第13話 目には目を(前編)

 2097年 2月20日 12時30分


  旧横田基地 地下1階 地下輸送用大エレベーター前


 物資の搬出には大きく分けてふたつのルートが存在する。

 ひとつは侵入してきた入口から持ち運ぶ地上ルート。集積所までの移動距離が短く済むので急ぎ運び出すにはうってつけの方法だ。ただし安全な基地の出入り口が狭い柵の隙間しかない都合、運べる物資のサイズや量には強い制限がかかる。

 もうひとつは基地周辺に存在する地下街を利用するルートだ。こちらは移動距離が長く時間がかかる上に道中は暗く、場所によっては崩落の可能性も存在するやや危険なルートとなる。とはいえ比較的道幅は広く基地内各所に存在する縦穴に備え付けられたエレベーターも搬出作業に使えるため、大型コンテナや大砲を運搬するには重宝される道だ。それにイカレブリキ共の数も地上と比べ少ない。今回は大砲用の弾薬類と整備用品を持ち出す予定なので地下街ルートを利用する必要があった。

 改めて手元の帳簿を見直し、必要量を見つけ、エレベーターで地下に降ろす手筈を整えていく。本当は自分自身の手でひとつひとつ掘り起こしたり奥地でのガラクタ発掘に勤しみたいが、そう毎度私利私欲を貫き通すわけにもいかない。絶えず湧き上がる好奇心をぐっと堪えて抱えた仕事を手早く片付けていく。


「うん?」


 そんな地下への荷下ろしに使うため1番シャフトに向かう最中である。薄暗い通路の中でぼんやりと立ち尽くす男の姿が目に入ったのは。


「橘樹ァ?お前さんこんなところで油売っとったんか」

「三島か」


 基地深部へと続く暗闇を見つめる背中に声を掛けると、その男の違和感に遅まきながら気が付いた。

 特にここ数年の奴は表情に乏しい。たとえ体調が悪かろうと、酒で盛り上がろうと、その顔にわかりやすい色が浮かぶことは滅多にない。

 しかし今の奴の眉間には深い皺が寄り、目には明白な不安がどんよりと垂れこめていたのだ。長年友として隣に立っているが、ここまで暗い顔を見せる橘樹は…久方ぶりだ。


「てっきり嬢ちゃんら追いかけて行ったものだと……」


 奴の眉間の皺が更に険しくなる。思わず言い淀み、辺りを沈黙が覆う。

 こういった重苦しい空気は脳の奥が逆撫でされてるようであまり好きではない。もう一度口火を切るべきか頭をひねっていると、ふっと奴の表情が和らぐ。


「すまない。少しだけ考え事をしていたようだ。手伝いが必要なら向かおう」


 そう振り返る奴の口角はほんの僅かに上がっていた。数年ぶりに見たその笑っていない笑顔に、私の胸はちくりと抉られる。

 

 だが、その内面を詳しく問いただす時間は無かった。

 突如として地面が僅かに揺れ、天井の古ぼけた照明が明滅する。初めはいつもの地震の予兆かと身構えたのだが──


「──なんや?この揺れ方、地震やないよな」


 あまりにも不規則かつ小刻みな揺れ。これがただの地震ではないとお互い察するのに長い時間は不要だった。何かが爆発した衝撃でもなければどこかが崩落した感覚とも違うその違和感に、私達は皆一様に疑問符を浮かべる。


「三島さん!」

「こっちの心配はええ、揺れが収まるまで作業中断しとき」


 とはいえその不穏な揺れの原因が何であろうとも危険な事に変わりはない。近くの者に作業中止を伝え、全員の安全確保を優先させる。

 そう、この場にはいない1人と1体を除いて。

 何しろ私達はあの少女が一体どこまで潜っているのか知らない。想像すら出来ないような力を持つ彼女を危惧する必要性など無いのかもしれないが、それでも心配し気に掛けるのは至極当然の反応だ。


「私らは兎も角、嬢ちゃんの方が気がかりやな。橘樹、どうする?」


 一度探しに降りるべきだろうか、それとも信じて待つべきだろうか。そう傍らの男に問いかける。


 が、返事がない。

 慌てて其方を振り返るも、そこに私の良く知る男の影はなかった。

 


………

……



同時刻


 地下4階 地下司令室


 舞い上がる砂塵越しに光る巨大な目。

 その視線にぶつかったと認識する前に、体は傍の入口へ駆け出していた。

 直後、重い風切り音と共に奴の腕がその場を薙ぎ払い、瓦礫が無造作に跳ね上げられる。すんでのところで回避し、勢いそのまま扉の隙間から通路へと転がり込む。

 “一体どこから?”

