第22話 今更、なんだよ…

 あいつか……。


 なんで、今日に限って、あいつなんかが。


 春風浩紀はるかぜ/ひろきの心は曇り始めていた。


 これから、夏芽雫なつめ/しずく先輩と一緒に食事をしようとしていたところだった。


 やっと、あいつのことを忘れようと必死だったのに、これでは、また逆戻りである。


 喫茶店内の席に座っている浩紀は俯きがちになった。




「……どうしたの?」


 水を飲んでいた先輩が、浩紀の表情の暗さに気づいたようで話しかけてきた。


「……い、いいえ、なんでもないです」


 浩紀は心配をかけさせないように、そういう風に強がって見せるが、夏芽先輩は何かに察したようだ。


 先輩は店内を見渡す。

 そして、先輩の視界に、今、入店してきた人らの姿が入ったのである。


「……もしかして、あの子のこと?」


 夏芽先輩は再び、テーブルを挟み、対面している浩紀へと視線を向け、問いかけてきたのだ。


 浩紀は少々言葉に詰まる。

 ただ、頷くだけで反応を返した。


「そう。あの子のことね」


 夏芽先輩は、入店し、席へと案内されている人らの姿を遠くから見ていた。


「でも、あの子らは気づいていないみたいよ」

「だったら、いいですけど……」


 浩紀は彼らの方に視線を合わせないように、顔を反対側に向けていた。


 幸いなことに、彼らが座ることになった席から結構距離がある。

 むしろ、それだけが唯一の救いだった。


 浩紀の脳裏には、嫌な思いがフラッシュバックする。気を紛らわすために、水を飲むのだった。






「ご注文の品です」


 数分度。浩紀が座っているテーブルに注文の品が届いた。


 テーブル前には東城夢とうき/ゆめが佇んでいる。

 彼女は先ほどまで店内の奥にいたこともあり、現状に気づいていないらしい。営業スマイルを見せ、浩紀と夏芽先輩に交互に話しかけていた。


「ご注文はこれでよろしいでしょうか?」


 夢は愛想良く、すべての注文の品をテーブル上に置いた。


「大丈夫よ。ありがとね」


 先輩はOKサインを見せた後、夢に対し、ウィンクをしていた。

 その行為になんの意味があるのかわからないが、夢に何かを伝えようとしているように思える。


「浩紀も、これでいいでしょ?」

「はい……大丈夫です」


 浩紀はおとなしく頷いた。


「夢ちゃんだっけ?」

「はい」

「後でいいから、浩紀と会話してあげてよ。幼馴染なんでしょ? あと、言いたい事とかある感じでしょ?」

「んッ、え、いいえ……はい、わかりました」


 夏芽先輩からの突然の問いかけに、夢は同様している感じである。

 けど、現状を理解し、ゆっくりと頷いていたのだ。


「浩紀君? あとで時間ある?」

「え?」

「私、まだバイトがあるから私の方から連絡するね」

「う、うん」


 浩紀はまだ、心が塞ぎがちだった。

 このままではよくないとは思っているが、まだ、本当の意味で自分の心と決別ができていなかったのである。


「……じゃあ、まだあとでね、浩紀君」


 夢はこっそりと浩紀に伝えると、事前に手にしていた支払い表を透明な筒状の中に軽く折り曲げて入れていた。


 夢は仕事が忙しいようで、すぐに背を向け、立ち去って行ったのである。




「ねえ、浩紀。食べよ。その方がいいでしょ。あの人らも、こっちに気づいていないようだし」

「……そうですね」


 浩紀は小さく声で反応を示す。

 まだ、自分の中で納得していないのだ。


 でも、これ以上、自分のことで夏芽先輩に心配をかけたくなかった。

 だから、テーブル上に置かれたサンドウィッチを手に、先輩と共に食べ始めることにしたのだ。






 元々は仲が良かったのに、ここまで関係性が拗れるなんて昔は考えたこともなかった。

 小学生の頃からの親友だった奴とは、大人になってもずっと親友のままだと思っていたからだ。


 人生というのはどうなるかわからない。

 イレギュラーな出来事が生じるからこそ、人生なのだろう。


 浩紀は昼食として食べているサンドウィッチを咀嚼しながら考え込んでいた。


「ね、浩紀。こういう話をするのも嫌だろうけど。あの子のことね。私、知っているの」

「え? 夏芽先輩が?」

「うん。私、地元のプールで何回か偶然会ったことがあるの」

「そうなんですね……」

「ちょっと、気分を悪くさせてしまう内容かもしれないけど。それとね、あの子、今回の水泳大会に参加するみたいなの」

「……ッ⁉」


 浩紀は、今食べているサンドウィッチを喉に詰まらせてしまいそうになる。

 咄嗟に、水を飲み。状態を落ち着かせる。


「どうして、そんなことを今……でも、だったら、あいつと関わるなら、大会なんて」

「これは約束なの」

「約束? 誰とですか?」

「あの子との」

「あの子って、あいつとですか?」

「ええ」


 夏芽先輩は真剣な表情を語り始める。

 なんで、こんな時にそういうことを言うのだろうと思う。


 あいつが大会に出るなんて。

 だったら、大会に出るなんて、夏芽先輩とは約束はしなかった。


 あいつとは関わりたくない。

 でも、悩んでばかりではよくないと、自分の中ではわかっている。

 だからこそ、余計に心が締め付けられるように痛むのだ。


 まだ、自分は、本当の意味で過去と決別ができていない。

 心が弱いのだろう。


「でも、大会に出れば、色々とわかると思うから」

「でも、まだ、心に目途がつかないと……」


 本当に心が弱い。

 そう考えてしまうほどに、今、追い詰められているのだと思う。


「……」

「でも、できれば、参加してほしいの。私の口からはすべてを言えないけど」


 夏芽先輩は普段と違い、言葉を濁していた。


 浩紀は孤立を感じてしまう。

 店内には、多くのお客がいるのに、今、嫌な感情に支配されているがために、悪い方ばかりに考え込んでしまうのだ。


 刹那、誰かの気配を背後に感じた。

 懐かしい思いと、苦しい感情。その二つに今、もっとも苛まれている感覚。


 浩紀がふと背後を見やると、そこには元親友だった辰巳が佇んでいたのだ。


 どうして気づかれたんだろうと思う。


「お前、久しぶりだな」


 パッと見、辰巳たつみは、爽やかな感じの好青年である。

 モテそうな外見に加え、高校生になったことで、中学時代とは違い、より一層、社交的になった印象があった。


 すでに、彼とはもう立場が違い過ぎる。

 それ以上に、辰巳の方から話しかけてくるなんて驚きであった。


「なあ、お前にちょっと言いたいことがあるんだ。ちょっと、来いよ」


 浩紀は食事中だったが、その手を止めた。


 今まで無視ばかりしていた癖に、今更、何を話すことがあるのだろうか。


 辰巳とは関わりたくない。

 けど、彼の方から心を割って話しかけてきているのだ。


 対面上に座っている夏芽先輩に迷惑をかけたくないと思い、席から立ち上がる。浩紀は辰巳に従うように、一旦、店内の誰もいないスペースへと移動する事となった。

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