第11話 未来を潰された土地(後編)

 俺は、春という季節が好きではない。

 別に酷く嫌っているとか、桜が消えてなくなってほしいとか、そういった話ではない。個人的に静かな冬が好きではあるが、雪を溶かし世界を彩る春もまた必ず存在せねばならないのは重々承知している。

 人が入れ替わり付き合い方を模索し、夏という晴れ舞台に向け世間が明るく駆け上がっていく様がほんの少しばかり苦手なだけなのだ。


「この一帯を…でありますか?」


 あの地をと上官に告げられたのは、そんな温かな出会いと花散る別れの季節の真っただ中、自衛隊に──否、あの頃は既に統一軍だったか──徴兵されて2年目の春であった。散り始めた桜を夕焼けが鮮やかに照らし出していたのを今でも覚えている。


「そう、全てだ。畑も道も分け隔てなく、民家の床下、川底、尾根、その全てに無数の特殊地雷を埋め込み、この一大地雷原をもって奴らの地上戦力を食い止める」


 当時の俺の所属はとある寄せ集めの工兵大隊だった。防衛網構築のために、邪魔な家屋を取り壊し、トーチカを道に埋め、田園地帯に延々と塹壕を掘り続ける。この2年間そんな気の滅入る仕事ばかりだった。

 これはあくまでこの場所の日常を守るため、一時的に土地を借りるだけ。そう建前を喧伝しながら、俺たちは戦後の日常に必要な物全てを壊してきた。


「そんな…あまりにも…あんまりな計画ではありませんか…!?」


 だがこの計画は…『破壊』などと一言で言い表せないほどに凄惨な結果を招くだろう。特殊地雷の性能を見た誰もが容易に確信できるほどに。


「同感です、こんなことをすれば私達含め誰もここに戻れなくなります!あの化け物共を打ち破った後、一体どうするおつもりですか!」

「今ならまだ間に合います!どうか本部に再考の具申を!」


 いくら計画のコストパフォーマンスが優秀だとしても、未来に残す傷跡があまりに深すぎる。こんな命令など承服できないわけがないと皆口を揃えて反抗の意を唱えるのは必然であっただろう。

 当然、私もだ。あれほど声を張り上げたのは…他には無いと思う。


「あの山の向こう…東京で友軍が戦っているのに、彼らの退路を断つなど私にはとても──」

「私の弟も東京だ!!!」


 それは常日頃から淡々と落ち着いている上官が初めて感情を剥き出しにした瞬間であった。想像だにしなかった怒号に皆怯み、一斉に黙り込む。


「決定事項は覆らん。我々に選択権などないことは、皆この大戦で、否が応でも思い知らされているはずだろう」


 唇を噛み、震える手。あの冷静沈着な上官がわかりやすく感情を押し殺し言葉を紡ぐ様子は、もはや痛々しいと表する他ないように思えた。


「…大丈夫。一度取り返せたのだ、また取り返せる。必ず取り返すんだ」

「そうさ、別に陸路だけが東京に通ずる唯一の道なんかじゃない!」

「戦いが終わったら俺たちの手で掘り返せばいい話だ!」


 声を上ずらせながらも、互いに落ち着かせようとする慰めの掛け声。その安易な希望にすがりついた俺たちは、顔に笑顔を張り付け持ち場へ戻っていく。


「また花見でもしようじゃないか。皆で…酒でも持ち寄ってな」

「大丈夫。いつでもできる。大丈夫だ…!」


 ただの戯言たわごとだと皆わかっている。一度壊した日常は、二度と同じ景色として戻ってくれなどしない。これまでも。そして、これからも。

 私達の知る華やかな春は、あの日この手で殺めたのだ。




~ある男の独白記録音声より~






 2097年 1月26日 7時30分

  甲府盆地



 地球はとにかく空が高い。

 というのも、月の空は半球状のドーム構造が大部分だ。地球の空を模したらしいその空はモニターパネルに覆われ、昼と夜の切り替えの他に政府の放送なども投影する仕組みとなっている。

 それに対し地球の空はとにかく広大。分割線もデブリアラートもこの空には無く、頭から落ちてしまいそうなほど真っ青な光景が延々と広がっている。こうも遮るものがないと、開放感や溢れる好奇心と共に一抹の恐ろしさも覚えてしまう。

