第12話 大廃都 東京(前編)

 2097年 2月20日 10時30分


  旧狭山市 入間川周辺



『えっと──ソフィアさん、本当に大丈夫か?顔が空より青いぜ』

「…大丈夫です。全然、だいじょぶ、です」

『この先の集積所までもう5分、あとちょっとの辛抱ですよ』

 

 同乗者達と共に荷車に揺られ早数時間。その日、私は完全に生気を失っていた。

 理由は単純にして明白。この馬車とかいう乗り物のせいだ。原始的な車輪と“馬”と呼ばれる生物を組み合わせたこの車両は、未舗装道路の上を摩擦力で進む都合細かく不規則な振動を発している。

 宇宙空間を滑らかに飛ぶソードⅣや専用軌道を走る輸送カーゴとはまた異なる乗り心地は出発時こそ楽しめていたものの、周囲の光景が森から廃ビルに移り変わるまでには三半規管を完膚なきに破壊されていた。


『馬車で酔う人初めて見たよ…』

『そういうな、宇宙に馬なんてないんだろ』


 今度は石でも踏んだか、それとも亀裂を跨いだか。またしても荷台が大きく跳ね、危うく舌を噛みそうになる。車輪を使用する乗り物はヴェルダン要塞の輸送カーゴ以来だが…これ程不安定ならば淘汰されて当然だ。反重力推進装置がどれほど優秀であったか身をもって思い知る。


「みれいやぁ…どうにかならない…?」

「搭載された懸架装置は正常に作動しており 振動は充分軽減されています。その他の原因としては──」

「あぁいや。やっぱいいよ…このままで…」


 面倒な羅列が始まりそうなので、軽く手を振り話を遮る。

 わかっている、ただ“乗り慣れていないだけ”ではこの体調不良に説明がつかないことくらい。大丈夫、今日中に回収できればまだ間に合うはず。焦る気持ちを必死に隠す。

 村の人達に迷惑をかけるわけにはいかない。


『それにしてもよ、まさか地雷屋の旦那まで来るとは思わなかったよな。俺はてっきり前回だけかと』

『全くだ。珍しいことも続くときは続くんだなぁ』


 同乗者の言葉に誘われ後ろの車列を見やると、荷台の人影に紛れ1人の男性がちらりと見えた。

 あの日以来、タチバナさんとの関係性は微妙だ。

 会話はする。一緒に食事も摂る。仕事だって沢山手伝う。それでも溝が埋まっている気がしない。


 …違う。

 私が避けているのだ。

 今の私の現状を知ってしまえば、あの人は、きっと──

 


………

……



 2097年 2月19日 4時30分


  ちちぶ村 中央広場



 武器弾薬、その他必要な資材類や移動用の馬が集められた村の中心たる広場。用意された数台の馬車に積み込まれていく木箱。忙しなく作業を進める人々。

 そろそろ空が夕焼けに染まろうかといった頃、村の中心はあくる日の発掘へ向けた準備にてんてこ舞いであった。


「三島さーん、この箱も集積所に持っていくヤツっすよね」

「せや、でも載せるのはこっちの馬車やない。向こうの馬車にたのんわ」

「三島さん、先遣班の準備終わりました!出発させます!」

「お疲れさん。東京での合流まで気張りや言うといて」


 私も馬車の上で自身の道具の点検を行う傍ら物資の帳簿を付け、続々と上がる報告にまとめ役として適宜指示を出す。

 1~3カ月に1度、特に備蓄がカツカツになりがちな冬場を中心に東京で行われる物資の大規模発掘。この盆地では賄いきれない物資を補う大事な仕事であるが…その内容は全くもって予測不可能。こうして前日から念入りに準備を進めていても安心しきれない程に東京は大きく表情を変え、私達を危険に晒す。

 ある時はビルの崩壊に巻き込まれかけ、ある時はイカレブリキ共との苛烈な撃ち合いに発展。特段波乱もなく平穏に済んだかと思えば、まるで収穫がなく素寒貧で帰る日もある。

 しかし、私はこの危険な発掘作業が何よりも楽しみであった。村の長という立場や年齢、私を縛る一切合切を捨て去りその全てを掘り返し続けていたいほどに。

 考えてもみてほしい。東京にはこの村では生み出せないような代物がいくつも眠っている。たとえそれが私達にとってガラクタ同然であろうとも、東京がどれほど恐るべき廃都市であろうとも、そこにはまだ見ぬ世界が存在するのだ。