 そう発する暇すらなく指令室から離れるや、衝撃が重ねて体を襲う。

 振り返るとエネミアンが通るにはあまりに狭すぎる扉がのその空間を、巨大な金属の腕が1本貫いていた。まさに間一髪、離れるのがあと数秒遅れていればあの扉と共に容易く潰されていただろう。


「マスター ご無事ですか」

「大丈夫!あいつは!?」


 そう確認する前にねじ込まれた腕が此方に向かって大きくうねる。眼前に迫るそれから距離を取ろうと駆け出すも、あまりにもすぐそばで暴力的に振り回されるそれの勢いに追いつかれるのは時間の問題であった。

 だが、周囲を削るような金属音とはまた別の、鋭い衝突音と共に勢いよく伸びた腕が一瞬だが止まる。

 振り返るとその腕は辺りを引き裂くように激しくのたうちまわっていた。なんとか範囲外まで抜け出した私達を掴もうと何度も空を切る。あの扉は奴が通るにはあまりにも狭い。指令室を覆う壁も相当に分厚いらしく、その剛腕を持ってしても奴が即座に突入してくることはなさそうに思えた。指令室と通路を隔てる壁を殴りつけると思わしき打撃音が轟くたび、地下全体が大きく震える。


「周辺一帯が歪みつつあります。このままでは崩落しかねません。急ぎこの場を離れる必要があります」

「けれど!」


 ────。そう反論しかけた口と思考は、破断音と共に塞がれた。通路全体に亀裂がいくつも走り、天井が崩落し始める。いくら最重要区画たる堅牢な指令室といえどこれ程の衝撃に晒されては、内側から破られるのも時間の問題だ。


「現在の装備では有効打を与えられません。地上にて態勢を立て直しましょう」

「…わかった…ッ!」

 

 ミレイヤに誘われるまま踵を返したその背後では、周囲に当たり散らしているかのような轟然たる音が益々強く鳴り響いていた。



………

……



2097年 2月20日 12時40分

 

 地下3階 多目的輸送用5番シャフト


全力で駆け抜ける事数分。暗く狭苦しい通路から一転し視界が上下に開ける。

 結論から言えば、来た道をそのまま辿ることなど出来なかった。階段を上がっては降り、時間と共に増える障害物を乗り越える。ただでさえ邪魔な瓦礫の山は通行不能の壁となり、来た道は脆く崩壊していき後戻りもままならない。結果、常に迂回路を探し続けねばならなくなり、移動コストは大きく跳ね上がる。

 そうしてこのやたらと巨大な縦穴の側面に設けられた貧相な非常用通路見えてくる頃には、私の体力は極限に達していた。

 少しでも早く地上に出なければ。そう追い立てる焦りに足が縺れ、息は上がる。ただでさえ劣化した体力が更に足を引っ張る。

 もう、限界だ。

 その自己認識がよぎった途端、上がらなくなったつま先がボロボロな床の隙間に引っかかる。視界がぐらりと揺れ、膝を突いたはずみで背負っていた袋が正面へと滑っていく。


「ハァ…ハァ…ミ、ミレイヤ…ちょっと待って…」


 視線が上を向かない。息苦しさを少しでも和らげようと、ヘルメットのバイザーを押し上げる。いまだ地響きが続く中、鉄臭い口で先導するミレイヤを必死に呼び止めると、硬い足音に乗せて鈍色の脚が俯いた視界に入り込む。


「マスター 此方で体を支えます。立ち上がれますか」


 彼女は躓いた私と同じ高さにまで膝を折り曲げると、その硬い腕で私を支えんと脇へ差し込んできた。それを支えに立ち上がろうとするも、うまい事力が入らず膝を突いてしまう。