 けれど、地球の空は見上げるたび表情を変える。昨日まで雲の合間から太陽の日が差し込んでいた空は眠る間に一変し、早朝からチラチラと輝く白い“ユキ”が空の彼方より舞い落ちてきていたのだ。


「冷たいね」

「温感センサーは停止中。再起動しますか?」

「好きにすればいいよ。ただの感想だし」


 こうしてタチバナさんに連れられ目的地に向かう合間にも徐々に地面はユキで凍り付き、境界があいまいになっていく光景は衝撃なものであった。視界をチラつくユキは伸ばした腕のスーツ表面に触れると即座に溶けていく。雨と呼ばれる水が降る自然現象は知っていたが、それが白く凍った状態で音もなく落ち世界を染め上げるなど、はたして過去の私に想像できたであろうか。ミレイヤですら自身の新たな手足の上で跳ねるユキを観察している。

 

『そんなところで何油を売っている』


 ユキの作り出す景色に見とれていた私は、遠くから響くタチバナさんの声で現実へと戻された。危ない、ユキに夢中になりすぎてはタチバナさんに置いて行かれてしまう。滑らないようミレイヤの腕を借りながらユキの積もる道に残された2つのタイヤ痕を足早にたどり、先に見えるタチバナさんを追う。


 『今日はここからだ。滑って道から出ないよう気をつけろ』


 小屋を出て10分。タチバナさんに連れられやってきたのは、かつてハタケとして使われていたであろう広々とした土地のど真ん中であった。既にハタケなどの地面と道との境界はユキにまぎれ私の目ではわからなかったが、彼の引く2つの車輪を備えた古典的な荷車のタイヤ痕と地形の勾配でなんとか判別できる。

 舗装されていない道の左右にハタケが広がる様子は一見ムラと同じようにも見えるが…目につくのは点々と転がる廃墟や兵器の残骸程度。背丈より大きいジュモクの影すら1本たりとも存在しない、不気味なほどにがらんどうな世界が広がっている。

 まるで月面の──


『何もないように見えるか?』


 タチバナさんが重々しく切り出した声にハッと彼の顔を見上げる。ユキのせいだろうか、彼の眼には深い影が差していた。


「何かがこの土地にあるのですか」

『間違いではない。だが、正しくもない』


 彼は荷台に乗せていたリュックから全長2mほどの棒状の機器を取り出した。棒の先端にはリングが装着され、箱状の胴部には小さなメーター類などが備わっている。 反対側の持ち手側部分には、人類統一軍のエンブレムが彫り込まれていた。


『金属探知機だ。東京の発掘品をレストアして使っている』


 彼は私に下がっていろと一言命じ機械のスイッチを入れると、おもむろに道を外れ、先端の円形部分を地面へ近づけ左右に振る。すると即座に胴部のスピーカーから甲高い警告音が鳴り始めた。彼は金属探知機を道に置くと、腰のベルトに挟みこんでいた小さな金属棒を取り出し静かに地面へ差し込む。

 しばらく何かを探るように棒を動かすと、今度はまた別の器具──スコップという名称は後日知る──を手に取る。どうやら地面を掘るための道具のようだ。例のスプーンなる食器に似た形状のそれを使い、地面に埋まった“何か”を掘り出そうと丁寧に土を除ける様を静かに見守る。


 一体何分、何十分が経っただろうか。土の中から金属で形成された円形の物体がようやく露わになった。誰がどうみても人間の手で加工されたそれが埋まっている現状は、いくら地球を知らない私でも違和感を覚える。


「これは、一体?」

『地雷だよ』


  作業の邪魔にならない程度に質問を投げかけると、タチバナさんは地面を黙々と掘り進めながら短く答えた。

 地雷…名前は聞いたことがある。軍用アーカイブ旧兵器一覧にその名が記載されていた。確か、地面に埋めエネミアンの侵攻を食い止める爆弾の総称だったはず。

 地雷の側面が露出するまで掘り下げると、タチバナさんは側面のカバーを開き鋭い眼差しで内部を覗く。彼の後ろに立つ私の位置からはよく見えないが、何やら内部機構を弄っているようだ。

