【弐】此れは如何いう事かな

 早朝。午前五時半。

 私はお盆を抱えたまま、目の前で作ったばかりの朝食を掻き込む青年を、只々見ているしか出来なかった。

 傍には、空の米櫃。味噌汁が入っていた空の鍋。

 台所に備蓄していた野菜類はもう無い。

「天満月、お代わりある?」

「もうありません!」

 未だ食べるというのか、このひとは。

 頭を抱えていると、暖簾をくぐると共に声を掛けられた。

「天満月、朝食には未だ早いぞ」

 ぎくり、と、私は恐る恐る振り返る。

 早朝だというのに既に身嗜みを整えている男性が二人。

 物部もののべ様は私の雇い主である。黒紅梅の長髪を後ろで括り、常に笑顔の洋装。二十代半ばに見えるが年齢不詳。

 物部様から一歩下がった場所にいるのはかがりさん。呂色の御河童頭に真紅の唐装姿。物部様の秘書兼会計担当。十代後半から二十代前半に見えるが、こちらも年齢不詳。

 ちなみに、私を含めて全員本名ではない。

 この店は仕事の関係上、しか働けない。

 だから、毎日顔を合わせていても、『顔』と『担当業務内容』しか知らない。

「も……物部様……篝さん……申し訳ございません……」

「は? …………あぁ!? 誰だ貴様!!?」

「あっ! おはようございまーす」

 篝さんが声を荒げ、わなわなと震える。

 そして卓袱台ちゃぶだい周りの食べ終えた食器の山を見てハッとし、暖簾の奥の台所を覗き、また絶叫した。

 ――台所にも先程、青年が平らげた空の食器がどっさりと積み上がっている。

「ああああぁぁああ!! 飯が全く無い!!! 一週間分はあったはずだろう!!!」

「こんな旨い飯食うの初めてで……つい」

「『つい』じゃない!」

「本当に美味しそうに食べてくださるので……つい……」

「『つい』じゃない!!」

 早朝から見知らぬ青年と大量の空の料理を見て絶叫する篝さん(否、私も篝さんの立場なら同じく絶叫すると思う)を見ても、物部様はにこにことしていた。

 その笑顔が、逆に怖い。

「天満月君、此れは如何どういう事かな」

 未だ朝食を頬張る青年に聞こえないよう、為るべく小声で夜明け前に起こった出来事を伝えた。

「……今朝方、そちらの男性に駆除現場を目撃されました」

「!!」

 篝さんが目を見開き、怒鳴りつけられるかと思ったが物部様が制止し、続けて、と促される。

「誰にも云わないから食事を……と仰っておりましたので、監視も含めて店へ連れてきたのですが……」

 この有様です、と暖簾を捲り、物部様は台所を覗いて少し考え、もう一度食卓へ目を遣った。

畢竟つまり、私達の朝食は無いんだね」

「誠に申し訳ございません!!」

 篝さんに睨み付けられ、居心地が悪いが自業自得なのだから仕方ない。もう下がっていいよ、と手で合図を送られ、篝さんの隣に移動する。

 物部様は笑顔のまま、全て食べ終えた青年の隣へ移動した。

「初めまして。此の辺りでは見ない顔だが、君の名前は? 何処から来たんだい?」

 青年は右上を眺め、少し考えてから答えた。

「――酢漿かたばみたで村から来ました」

「酢漿君、ね。私は此の小間こまもの売り屋の店主の物部。天満月君から聞いたよ、彼女の『仕事』を見たんだってね。ところで――」

 物部様は口元に弧を描いたまま薄っすらと瞼を開き、冷たい視線を青年――酢漿さんに向けた。

「彼女の『瞳』は視たかい」

 ぞくりとする声色。

 喜怒哀楽、どの感情にも属さない、考えが分からない声。まるでこの部屋だけ気温が下がったのではないかという程、ひやりとし、動けない。

「大抵の人間は、『普通とは違うもの』を気味悪がるものだが……君は何故、大人しく天満月君についてきたんだい?」

「『普通ではないから駄目』だなんて、『何処かの誰か』が勝手に決めた事だろう」