 再び辺り一帯が大きく揺れ、貧弱な足場から軋む音が聞こえる。

ミレイヤの試算ではもう間もなくあの部屋も破られるはず。

 それでは、追いつかれてしまう。


「いやいい」


 後退が間に合わない。そう判断した私は差し出された腕を振り払い、目の前に投げ出された袋を指差しミレイヤに指示を出す。


「そんなのより…ハァ…チョコレート、取って」


 ミレイヤの動きがぴたりと固まり、彼女の青い目が床に転がっていた袋へと向けられる。

 それはまるで何かを悩んでいるかのような沈黙であり、そして袋を拾い上げた彼女は──


「マスター 現状での増強食服用は推奨できません」


 ──その袋を抱えながら苦言を呈す。

 正直驚いた。彼女が私の指示に反対するのも相当稀であるし、更に行動が伴うなど前代未聞。はっきり言ってらしくない行動だった。

 だが、そのような行動を取る理由もまた明白である。故に何も言い返せない。


「わかってる。いいから、ちょうだい」

「マスターの健康状態では服用に耐えられません。地上での作戦立案を進言します」

「私なら、大丈夫だから」

(そうよ。貴女はまだ大丈夫) 


 彼女の融通の利かなさは理解していたつもりだが、どうやら甘かったようだ。脳裏の声に従い語気を荒げ発言を封じようとする私に対し、ミレイヤは意外なまでに頑なな態度で後退を進言する。


『おい、こんな危ない場所で何している』


 そうして静かに意見を対立させている私達の間に、ガタガタと鳴る足音と共に男性の声が割って入ってきた。声のする階段の方へ顔を向けると、そこには痩せぎすの男が1人肩で息をしている。


『タチバナサン…』

『話は後だ、崩落する前にさっさと上がるぞ』


 彼は未だ膝を突いている私を立ち上がらせようと背中に手を回した。

 しかし、その直後。


 『っ!?』


 先ほどまでとは比べ物にならない程地面が揺れたかと思えば、シャフト内に崩落音が大きく爆ぜる。それと共に足場真下のシャフト壁面、階層にして2つ程下から大量の土煙があふれ出したかと思えば、更にその中からいくつもの腕が這い出した。

 奴の目がぐるりと周囲を舐める。位置関係的にまだ視界の外であるはずだが、奴がシャフト内を動き回ればすぐにでも捕捉されるはず。

 タチバナさんから息を呑む音が聞こえ、脳がざわつく。

 私の手がホルスターの拳銃へ伸びる。


『おい!さっさと逃げるぞ!』


 しかし、彼が下した判断は私と真逆であった。思わずエネミアンへと向けられていた目がタチバナさんへと戻る。


「逃げるのですか」

『当然だ、死にたいのか!』


(恐れるな。戦闘を継続せよ)


 脳内が一斉にぞわりと逆立つ。

 死にたくなど、ない。これ以上負けるわけにはいかない。だからこそ私は戦っているのだ。

  スーツの中が汗でどろりと濡れる。

 そう。奴は、今ここで────。例えこの身体が限界であろうとも、最後まで戦わねば。先ほどまで目の前にあったはずの体力のリミットが遠ざかっていき、膝に力が戻ってくる。


「ミレイヤ。チョコレートを渡して」


 私は自覚できるほど機敏な動きでミレイヤの持つ袋を奪い取ると、眼鏡などの下に埋もれていたチョコレートを取り出し、残りをミレイヤに預けた。

 ミレイヤは何も言わない。当然だ、作戦行動に関する意思決定権は私なのだから。


「ミレイヤ、上の倉庫から一番火力出せる兵器探してきて。見つかるまで私が気を引く、仕留めるのは任せたよ」

「─了解」


 空から攻撃を仕掛けてくればいいものを、奴はわざわざ地下に潜み奇襲を仕掛けてきた。つまり地上はどうでもよく、一番脅威と見られている私達を仕留めるのに躍起になっているはず。

 ならばこの身体を以てあの“頭付き”をこの場から引き離せば良い。その間に村の人々の避難を済ませ、ミレイヤがあの倉庫から使い物になる兵器を持って来られたのなら私の勝利だ。

 取り出したチョコレートを開封し、口に含む。

 これが、最後のチョコレート。あとはこれを飲み込めばあの頃のように奴らを殺すだけの力が戻ってくる。

 なのにどうして唇は震えるのだろう。


(大丈夫よ。私がついてるわ)


 大丈夫。怖くは、ない。

 ボロボロに朽ちた手すりを乗り越え、眼下のエネミアンへと狙いを定める。

 

『な!?おい待て!危ないぞ!!』 


 背後から引き留めようと伸びる手から逃れるように床を蹴った私は、綯い交ぜになった感情と思考を押し殺すよう一息に噛み砕き。


 喉は最後のチョコレートを嚥下した。

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