったか。……正直、よく覚えていない。

 証拠だと云わんばかりに、電報を数枚と近隣の地図を手渡される。

「初めに尋ねた時、若しかしたらと思ったが予想通りだ。『蓼村』なんて村は存在しないし、近隣の役所でも『酢漿』という名の青年の記録は無かった」

 この店では、戸籍を持たない者しか働けない。

 この店では、本名を使

 ――何故か。

「……あの童の名が本名……真名まなだった場合、この店で普通に働ける方がおかしい」

 未だだいぶ話が長くなりそうだと感じたのか、篝さんはゆらりと振り向き、気怠げな表情で呟いた。

「三人分……この呪いに満ちた空間で、真名なんか呼んでしまったら、一気に負の感情に圧し潰される。……御前の眼を視た物ノ怪のような状態になって、善くて、腦病院行き。悪くて、此の場で自害だろうな……」

 真名は、この世に生を受けた時、魂に刻み込まれる個人識別の一つだ。

「だから『自分を認識させない』ように、日頃から呪いと背中合わせの私達は偽名を使っている。たかが名前といえど、情報を出すというのは危険なんだよ」

 身体が呪いに染まっても、自我を保てるように。

 一生呪いと付き合い、生きていくために。

 今の自分を守るために、過去の自分を捨てる。

 物部様は、うつうつらとし始めた篝さんの肩に上着を掛け、額に手を当てる。

 発する言葉は途切れ途切れだが、篝さんは未だ自我は保っていた。

 呪詛を込め続けると、《呪具》を用いても身体に影響が出てしまう。真名を捨てて、この状態なのだ。常人ならば、恐らく三日と保たない。

 この店は私達から溢れ出た負の感情で澱んでいるというが、お客さんが少し買い物をする程度なら問題は無いだろう。

 だけど二人の話が本当ならば、数週間ここで寝食をしている酢漿さんはあまりに危険過ぎる。

 この店の規則ルールを知らずに、最初から偽名だったのは、確かに異様だ。

「もう夜も遅い。篝君は未だ保守整備メンテナンスの途中だし少し熱があるみたいだから、私の部屋で続きを。――天満月君」

「……はい」

「君の瞳の事。君が物ノ怪を駆除している事。今迄嘘を吐いて、天満月君を騙していた彼が『絶対に誰にも喋らない』なんて保証は、何処に在る?」

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