【20】バニーイートイング・ヴァイオレンス

「え?」


 声を揃え、二人は空気の抜けたような声を吐き出した。

 自声帯が生き返ったことに気付きながらも、その言葉を無視することは出来なかった。

 「今なんて……?」と言い返そうとしたが、唇がいう事を効かない。

 何かされてるわけではない、これからされる未来ことに肉体が慄いているのだ。

 精神はまだ正常を保っているというのにこの様だ。体が動かなければ死ぬも同然だ。


「今、なんとおっしゃいました?」


 彼は代弁するかのように瞠目し、怒り交じりの聲を吐いた。

 その瞳は、恐怖に絶していない。これから起きる未来けっかに揺れていたのだ。


「丁度の良い食材を持参して来てくださったので、折角ですから腐らぬうちにこちらで調理をと思いまして」


 黒服の形相は以前として見えない。

 何処から声が出ているのか、全くもって得体の知れないやつだ。


「ど、どうして、そんな酷く……惨過ぎる事をしようと考えるんですか! そんな恐れ多いこと、絶対に嫌です‼ 今すぐ取り消してください‼」


 アイリは黒服に向かって、私心を叫ぶ。

 それは自分の望む事ではない、と。


「それです」

「……え?」


 アイリの唇がピクリと震えた。


「藍萊様の絶望、それは他人を傷つけること」


 読心どくしん能力が有るのか、黒服はアイリの感情を包み隠さず話し出した。


「それなら容易です。あなたが他人を自分の意志で傷つければいい」

「ぼ、僕に……」


 アイリの顔色が青ざめ、徐々に瞳が恐怖に支配されていく。

 表情を伺いつつ、黒服は人差し指を天井へと向けた。


「そして、もう一つ」


 アイリと私は、ゆっくりと振り下ろされていく人差し指を臆する視線で追いかけた。


「……そこの御嬢様が死ぬ事」


 その指は、私へと指されていた。


 ──突然、私の体が人形の様に動かなくなってしまった。

 ソファにもたれかけていた背筋が曲がり、その場へ寝込んでしまう。

 意識はそのままだが、しかして状況は最悪。

 すると、アイリは私の体を抱きかかえて、何度も言葉を投げかけてきた。

 その全ての言葉に、私は返答することはできない。

 私は、今また彼を不安にさせているのだ。


 アイリ、また泣いている。


「どうしてこんなことするんですか‼」


 彼の微動する怒声が、席中に響き渡った。

 涙に濡れた怒りは空を裂くに過ぎず、黒服には届かない。


「我々は、絶望を快楽に変えるんです」


 こちらの理解とは程遠い事を黒服は言いだした。


「お客様方が最も恐れていること、それをお客様の最大級の快楽に変えて差し上げるのです」


 奴らが遠回しに言うはずがない。そのままの意味であろうなら、それは最低な悪商だ。

 利益どっから出てるんだ、お前ら。


「藍萊様は御嬢様の事を、それはもう心底愛されているようでございましたから……それに一度、食べられ掛けたようで」


 先程見かけた女たちが、笑みを浮かべていた理由がこれでハッキリした。

 嫌がらせというレベルの話ではない。


 それを聞いたアイリは、既におかしくなり始めていた。

 顔からは血色が抜けていき、死体の様に白くなっていく。

 膝は揺れ、立っているのがやっとという姿だった。

 後ろから見ても、その背はもう危うい。


「ならば、良いではないですか。愛する者を喰い殺すことを快楽として作り変えても」

「い、いいい、いや、いやいやいやいやい、ば、バニー、バババ、バニーさ、は、とも、ともだ、ともだちぃ、だ、だだだだだだか」


 正気など、とっくに壊れてしまっていた。

 すると、動かないはずの私の体が独りでに動き出した。

 私の意志は介入されず、操られているという感覚もない。

 骨や肉はわたしの痛みなどお構いなしに折れる一歩手前まで曲がり始め、異行な行動を始めたのだ。

 手を翼の様に撓らせ、脚は立つ方法を忘れている。

 そのまま机の上に寝転がったところで、私の体は止まった。


「──そういえば、藍萊様は『自分が徐々に壊れていく事も怖い』ともおっしゃっていましたね」


 その言葉と共に黒服はアイリの首に手を刺し込み、貫いた。

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