 であるならば、この沸き立つ好奇心に従う以外の選択肢があるだろうか──


「コレ、ドコオキマスカ」

「馬用の藁はあの馬車やな。そのまま餌やりの手伝いもしといて貰えると助かるわ」

「ハイ」

 

 ──こうして宇宙育ちの少女を拾うことすらあるというのに。

 

…だいぶ馴染んでいるな。


 抱きかかえるように藁を運ぶ少女を横目に、私はそう判断する。

 彼女と村の皆の関係は可もなく不可もなくといったところか。少なくとも村の面々とそれなりに会話をしているのは私も確認している。それに最近は新宮の所の息子から日本語を習っているようで、簡単な会話ならあの“丸ブリキミレイヤ”とかいう機械を介さずとも通じるようになった。村に来てまだ1カ月そこらだというのに…驚異的なまでの学習速度、まるでスポンジだ。

 そして、私と同類の人間でもある。

 知らない言葉を学び、初めて見る世界を知りたがる。そんな少女の貪欲な知識欲に対し、私は一種の親近感を抱いていた。


「三島の旦那ァ、夕飯もう出来てますよ」

「もうそんな時間か?区切り付いた奴から先休んでええで」

「旦那こそ休んでくださいよォ…最近頑張りすぎですって」


 あれこれ思案しながら作業に没頭していると、部下の1人が私を呼びに来ていた。道具類を弄くり回す手を一度止め辺りを見渡すと、いつの間にやら陽はその身を尾根の向こうへ隠しつつあり、村のあちこちでランタンが灯り始めている。本来であれば皆仕事を切り上げる頃合いだ。私も夜の帳が下りる前に食事を取り明日に備えるべきなのだろう。

 だが、今は不思議と休む気になれなかった。


「私なら大丈夫や。今回は準備期間短かったし、何より普段とは目的が違うしな。こんのひとつやふたつ、多めに詰めさせてや」


 手元を照らすためにランタンの準備をしながら、適当な理由をつけて彼を食事へと追い払う。

 実際嘘はついていない。今回は普段の物資の発掘に加え、あの少女を廃基地にまで送り届ける必要があった。なんでも月に帰るための手がかり──具体的には少女の乗ってきた飛行機の部品など──を探したいとか。別にこの村で暮らしていても一向に問題ないのだが、望郷の念はそう簡単に消えないこともまた理解できる。

 無論少女1人のために皆を危険に晒す訳にはいかない。幸いにも横田基地方面のイカレブリキ共は減りつつあるが、それでも基地内に侵入するまでにそれなりの数が立ちはだかるだろう。万全を期すためにも手を抜くわけにはいかないのだ。

 彼は私に休む意志が無いことを悟り、肩を竦める。


「まったく…早く食べないと無くなっちゃいますからね」

「なーに、自分の飯くらい自分でこさえるわ」

「やめておけ、お前が厨房に立つと鍋が傷む」


 仕事に戻ろうと視線を再び手元へと落とした瞬間、背後から聞き馴染みのある声が飛ぶ。振り返るとそこには親友が馬車の縁で頬杖を付き、いつものように愛想のかけらもない表情で此方を覗いていた。


「橘樹!お前さんから声をかけてくれるなんて珍しいこともあるもんやなぁ!」

「用があれば声もかける、先遣班はもう出たようだな」

「おうとも!私らも明日には出発や!」


 思わぬ来客にランタンを倒しかけ、彼の眉間に軽く皺が寄る。

 橘樹は難しい男だ。昔はよくお互いの夢や将来の展望について語り合ったものだが、ある時を境に奴はふさぎ込み村の皆との関わりも最低限になってしまった。私ですら此方から尋ねにいかなければ中々交流を持てない。

