第28話 首

 家を出てから三日が立っても勝蔵は帰らなかった。義経なら戦になるとひと月もふた月も顔を見せないことがあったが、傀儡子もそうなのだろうか?――男ときたら、一週間も帰ってこないことさえある……、白女の言葉を思い出して不安を封じた。


 その日の午後、力蔵に呼ばれた。勝蔵に何かあったのかもしれない、と慌てて力蔵の小屋に駆け込んだ。そこには熊蔵もいた。


「雉女、呼び立ててすまない……」熊蔵が大川太持の屋敷で聞いてきたことを話した。今朝、西行が宿泊していた佐藤三郎太さとうさぶろうたの屋敷から突然旅立ったというのだ。


「雉女、昨日、西行法師がお前のもとで遊んだと聞いたが、何を話した?」


 雉女は面白くなかった。力蔵が勝蔵のことを案じず、西行のことを言うからだ。


「私は何も……。西行さまは、死んだ友を生き返らせたとか、全てのものに仏性が宿っているとか……。そんなことを話しておられましたが……」


「まさか、死人を生き返らせるなど……。本当にそのようなことが出来るのか?」


 熊蔵が顔色を変えた。


「……私にはどのようにしたのか分かりません。でも、西行さまは実際にそれを行い、後悔したと話しておられました。生き返った人間は、姿かたちは友人のものでも中身は違った、というような話でした」


「西行法師……。神か、魔物か……」


 力蔵が絶句し、目を閉じる。


「法師は佐藤三郎太の家を出る際、――あかずして 別れし人のすむ里は 左波子さばこの見ゆる 山の彼方か――と歌を詠み、さらばこの世、さらばこの湯、と言って出て行ったそうだ。雉女はそれらのことについて何か聞いたか?」


 熊蔵に問われ、雉女は違和感を覚えた。


「その和歌は、昨日湯上りに詠ったものかと……。羽山から空に昇る魂が詠っているのだと話していました。さらばこの世とは、そう言うことかもしれません。でも、今の和歌は、あの時とどこか違っているような……」


 昨日の西行の様子を思い出そうとしたが、浮かぶのは勝蔵の姿と声ばかりだった。


「どこが違う?」


「……それが、分かりません」


「そうか……。所詮、恋の詩。意味はないか……」


 熊蔵が、気が抜けたように言った。


「鎌倉殿や九郎殿のことなど、話してはいなかったのだな?」


 力蔵が核心を問う。


「義経さまの?……なにも話してはおりませんでしたが……」


「そうか。ならば良い」


 力蔵がうなずき、雉女は返された。


 熊蔵が足しげく通う太持に、勝蔵らしき男が人柱にされたと聞いて帰ったのは四日後のことだった。夕食を前に彼が報告すると、傀儡子たちは沈黙した。フジや早乙女などは泣きだしてしまった。


「人相風体を聞く限り間違いあるまい」


 力蔵さえ、熊蔵の話を聞いて肩を落とした。しかし、雉女は納得できなかった。


「そんなはずはありません。あれほど強い勝蔵さまが、唯々諾々いいだくだくと人柱にされるなどあるはずがない。誰が勝蔵さまを捕え、人柱にしたなどと言うのですか?」


「大川殿が言うには、勝蔵を人柱にしたのは佐原平祐という武士だ」


「それは噓です。あの人が、たったひとりの武士に生け捕られるなど……」


 不安が雉女の声を奪った。もしそうなら……、と怒りと悲しみが胸の底で渦巻く。


「もちろん、捕えたのはひとりではないだろう。その武士が指揮を執ったということだ。理解しろ、雉女。……で、どうする、長者? 黙って受け入れるわけにもいくまい」


 熊蔵が力蔵に判断を求めた。居並ぶ傀儡子たちの視線も力蔵に集まった。


「もちろんだ。たとえ一介の傀儡子とはいえ、いきなり人柱にするなど、人の道に反する。場合によっては……」


 勝蔵の敵討ちを……。胸が張り裂けそうな雉女には、力蔵がそう言っているように聞こえる。


「しかし、今ここで佐藤基治と事を構えるのは……」


 普段は無表情な力蔵の顔にも苦渋の色がにじみ出ていた。相手は地元の豪族なのだ。力づくで抗議すれば自分たちが殺されかねない。かといって放置すれば、長者として一族を守る勤めを放棄したことになる。まして殺されたのは、片腕と信頼していた息子なのだ。感情はやすやすと治まらないに違いなかった。長者であるがゆえに、それを表に出来ない苦悩はいかばかりか……。


「とにかく、高坂殿を訪ねて事の経緯を確認し、それ相応の詫びを入れさせる」


 力蔵は熊蔵と力太郎を連れて立った。


「私も行きます」


 雉女が立つと、梅香と桔梗に腕を取られた。


「こういうことは男のすることだよ」


「私は勝蔵の妻です。直接会って、話を聞きたい」


「勝蔵は白女にとっては実の息子。その気持ちも考えておやりよ」


 梅香に諭され、白女に眼を向けた。彼女は瞼を閉じて、じっと耐えている。雉女は梅香に肩を抱かれて腰を下ろした。初めて涙がこぼれ出た。勝蔵さまは死んでなどいない。必ず戻ってくる。……心の内で自分に言い聞かせると、更に涙が増えた。