 地雷本体と格闘を始めてさらに十数分。中からひとつのパーツを取り出したところで、タチバナさんはようやく緊張の糸を緩めた。


『……よし。そこのリアカーに載せておいてくれるか』

『ハイ』

『信管は抜いたが丁寧にな』


 安全を確認した彼は掘り起こした地雷を手渡し、腰にぶら下げていた水入りボトルに口をつける。土に塗れた地雷は両手で抱えなければいけない程にずっしりと重く、扁平状の胴体側面には信管の抜き取りに使用した蓋が取り付けられていた。上面に目立つ凹凸はなかったが、裏返せば何やら掠れた刻印が彫り込まれている。


「S1/A…E…?」

『特1式異星流体型殲滅地雷S1/A.F.E.M。それの正式名称だそうだ。東京以外の日本中あちこちにそれが埋まってやがる』

「ミレイヤ、知ってる?」

「アーカイブに該当なし」


 初めて耳にする兵器名。おそらくは月面脱出後の情報喪失でその存在ごと消えてしまった戦争末期兵器のひとつだろう。だとすれば…この地雷の性能はある程度推して図れる。

 記録によれば私達が使用するグラディエーターなど各種兵器の元は、末期に大きく飛躍した人類技術とエネミアンの異星技術を融合させた新世代兵器群に行きつくという。結果としてエネミアンの戦いに敗れ当時大量に開発された兵器の大多数は失われたが、一部は今なお前線で使用され奴らへの抵抗に多大な貢献を果たしている。まさしく人類の希望だ。

 しかし、何かを集める仕事だと小屋を出る前に予め聞いてはいたが…まさか完全に生きた兵器が関わっているとは思わなかった。

 だからこそ、私の中で大きな疑問が浮かび上がる。

 

「タチバナさん。無事なこれをわざわざ掘り起こす意味とは、何故でしょうか?」


 今行っている行為は稼働中である対エネミアン兵器の無力化だ。完全に破損し使い物にならない兵器を発掘し修理するために掘り返すのであれば理解できるが、わざわざ信管を抜いてまで機能を停止させ収集する意味がわからない。このニホンという土地の至る所に埋まっているのならば猶更だ。


「埋めたままならば対エネミアン対策に使えます。この地を奪われずに済むじゃないですか」


 タチバナさんの水を飲む手が止まる。朝よりも風の勢いが増し、ユキが視界に占める割合が増え始めている。

 彼は荷車に腰かけるとしばし考えこみ、ゆっくりと口を開く。


『……土地を取り返せさえすれば良いと思うか』

「そのために戦っていますから」

『お前達の戦う理由は本当にそれでいいのか』


 戦う理由など以外何もないだろう。この星は私達地球人が生きていくための星だ。1度負けた程度でこの星をみすみすエネミアンの手中に収めさせるわけにはいかない。必ず取り返さねばならないのだ、どれほどの対価を支払ってでも。

 犠牲無くして道は開かないのだから。

 胸を張る私を彼は一瞥し、真っ白なため息をつく。


『ひとつ言っておく。取り返したいモノと取り返すべきモノは別だぞ』

「…?」


 私には、その言葉の意味がよくわからなかった。それでも、タチバナさんのことだ。きっと何か考えがあるのだろう。彼のいう事なのだから、信頼できるはず。

 そう、思っていた。


『まぁ今はいい──』

 

 私を横目に話を切り上げた彼と目が合うその瞬間、胸を強く締め付けられる感覚が襲う。スーツ内に溢れる汗。締まる瞳孔。タチバナさんに悟られぬよう咄嗟に俯き精一杯平静を保つ。急に何故。理由がわからない。チョコレートは切れていないはず。

 思考が纏まらない。苦しさに悶えようとする四肢を強引に抑え込む。寂しい。

 わからない。助けて、アズサ。


『──用事を思い出した、今日は一旦引き上げる。天気も晴れそうにないからな』

「っはい…わかりました」


 大丈夫、何もなかった。自分自身にそう言い聞かせ、こみ上げる何かを飲み込む。

 ユキの勢いは益々強まり、肌を冷たい大気が刺す。結局その日は作業を再開せず、私たちは一言も会話を交えずに小屋への帰路についた。


 私達の足跡は、降り続けるユキへと埋もれていく。

 

 

 


 ──vital計測記録


 ──対象者 master


 ──error/ALICE program 応答無 

   機能隔離 機能代替/自己OS


 ──健康状態 

   良好


 ──血中nanomachine濃度 

   不足 alert level/02


 ──精神状態 

   計測不可/外部観察継続


 ──総合結果 

   進言/追加摂取 対象/nanomachine


 ──data保存終了




次回 大廃都東京

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