第30話 弁才天

 力蔵たちが旅立った翌早朝、佐藤三郎太と大川太持が数名の供を連れて訪ねてきた。供は鍬や荒縄などの道具を手にしている。三郎太は眩しいものを見るように雉女を眺め、改めて勝蔵を人柱にしたことを詫びた。続いて太持が口を開いた。


「雉女殿が佐原の首塚を作りたいと聞いたので人を連れてきた」


 熊蔵と親密な関係にあると聞いていたが、彼の言葉はよそよそしく謝罪や後悔の色はなかった。逆に、恩に着せているようにさえ聞こえた。雉女は感情を抑え、勝蔵が作った杖を取った。


「では、さっそく案内していただけますか」


「遠いが、大丈夫か?」


 それは労わるというより、馬鹿にしたような口調だった。太持は雉女の抱いた龍蔵に眼をやり、それから足元に視線を落とした。


「歩くのには慣れています」


「ふむ……。ならば、参ろう」


 勝之介が首桶を抱える。


「意外と重いものだな」


「それが命の重さなのです」


 雉女は教えた。その言葉に心が動いたのだろう。三郎太が口を開いた。


「首桶は……、久助きゅうすけ、お前が持て。お主は、赤子を……」


 雑色の久助に首桶を持たせ、勝之介が龍蔵を抱くように言った。


 先頭を三郎太と太持が肩を並べ、雉女と勝之介が後を歩く。更にその後に、久助ら三郎太の供が続いた。一行を導くように、もやの向こうに乳白色の太陽が淡く輝いている。空気はしっとりとしていて、雉女の肌にまとわりついた。


 時と共に靄が晴れた。青々とした景色が広がり、2羽の鳶が空に円を描くのが目に止まる。地上には濁流に襲われた田畑があった。そこで働く百姓が数人。


「百姓が少ないのですね。老人や女子供ばかりのようですが……」


 わずかな百姓の手で荒れた田畑が元通りになるとは思えなかった。


「仕事があるのは、ここだけではないのだ」


 三郎太が言葉を濁し、太持が話題を変えた。


「また粟と稗の暮らしですな」


「食うものがあるだけマシだろう」


 前を行く2人の話に、雉女は憤った。命があるだけマシなのだ、と。


 半日ほど歩いて奥州街道を越えたところに、土が積み上げられたばかりの新しい土手があった。そこに人の胸ほどまである自然石が立てられている。人の頭ほどの八つの石が取り巻いて巨石を支えていた。


「あそこが……」


 足を止め、巨石を指した三郎太が言いよどんだ。


「……柱を立てた所だ」


 雉女は三郎太たちを追い越して土手に上った。


「勝蔵さま。そこにいるのですか……」


 ごつごつした巨石にすがりついた。命を持たない石が、何故か温かく感じる。まるで勝蔵を抱いているようだった。


 私があの世に行ったら見つけてください。また、一緒に暮らしましょう。そう心の内で話しかけると、涙がこぼれた。


 久助が巨石を支えている石のひとつに首桶を置いた。


 勝之介が手を合わせ、「兄者、かたきは取ったぞ」と、まるで自分の手柄のように言う。


「隣に、この者の首塚を作ります」


 雉女が声にした時、グラリと地面が揺れて巨石が傾いた。


「地震だ。大きいぞ」


 太持が声を上げる。首桶がごろりと転がり落ちて蓋が取れた。周囲に赤く色づいた塩がこぼれ散り、頭の半分程が覗いた。それは毛の生えた大きな干し柿のようだった。「いかん……」声を発した久助が、慌てて首を元に戻した。