 力蔵が戻ったのは、夜もとっぷりと更けてからのことだった。高坂吉近の家を訪ねたところ、勝蔵の一件は佐藤基治の姻戚の佐藤三郎太に間に入ってもらった方が良いと教えられ、彼の館を訪ねて長く居たらしい。


「佐藤三郎太殿が佐原平祐を呼び出して問い質してくれた。やはり、人柱にされたのは勝蔵だ。これがその証拠」


 力蔵が傀儡子たちの前に弓を置いた。


 雉女は這いより、見覚えのある勝蔵の弓を抱いた。


「勝蔵さまに何の罪があったというのです」


「運が悪かったのだ」


「運だけで、生き埋めにされたというのですかっ!」


 泣きはらした眼を大きく見開いて力蔵にみついた。


「佐藤殿も謝罪しておった」


「謝罪?……それだけで済まされるものですか!」


「雉女の言う通りだ。それで、これをもらってきた」


 熊蔵が持ってきた布包みを前に出した。布が解かれると、現れたのは正目の美しい首桶くびおけだった。彼が蓋を取る。敷き詰めてある防腐剤代わりの塩の中に少しだけ黒いものが見えた。


「それは、もしや……」梅香が顔をしかめた。


 白い塩の真ん中に見えるのは、武士のまげだった。


「佐原平祐の首だ。罪を認め、その場で腹を切った。これをもって、お互いに遺恨を残さない。そう話を着けてきた。……皆の者、良いな。勝蔵のことは、今をもって忘れるのだ」


 力蔵が命じた。


「あぁー」


 悲嘆の声がした。それまで涙を見せなかった白女が、初めて泣き崩れた。


 雉女の中で何かが弾けた。首を取り出して、平祐の顔を見てやろうと思った。前に出ると手を伸ばし、首桶の中の髷を摑んだ。


「止めろ、雉女」


 彼女の手を熊蔵が抑えた。彼は雉女をにらみつけ、ゆっくりと首を振った。彼の力に負けて髷を離したが、首が少し持ち上がって塩の中から額が浮いて見えた。


「こんな男に、あの人が負けたというのですか! 佐原とやらが死んだところで、私は納得いかない」


 雉女は熊蔵をにらみ返した。


「死んでしまったものを、どうしようもないであろう。佐原平祐は現場の責任者で、勝蔵を呼び止めたそうだ。勝蔵を捕まえたのは多くの武士の手によってだが、当身をくわえて暴れる勝蔵を鎮めたのも、この佐原ということだ」


 勝蔵が捕えられた様子を想像したのだろう。説明する力蔵の瞳が濡れた。


「私は、勝蔵さまを返して欲しいのです」


 地面をたたき、やりどころのない怒りをぶつけた。


「雉女。長者に無理を言うな。……どうしてもというなら、西行法師に頼んで生き返らせてもらえ」


 熊蔵が言った。雉女ははっとした。その手があると思った。


「そうします。西行さまを探し、生き返らせてもらいます」


 すぐに北へ向かわなければ……。そう考えて雉女は立ち上がった。その瞳に狂気を見たのだろう。熊蔵の顔がスッと怯えたものに変じた。


「雉女、待て。ワシと爽太とで、西行法師を捜してこよう」


 伊之介が立った。


「お止め!……」白女の声が飛んだ。「……ワシだって、出来ることなら勝蔵に生き返って欲しい。でもそれは、ただの情だ。……一度死んだ者が生き返るなど、自然の理ではない。ワシら傀儡子の生き方とは違うよ。……ワシらは草木と同じ。この世界に生まれたままの姿で生き、ありのままに死んでいく。全てを百太夫さまに委ねてねぇ。そうは思わないかい……」


「そんな……」雉女は恨めしく思った。その時、頭の中で声がした。


 ――それは確かに友の形を作って生き返ったが、昔のワシの友とは全く異なる命やった。死んだ者を懐かしみ迷わせてはならんのや。亡くなった者を引き戻すことより、新たな存在を生み育てることが肝要や――


 その声が西行のものか、勝蔵の声かはっきりしない。体内の赤ん坊が腹を蹴った。まさか、この子の声か?


 白女の言うとおりだと思った。……へなへなと座り込んだ。そして決めた。


「その首……」


 傀儡子たちの視線が雉女に集まる。


「……その首、私にいただけますか?」


 雉女の申し出に周囲がざわつく。力蔵は眉をしかめた。


「どうするつもりだ?」


「首塚を作り、勝蔵さまと共に弔います」


 思案した力蔵が、「よかろう」と応じた。


「和解したとはいえ、どことなくしこりも生まれた。天気が良ければ、明後日にはこの地を立つ。準備を怠るな」


 力蔵が一同に命じる。「オウ」と応じた傀儡子たちの声は、いつになく鈍かった。


 首桶は抱え上げるのがやっとの、重いものだった。小屋に戻った雉女は、百太夫人形の隣にそれを置いた。


「南無阿弥陀仏」


 両手を合わせると西行を思い出す。数日前、彼は湯の中で声を聞いたと言った。羽山から天に昇った魂の声だ。その魂は、勝蔵のものだったのではないか?……西行法師はそれを知っていたから、私の小屋に寄ったのかもしれない。亡くなった者を思うより、新たな存在を生み育てよというのは、勝蔵の思いを西行法師が口伝えにしてくれたものかもしれない。……新たな気づきに再び涙した。

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