 そんな奴がわざわざ私の元に、しかも人が多い出発準備中に来たのだ。ランタンをひっくり返したくもなるのは当然であった。


「そうか。アイツも付いていくのだろう、今どこにいる」

「嬢ちゃんか?あっちで馬と戯れてるはずやで」


 お互いの視線が広場向こうに停められた馬車にまで流れる。例の赤髪の少女は、村の人と一緒に馬の世話をしていた。村での作業の諸々を習い手伝っているおかげか、それなりに慣れた手つきで滑らかに作業は進んでいる。ここ数日の日常風景だ。


「元気そうだな…」

「なんや、悪い事か?」

「……まさか。杞憂だと言ったんだ」


 やけに愁いを帯びた声。

 何かを隠している、そう直感が声高に叫ぶ。長い付き合いだ、今更隠し事は通用しない。

 だが、そんな疑念は次の瞬間──


「今日は明日の発掘に私も同行すると伝えに来ただけだ」

「おおそうか────えぇ゛!?」


 ──とても私の声帯が発したとはと思えない素っ頓狂な声で完全にかき消された。

 あの橘樹が、自主的に発掘に加わるだと?それ自体は願ったり叶ったりであるが、にわかには信じられない。どういった風の吹き回しであるか。


「1人分くらいの余裕はあるはずだ。何、仕事の邪魔をする気はないから安心しろ」


 そう言い残した奴は面食らう私1人を置いて踵を返す。奴の背中が完全に闇夜に溶け込む様子を、私はただ見ていることしか出来なかった。


「…こりゃあ明日は大事になりそうだぞ」


 気を取り直した私は残った仕事に再び没頭し始める。万が一に備えて必要な物がないか、何か手を打つべき事柄はないかしきりに頭を捻る。

 それが、私の背筋を震わす嫌な予感に対抗出来る唯一の答えであった。

 


………

……



 その船は長年大地と雲の間を漂っていた。

 雨風に晒され錆びついた装甲。そこかしこ穴だらけの甲板。根元から折れたアンテナ。断裂し枝垂れるケーブル。

 かつては人類の浮遊母艦の核として活用されていた大型格納庫の底はぽっかりと抜け落ち、生気を失って久しい艦影はまるで腹を失ったクジラの亡霊のようにも見える。それほどまでに傷つき風化しながらも未だ数十年間東京上空に浮かんでいられるのは、ひとえに人類の威信を掛けた設計の底力故だと評しても過言ではない。

 そんな鉄の雲として1人寂しく空を漂っていた船が、おもむろに震えた。

 機関に寿命が来たのではない。強風に煽られたわけでもない。


 船体下部の大穴から震えと共に現れる5つの目玉。続けて覗く巨大な頭部。

 その揺れは、その異星文明の戦闘兵器が生きているとの証明であった。人類に頭付きと呼ばれるその機体は止まり木の蝙蝠か、はたまた岩陰に潜む大蛸か…ボロボロの格納庫内壁に脚として使われている触手状の装甲板をいくつも沈め、逆さ吊りの機体を固定している。

 不気味な目玉がぎょろぎょろと不気味に動く。額の下に広がる巨大な廃都市、その隅々まで凝視するため目玉の複雑な内部機構が有機的に稼働する。


 荷下ろしをする何台もの馬車。

 古臭い装いの大人達。

 そして、その場に似つかわしくない先進的な恰好の少女。


 機械仕掛けの瞳孔がを完全に捉えた。少女は体調が悪いのだろう、足元はおぼつかず顔面を白くしている様子すらその目は鮮明に映す。風に揺られるケーブルに混ざりぶら下がった異形の機体は、暫しの間機械仕掛けの瞳孔だけを少女に向ける。

 

 奴が目標を捉えて十数分後。


 突然金属製の脚が蠢きだす。格納庫の天井に差し込まれていた触手を引き抜くと、苛立ちや憎しみが込められているかと思うほど激しく周囲を叩きつけ、間借りの巣から飛び出した。エンジンを使わず自由落下を始める異形の影は、対象を見据えたまま急速に大東京の中心へと降下していく。

 やがて静けさを取り戻す空。その身を貸していた幽霊船は、不気味な居候が消えたことにすら気が付いていないだろう。

 闘争を予感させる廃都市、東京。

 彼女は今日も、広大な空の海をただただ彷徨い続けるしかない。

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