 しん、と静まりかえる室内。

 別人が喋ったのかと思う程、こちらも冷たい声色だった。けれど物部様とは違い、怒りの色を帯びているように感じる。

 そんな酢漿さんを観察するように、物部様は黙っている。

 物音一つ出すのも憚られる中、先に動いたのは篝さんだった。

 逃がさないよう左手で酢漿さんの首元を鷲掴み、動きを封じる。

 眉間に皴が寄り、瞳孔が開いている。私よりも物部様との付き合いが長く、畏敬の念を抱いている篝さんにとって、酢漿さんの態度は地雷であったようだ。

「言葉遣いには気を付けろ、わっぱ

 そのまま、右手の手袋を口で咥えて外そうとする。

 隙間から、光るものが見え掛けた刹那――。

「駄目だよ、篝君」

 物部様は無表情のまま、篝さんの手を握り、制止する。

「仕事以外でを遣うのは禁止だ。天満月君や酢漿君だけでなく、篝君自身にも危険が及ぶ」

「然し」

「篝君、離しなさい」

「……申し訳ございません」

理解わかれば宜しい。……て、酢漿君。他に云う事は?」

「まあ、見た事無い眼で綺麗だなあとは思ったけれど、嫌悪感なんて全く無かったです」

 先程まで首を絞められていた事等、全く気にしていない様子で雰囲気を崩し、ふにゃりと笑う酢漿さんに呆気を取られた。

 私だけでなく、篝さんも。

「……簪で脅された時は怖かったけど」

 矛先がこちらに向き、思わず目を背ける。

 最初、逃げる彼を捕まえた時に、いざとなれば殺すつもりで簪で脅した事を忘れていた。

 こちらを向いた、篝さんの顔が怖い。篝さんだってつい先程迄、同じく殺す勢いで脅していたのに。

「ふふふ、そうかいそうかい。面白い子だねえ」

 物部様もいつもの笑顔に戻り、万年筆を手に取って、さらさらと紙に何かを書き出した。

「それでは、取り敢えず一週間分の食材費及び私達の朝食代を払ってもらおうかな」


 請求書

 一金、七捨圓 ※現在の価格で約九万八千円

 右之通リ請求仕候也


「いやいやいや! ちょっと待って! そんな金があったらどっか店で食べてるって!」

「いいから財布を出せ」

「カツアゲ!」

 ――約五分後。

 篝さんが酢漿さんの着物を隅から隅まで調べたが、何も出てこなかった。

 彼の持ち物は実質、左耳の耳飾りに付いている小銭のみになる。

 だが、この小銭がおかしい。

 よくよく見てみると、形は小銭でも、金額が書かれていないのだ。

 酢漿さんは目を泳がせ、申し訳なさそうに呟いた。

「父さんの形見で、絶対に手放すなって言われてるんだけど……これしか無くて……」

「只の装飾品のようだな」

「これは……小銭とは呼べませんね。それにお父様の形見ですし……」

 どうしましょうか、と物部様の方へ目を遣ると、何やら小銭をじっと見詰めている。

 薄っすらと文字が彫られていたが私には読めなかったがどうやらその部分を読んでいるらしい。何度か表と裏を見返し、ふむ、と頷いた。

「仕方ないね。流石に私も御父上からの大切な形見を奪ってまで払えとは云わないさ」

 じーん、と頬が紅潮し、酢漿さんは感動している様子だった。

 厭な予感がする。

「も……物部さん……!」

「其処で提案なのだが、うちで働くのは如何だい?」

「……物部様? 今、何と仰いました? この失礼極まりない童を、どうしようと……?」

「此処の従業員にする。期限は返済を終える迄。勿論、衣食住の保障もしよう」

 其れでは天満月君、後は宜しく、と部屋を出ていく物部様に反論なんて出来る訳が無い。

 私は口を開けたまま呆然としている酢漿さんをどうしようかと、今日一日のこれからの予定を組み直す事にした。

 篝さんは頭を抱え、その場で膝から崩れ落ちた。

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