【30】凌辱中の女の腹を蹴ってしまう正当暴力

 予想外中の予想外の提案に、思考が一度停止する。

 男は虚空から取り出したジュースを一口含むと、そのまま話を続けだした。


「すみません、喉が渇いちゃって、もう九ヶ月も飲んでなくて。──さて、そういう条件なんですが如何でしょうか?」


 考えが纏まらぬ脳を動かしつつも、私は話に乗っかった。


「……ようは、出禁っつーこと?」

「まぁ、そうなりますね。──あぁ、御嬢様ではないですよ。

 出禁になるのは真砂藍萊様だけです」


「──は?」


 何故アイリだけが?

 とうのアイリも驚いた表情を浮かばせ、傷口を抑えつつ──「……え」と一言洩らした。


「まさか安珍・清姫伝説の後裔こうえい様がご来店していたとは、こちらも驚いております。開店当初からそういったお客様が一度も入店したことが無いというのもありまして、『物語末裔まつえい』の方々に対する対策を怠っておりました。

 ──そういった点と薬の持ち込み対策はこちらのミスです」


 子供相手にも関わらず淡々と諸事情ばかりを話す男に苛立ちが込み上げてくる一方、アイリは理解しようと彼の話しに耳を傾けている。

 『物語末裔』という新しい単語も出てきたな、言葉の意味からしても理解できるが厨二病ライトノベルじゃないんだぞ。


「あなたは死を望んでいたはずなのに死を拒んだ。そういうのが一番困るんです」


 経営者アイリに対して放った言葉は、表情とは裏腹に心底うんざりとしている口調だった。

 糞客の対応をしていられる程、どこも人材や対策本部があるわけではない。それは解る。それは解るが、やはり気に入らない。

 その正論に、


「あ、当たり前です! それで友達を殺す形になるのなら、そんなの結構です! 殺すなら僕だけにしてください!」


 美少年女は気持ちで返す。

 お腹に力を入れるだけで軋むように痛むはずなのに、それでも声を上げていた。


「……だからって、こちらの従業員を五名も殺すことはないでしょうに」


 痛手を取られたと言わんばかりにアイリは下唇を噛み、俯く。


「それは……おっしゃる通りです」


 ──だが、そこは少し何か言い返しておくれよ。


 ここは出しゃばり兎の出番だろう。


「失礼……アイリだけ出禁って変じゃないですかね。この場合、私もじゃないですか? 五体中一体は私ですし、薬持ち込んだのも私だし」


 男は私の方へと視線だけを移し、笑顔で対応する。


「えぇ、確かにそうですね。ですが、御嬢様は問題ないです」

「……どうして?」


 どうも腑に落ちぬ不可思議な回答に、理由を求めた。


「失礼ながら御嬢様はたんなる聖女様。鬼という異例以外は特に“対処可能”な点しかないので。今後はお一人、もしくは他のお客様と入店して頂ければと」


 彼の今の言葉を言い換えるのであれば、──お前はいつでも殺せる。そういうことだった。

 納得はしたが、今日で一番頭にきた。


「頭の回転がタクシーよりも遅いんですね、あなた達」

「どう言って貰っても構いませんが、今日のところはお引き取り願います」


 椅子から立ち上がり、業務的なお辞儀をした。──すると頭を上げ、「なんでしたら」とまたも虚空から瓶を計八本出し、両手に持ち出す。


「こちら、お土産用にお一人様四本ずつ持って帰ってください」


 八本を静かに置き、一歩後ずさると音も立てずに椅子へ掛け直した。

 なんといえば良いんだろう。──こいつは本当に対応のプロなんだ。

 そっか、なるほど。

 ……んじゃ、最後くらい嫌な客らしくいくか。


「ねぇ、最初に貰った一本。ここで飲んで体が完全に治ってから、帰っても良いですか?」

「……えぇ、よろしいですよ」


 冷静で嫌なそうな顔一つ見当たらない笑みを床から睨み、更に要求を言う。


「ワイングラス、お願いできますかしら? 折角だから、そこの出禁少年と乾杯したいの」

「えぇ」


 男の了承と共に、目の前へ現れた二つのワイングラスは店内ライトで辺りの残虐性を映し込んでいる。

 全身の痛みに耐えつつも二つの瓶とワイングラスを左手に取り、右手でアイリの背中を優しく叩いた。

 ぐるりとこちらを見つめる赤い眼が「今度はどうするのか」と期待を寄せているように視え、頬が少し緩む。


「アイリ、ちょっと乾杯しようよ。立てるかー?」


 私の我がままにアイリはこくりと頷き、呻き声をあげながらも自分の体を起こした。

 私もお腹を抑えつつ、体を起こし歯を食いしばる。

 すると、アイリは私の背に手を掛け、支えるように起こしてくれた。

 それでもやはり痛かったが、彼の顔に似合わず紳士的な性格が中和剤になってくれる。

 小さい頃は、こんな男性に憧れてたっけ。