「どうやら佐原は嫌われているようだ。側に葬るのはどうかな……」


 三郎太が顔をしかめる。


「そんなことがあるのかい?」


 数時間ほど共に歩いただけなのに、勝之介が馴れ馴れしい口を利いた。そういう性格なのだ。そんな若者にも三郎太は怒らなかった。


平将門たいらのまさかど公のこともある。あの乱から70年たつが、聞くところによるとその首はたたるそうだ」


「ゲッ……」勝之介が喉を鳴らして雉女に向いた。「……どうする?」


「では、別の場所に水天神として祭りましょう」


「良いのか? 敵だぞ」


「死んでしまえば、敵も味方もありません。それにこの地震、勝蔵さまではなく亡き佐原さまが起こしたのかもしれません」


 雉女の逆の推測に、武士たちが顔を見合わせた。思案した三郎太が口を開く。


「ならば……、逢隈川と黒川が交わる地にワシの領地がある。そこもしばしば水があふれる。佐原に守ってもらうとしようか」


「そうしていただければ……」


 雉女が同意すると、一行は奥州街道まで戻り、ぬかるむ道を南に向かった。


 目的の場所に着いた時、太陽は大きく西に傾いていた。


「ここだ。この川からあの小さな杉林までがワシの領地だ」


 三郎太が右腕を西に伸ばして杉林を指す。樹木の長い影が水の退いた荒地に落ちていた。


「ここに佐原の首を葬ろう。よろしいな?」


「よろしゅうございます」


 承諾するとそこに穴が掘られた。


 勝之介が、そろりそろりと首桶を納める。


「佐原め。水天神になるとは大出世よ。いずれ供養塔を立ててやろう」


 三郎太が手を合わせた。


「水が治まり信夫庄が豊かになるよう、舞を奉納しましょう」


 雉女は杖を勝之介に渡し、勝蔵の横笛を懐から取り出して唇に当てる。――ヒョロロー……、聴き覚えた曲を奏でた。自分の笛の音を、幾度となく聞いた勝蔵のそれと比べる。自分のものは勝蔵には遠く及ばないとわかるから、哀しくてならなかった。


 勝之介が杖を振って水の舞を舞う。舞い終えると、今度は雉女が勝之介の刀を借りて舞った。


 夕暮れの中、くうを切る刃は怪しく煌めいて人の心を惹きつけた。


「笛も刀も操るのだな……。まるで弁才天のようだ」


 三郎太がつぶやく。その顔には、雉女の色気に惹かれる様子と、自分に刃が向けられるのでは、と疑う色とが交じり合っていた。


「弁才天というと鎮護国家の神ですな。水の神でもあり学問の神でもあるという」


 太持の顔は何かに酔っているようだった。


「そうよ。天竺てんじくの女神だ」


 2人が雉女の舞に目を凝らす。弁才天だと褒めながら、それを抱いてみたいと思っているのに違いなかった。


 雉女が舞い終えると、三郎太が訊いた。


「それは白拍子の今様舞か?」


「いいえ、傀儡女の雉の舞でございます」


 ちょうどその時、龍蔵がぐずりだした。雉女は勝之介に刀を返して乳を与えた。


「そうか。もしやと思ったが……」


「もしやとは?」太持が訊く。


「義経公が寵姫、静御前のことよ」


「あぁ、それならば関東のどこぞの川に身を沈めたと噂で聞きましたが……」


「ワシは安積の池に沈んだと聞いた。しかし、この雉女がその静御前ではと、ふと思った。舞いに気品がある」


「まさか。春を売る傀儡女ですぞ」


 つい先ほどまで踊りに酔いしれていた太持が冷笑を浮かべる。三郎太は彼の言葉を聞き流した。


「雉女よ。はらんだ身では何かと苦労があるだろう。子が生まれるまでワシの館に住め」


「いいえ、私は……」雉女は首を振った。三郎太は、愛しい夫を殺した男の上役にあたるのだ。その申し出を素直に聞くことなど出来なかった。


「お前は弁才天の化身かもしれぬ。ワシの館に住むのに遠慮はいらんぞ」


 何度も断る雉女に三郎太がしつこく迫った。しまいには勝之介が「申し出を受けよう」と同調した。


「では、この子が生まれるまで、お世話になります」


 雉女は勝之介の顔を立てて三郎太の申し出を受け入れた。

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