【29】死にかけの勝利、ボロボロの勝利、提案の大勝利

 焼音を鼓膜へと刻み続けるナイフの刃を細め眼で観察する。

 そこには研ぎ澄まさなければ見えないほど微小サイズとなった何匹もの白蛇たちが刃に住み着いていた

 刃物に付着していたアイリの血液を数匹もの白蛇へと変え、焼き貫いたのだろう。

 証拠にバックリと開いた手と肩には火傷の跡ができており、おかげさまで痛さが倍増している。


 私の目の前にはアイリの貌。

 痛さがマイナスで乙女貌がプラスなら、プラマイゼロには決してならず私が料金を支払う結果となってしまうな。

 そんなおかしな考え事を思いついてしまう、狂ってしまいそうな顔色。

 すると、目の前で彼の唇が色づき動きだす。


「……ごめんなさい」


 アイリの涙が心を曇らそうと、大きな硝子細工の眼中で揺らいでいる。

 泣かないでよ、私の鎮痛剤。

 小さく細い指からナイフがするりと抜け、その手はゆっくりと私の背を暖かく支えてくれた。

 全身死ぬほど痛いのに、その支えが今は嬉しい。


「アイリ、大丈夫、アイリ、泣きそうなの? アイ──」


 ほんの瞬き程の一瞬。

 私たちは糸が切れたかの様に、突然床へと倒れ込んだ。

 指先一つ、首一回りとて動くことは叶わない。

 唯一動かせるのは眼と口だけ。


 しまった、黒服共まだいたんだ。全員いなくなったと思って、油断してしまった。

 いつも油断ばかり──このままじゃアイリが。


「あ、アイリ、大丈夫、この状況、どうにかして私が守るから。焦らな──」

「あの~……恐れ入りますが……お二人ともただの疲労と出血多量かと……」


 突然、礼儀のある聲が耳に入りだした。痛みを堪えつつ顔を上げると、白いスーツを着た男のヒトが立っていた。

 金髪で整われた髪型をした好青年の見た目をしているが、人間ではない何かなのは雰囲気でわかる。

 というか、どっから出てきた。

 彼は薄らと微笑み、床で這いつくばっている私たちにゆっくりと喋り出した。


「警戒なさる気持ちは重々承知ですが、その体制で構わないのでどうかこちらの話をお聞きください」


 彼の言葉にこちらの警戒心が少しずつ削がれていく、されど零にはならない。


「一応、“真砂藍萊様”が警戒為さらぬよう、適した仮初の皮を身に着けているのですが、別のがよろしいでしょうか?」


 男は何故かアイリにだけ裏心に満ちた優しい瞳を見下ろし、聞いてくる。

 最悪もう一戦することを視野にいれなくてはならないか。


「そ、それで大丈夫です」


 アイリは小さな声で了承すると笑顔で頷き、後ろから突如四体の黒服が同時に虚空から現れだした。

 やはり、この男が黒服たちの上司だったか。

 男は何もないところで座る体制を取り──突如現れた椅子に腰かける。


「それでは、お願いしますよ」


 崩れぬ笑みで合図すると、黒服は私たちを囲んだ。


「負傷者を痛めつけようとは良い趣味ね。不味い酒くらいだったら一緒に飲んであげたけど」

「申し訳ございませんが、昔お酒で少々トラブルを起こしてしまいして、それ以降控えているんです」

 

 黒服たちは手を伸ばし、私たちに刺さっているナイフや破片に手を掛けると──容赦なくぶち抜いてきた。

 そこから、瞬く間に劇痛と血液が全身に走り出す。

 私は何とかその痛みに耐えたが問題はアイリの方で、悶え苦しむと共に呼吸を乱していた。


「おい! お前らぁ‼ てーちょーに扱えよオイ‼ 乙女はともかく、アイリの白肌と痛覚は繊細なんだぞテメェ‼」


 私は精一杯、喉が引き千切れる程の怒声を吐くが、男はその様子を見て首を傾げながらも苦笑する。


「そうは言われましても……こうしないと話が進まないものでして……」


 男を睨みつけている一瞬、私のお腹を縫い付けていたナイフとフォークを力いっぱいに抜き取られ内臓が溢れ出そうになると、自分の両手で抑えた。


「そうまでして、彼を助けたんですのか……いやぁ、これは愛情の様で禁忌の様で狂気劇グランギニョルの様で……とてもとても、興味深いですね」


 どんな光景を見ようとも、男の笑みは剝がれない。

 痛覚とそのムカつく顔が飛んでいこうとする私の意識を繋いでくれている。


 一通り終わると、苦しむ私たちの目の前に男は二つの瓶を置いた。

 ペットボトルサイズでラベルも何も貼っていなく、怪しげな液体が入っているそれは……。


「あ……そ、それ」


 アイリは顔を苦痛に歪ませながらも、置かれた瓶を見て目を大きくした。


「即効性身体再生薬、お二人ともご存じですよね?

 これくらいのサイズでしたら全身の傷や失った血液、内臓も全て戻りますよ」

「へぇ……損害賠償ついでに金をもっと巻き上げようって根端?」


 いやらしいことをしてくる、経営者としては百点でも知性は零点じゃない。


「いえ、タダで差し上げます」


 ……無料だと?

 頬杖を付きながら細い目で見下ろし続ける眸は、滑稽なモノを眺める支配者の色を崩さない。

 何を企んでいるのか、考えを巡らせたいところだが生憎あいにく脳にそこまでの血が回らない。


「条件、それを一つだけ飲んでくださればタダで差し上げます」


 やはりそう来たか、はてさてどんなえげつないのがくるのやら。

 内容によっては、アイリの為におとりになるしかない。しかし、この体が動くかどうか。

 眼の奥底で微笑しつつ、男は話を続けた。


「条件というのはですね──二度とうちへは入店しないで欲しい、ということです」


 ……………………ほぅ?

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