 ようやく互いを支え合いつつも立ち上がり、アイリは私の腰に手を、私はアイリの肩に片手を置いた。

 『人』という漢字はこうやって生まれたのだろう。

 私は、二人分の瓶とワイングラスを持った左手を男の方に突き出し、アイリは私のお腹を塞いでくれた。


「開けて……グラスに注いでください」

「承知いたしました」


 すると、瓶とワイングラスが一人でにちゅうに浮き始めるとキャップが抜け、グラスへと注がれていった。


「どうぞ」


 薬の入ったグラスが目の前までやってくると、それを静かに受け取った。

 薄黄の液体を揺らし、嬉々としてアイリに話しかけてみる。


「アイリ、今日は良いのを殺したね」


 優しめのトーンは母の真似事、その言葉にアイリは「どういうこと?」と言いたげな表情をした。


「自分の事を嫌いという……その心を、よくぞ殺せた」

「嫌いな心……?」

「なんで“清姫伝説きよちゃん”の力を使ったの? 嫌いなはずのその力を」


 私の問いにアイリはハッとし、口を紡ぎ出した。

 自分から清姫伝説を望んでしまったことを多少悔やんでいるのだろう。気持ちはわからなくもない。──されど、だ。


「アイリは私を助けるために自分の力を受け入れ、頼り、共存を望んでくれた。だから私はこうしていられる」


 アイリ、私は貴方にもっと自分アイリのことを好きになって欲しい。


 人差し指と親指の間が裂けた左手でグラスが震えに合わせて、中の薬を揺れ躍らせ続けている。

 そんな異形な手で、グラスを差し出す。


「本当にありがとう、アイリ。

 ──自分の血から目を背けるな、死を恐れずに望む心を持っているならそれもできるはず。私も、自分の血からは逃げないから、なんだったら愛してやる」


 アイリは一言も喋らなかった。代わりにグラスを私の前へと差し出した。

 それを「わかった」と認める。


「乾杯」

「かんぱい」


 割れないように優しく乾杯をし、お互いの喉奥へと流し込んでいく。

 もはや味の感想など言っている暇はない。

 しかし、少々良いことを言ったので上機嫌だ。


 飲み干した、上機嫌なので──

 

 そのまま豪快なフルスイングでグラスを床に叩きつけてやった。


 美麗とした物は無残に割れ、硝子の破片は床へと散らばり二度と戻れない。

 横眼で男を一瞥するが、彼は笑みを浮かべ沈黙とするのみで注意すらも無し。

 一方、その衝動をアイリは一人唖然としながらも目の当たりにし、私の顔と割れたグラスの間で瞳を行き来させていた。

 行き来の結果。


「……えいっ!」


 私に続いて、アイリも床へと叩きつけだした。


 動揺故の行動に、私は腹を抱えながら哄笑した。その笑いが胃腸を傷つけていくがどうせ治るから気にしない。

 そう思った瞬間、怪我をした箇所がジワジワと痛み、凍え、熱し始めた。

 こりゃマズい、再生が始まった。どこかで寝かせてもらおう。


「すみません……治るまで休ませてください」

「えぇ」


 了承を得たので──アイリの手を引き、近くで陵辱殺しが行われている席へ急ぐ。

 その間にアイリの目元に自分の白髪を巻かせ、「治るまで目に巻いてて」と頼む。


「あーどけどけアホども」


 そこのけ、と言わんばかりに無理やり押し込んで座るスペースを確保すると、私とアイリは肩を落とし出来る限り痛みを逃がそうと深呼吸を繰り返した。


「お隣は怖いから見るな、アンアン言ってるでしょ? アンアン病だね、アレは死ぬな。今は私色わたしいろ以外見ない方が良い、そして私声わたしごえ以外も聞かない方が良い」


 再生に耐えつつも呻き声を上げ、悶えるアイリを強く抱きしめる。

 「大丈夫だよ」と安心させるに足りなさすぎる言葉を幾度となく投げかけ続けた。


「アイリ、これは良い痛みなの。治っているときの痛みは生きてると何度も起きる事なの。嫌だね、でもそれは生きている証拠で、私たちが持つ特権で──

 アンアン、うっせぇんだよ!」


 私は話を端折り、犯されている女の腹をハイヒールの先端で蹴り上げた。

 痛くてイラついているのを抑えるためにアイリへ話しかけ続けているというのに、隣で三体の黒服に溺れて奇声あげている女が腹立たしい。

 こちらの状況も考慮して、感じろ。

 それでも女は汚い笑顔で狂喜している。ダメだありゃ。

 『じゃあ』と、片手で彼女の太ももを抓りながらこの再生に耐えることにする。


 人生、愛と痛みと試練で出来ているんだな。やっぱクソみたいだな。

 愛と砂糖と可愛いアイリで十分じゃないか、人生。

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