第29話 別離

 信夫庄を発つ前日、雉女は力蔵を訪ね、信夫庄に残りたいと頼んだ。


「雉女ひとりで残るというのか?」


「私が残ると、長者にご迷惑がかかるでしょうか?」


 雉女なりに、力蔵と中原広本との関係を気遣った。


「ワシの事など案じることはないが……。勝蔵の事、1年も暮らしていないというのに忘れられないというのか?」


「はい。勝蔵さまは、私を心から愛してくださいました」


「ならば、雉女がひとり苦労するのを、勝蔵は喜ばないと思うが……」


「勝蔵さまは、羽山から私の暮らしを見守ると言ったそうです」


「羽山からとは、どういうことだ?」


「西行さまが、魂の声が聞こえると言い、あかずして 別れし人のすむ里は 沢湖の見ゆる 山の彼方か、と詠んだのです」


「あぁ、それは熊蔵から聞いたが……」


「別れし人が私のことならば、すむ里とは、ここ信夫庄に違いありません」


「西行の和歌が勝蔵の気持ちだと、信じるのか?」


「他に頼るものもありません。お願いいたします」


 地面に手を着いた。


「そうか……」


 力蔵が遠くに視線をやった。そこに青々とした峰越山がある。その西の峰が羽山だ。


「あそこから、勝蔵が昇ったか……」


 力蔵が眼を閉じた。目尻に涙が滲んでいる。


「ヨシ」声と共に眼を開けた力蔵が、勝之介を呼んだ。


 勝之介は勝蔵の8歳年下の弟で、風貌は力蔵とも勝蔵とも似ていなかった。細面な顔には貴族的な繊細さがある。弓の腕前だけなら勝蔵と遜色ないのだが、わずかばかり思慮の浅いところがあった。


「親父殿、俺に何か?」


「うむ。お前は雉女と共にここに残れ」


「俺が?」


 勝之介はチラッと雉女を見ると、「なぜです?」と力蔵に向いた。


「我々は奥州平泉まで行き、1年後には戻ってくる。それまで、雉女を守れ」


「まさか、兄者の墓守というのではないでしょうな。それなら御免です」


「守るのは墓ではない。雉女だ」


「守る必要などあるのですか? 雉女ならば、いくらでも客が付きます。食うに困ることはないでしょう」


「馬鹿者。雉女は女子だ。幼い龍蔵もいれば、身重でもある。しばらく客足も遠のくだろう。その間、お前が支えるのだ」


 説明されて初めて、勝之介は自分のやるべきことを知ったようだ。が、納得したのではなかった。「子守ですか……」と憎まれ口をたたいた。


「私なら、ひとりで大丈夫です」


 親子が対立するのでは、と案じて雉女は口をはさんだ。


「ならん。雉女は中原殿からの預かりものだ」


「親父殿は、武士が怖いのか?」


「これから世の中は益々乱れる。武士の時代になるということだ。武力が重んじられれば道理は引っ込む。勝蔵のように、いきなり殺されることもあるだろう」


「それで尻尾を巻くのか?」


「ワシは、大勢の女子供、年寄りを養って行かなければならん。お前もそうやって育ててきた。負ける喧嘩は出来ないのだ」


「ならば、俺は強い方に着く。武士になる」


「馬鹿な……」


 力蔵のこめかみに血管が浮いた。


「武士の時代になると言ったのは親父殿だ」


「武士の時代になるからといって、武士が幸せだという訳ではないのだ。むしろ、そこから距離を置いた方が幸せということもある」


「何をめているのです。……勝之介が嫌なら、ワシが雉女と残りますぞ。男ばかりの小屋に住むのも飽きましたからな」


 顔を見せた蔵之介が言った。


「お前には、勝蔵の代わりをやってもらわなければならん。男ばかりの小屋が嫌だというのなら、自分で妻を決めろ」


 力蔵は、蔵之介を制してふくれっ面の勝之介に向いた。


「親父殿の言うことは、全くわからん」


「今はわからなくてよい。とにかく、1年ほど雉女を守れ。その頃にはワシらも平泉から戻る」


「仕方がない。守ればいいのだな」


 勝之介は不承不承の体で承諾した。そうして雉女に向ける瞳は若者らしい性欲に満ちたものだった。


「雉女は身重なのだ。無茶をするなよ。蔵之介は荷づくりを急げ」


 力蔵は一言付け加えてその場を立った。


 その夜から、蔵之介の小屋を出た勝之介は雉女のもとに泊まった。


「しかし、これは何とかならないのか……」


 彼が文句を言うのは首桶のことだ。百太夫の隣に置かれた首桶の前には摘んできた花が供えられている。


「こんなのがあっては、雉女を抱く気力も失せてしまうぞ」


 雉女は、ふてくされる勝之介に「子供ですね」と応じた。


「何を言う。俺の方が六つも上だぞ」


「それなのに子供なのです」


 チェッと舌打ちして勝之助が話題を変える。


「この首桶を、どうするつもりなんだ?」


「勝蔵さまが埋められた場所に葬ります」


「そうか。ならば、さっさとやってしまおう」


「どこに埋められたのか、わかりません」


「そうかぁー、そこからか……」


 勝之介は少し考えたようで、「佐藤三郎太という武士に聞けば分かるんだよな」と声を上げた。


「はい。教えていただけるよう、熊蔵さんに頼んでおきました」


「なんだ、そうなのか。早く言ってくれよ。考えて損したぞ」


 勝蔵は無口で慎重な物言いをしたが、勝之介は全く違っていた。軽薄といってもいいほど、その言動は軽い。だからこそ雉女も深刻にならずに済んだ。


 翌日、傀儡子たちは早朝から小屋をたたみはじめ、力蔵が雉女の小屋に米や蕎麦そばひえいもなどの入った麻袋を置いて行った。ほどなく彼らは列を作り、雉女は龍蔵を抱いて見送りに立った。


 力蔵、熊蔵と、通り過ぎる者たちに頭を下げる。彼らは眼だけで別れの挨拶を述べた。子供と老人、女たちは「達者でいるんだよ」と声にした。馬が行く。行列の最後は蔵之助だ。


「無事でいたければ、雉女の言うことをきけ」


 彼は弟に向かってそう言い残した。


 行列は淡々と進み、蔵之介の背中が小さくなる。強がっていた雉女も、いざ、みなが遠ざかると心細くなった。隣の勝之介を見あげ、こんな男でもいないよりましだ、と自分を励ました。

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