第11話 未来を潰された土地(前編)

 ──次。27号


 私を呼ぶ声がする。だれだろうか。

 大人。そう、男の大人が発する声だ。整列する私の前に男の影が立ちはだかる。


 ──お前は…あの時…


 うまく、聞き取れない。背筋を這う悪寒。顔を上げたくない。

 

 ──何故、従わなかった?


 どろどろとした汗が、全身から噴き出す。伏した頭の上に影がのしかかる。膨れ上がる巨影。呼吸が異様なほど浅くなり、血管が熱を持つ。


 ──命じたはずだ。なぜ従わなかった。


 違います!わ、私は、常に…常に……!!


 激しい頭痛の中、弁明の言葉が口をつく。


 ──そうか。


 急速に肥大化していた影は無感情にそう告げると、ふぃっと背を向け静かに離れていく。私の周りからも人が消え、胸が丸ごと締め付けられる。痛みが、私の頭を押し潰す。

 いやだ。やめて。私を、これ以上────




 ────急速に視界が覚醒する。跳ねる体。ここは?一体私は、何をしている?

 仄暗い室内、汗で歪んだ寝間着、ショクブツで作られた天井、静かに響く環境音。

 そして、分厚い毛布。体温で暖かな、ふわふわの寝具。


「────ゆ、め──?」


 飛び起きた勢いで捲れたそれを引き寄せ、荒い呼吸を落ち着かせる。ここはタチバナさんの家だ。大丈夫、わかっている。頭痛が酷く内容がまるで思い出せないが、いつもの夢ではなかった。それなのにまだ夢の中かと思うほどに体が熱い。血管がはちきれそうだ。

 部屋を見渡しミレイヤを探すが、明かりのひとつもないこの部屋は何とも言えぬ静けさだけが支配していた。そういえば体が大きくなったので部屋の外で待機しておくよう指示しておいたことを思い出す。

 かといって、わざわざ部屋の外にまで声を張り上げるほどの気力もない。眠っていたはずなのに体は限界を迎え疲労困憊だと訴えている。なぜか体の熱が収まらない。枕元のスーツに腕を通すと、いくつかの項目が真っ赤に染まっていた。

 脳内でチョコレートの在庫を計算する。一度の使用を減らしに減らして、数週間持つかどうかなはず。

 それでも…


「…摂取量、増やしていかないと、ダメかなぁ……」


 誰もいない部屋でのため息はやけに大きく、耳の奥で響き続ける。



………

……



 2097年 1月25日 12時40分

  旧山梨県 雁坂トンネル



 面倒なことになったものだ。

 その日、私は山を越えいつもの仕事場に向かっていた。

 否、それだけだと正確ではないだろう。正しく今の状況を表現するのであれば…雁坂トンネルを抜けた先にある盆地に向かっている。数日前にこの村へとやってきた少女と、知らぬ間に不格好な手足が生えていたドローンと共に、空に鋼の月を望みながら…とすべきだろうか。

 後ろを歩く2人…いや、1人と1機?の様子を見ると、相変わらず辺りを興味深そうに観察しながらついてきていた。しばらく残骸を覗いては駆け足で追いつき、ドローンに何かを訪ね、次は壁からあふれ出る地下水を観察している。大きなリュックを背負っている割にやたらと軽快な足取りだが、崩落阻止用の仮設柱などには近づかないよう予め言い含めておいたおかげか、あくまで安全圏内の散策でとどまっている。だがそれでも目を離せるわけにはいかない。少女がまるで手のかからない大人しい子なのは、ここ数日同じ屋根の下で寝食を共にした中でわかったその上でだ。

 そうだ。彼女は本当に手がかからない。怖いほどに従順である。

 軍属だというのはあるだろう。祖父が確かアジア方面軍とかいう軍隊に所属していたらしいが、それはそれは厳格な人だった。常に的確な判断力を持ち、何かあれば正確な指示を出し、共にいた祖父の同期達はそれに正確に付き従う。私の最も古い、幼少期の頃の懐かしい記憶である。

 しかし…少女のそれは…彼らとは何かが明確に異なっている気がするのだ。明確に何が違和感として引っかかっているのかはわからない。聞いた話では新宮の所の息子と一緒に行動したりしているみたいなので、単に私の考えすぎなだけかもしれない。


『こんなに水が流れているなんてすごいね』

『地球の水は循環しており 雨として降ったのちは川や地下水として海へ流れます』


 彼らの話す──文法や単語がおかしいが、元は間違いなく英語そのものなので便宜上そう称する──を過去の記憶を頼りに聞きかじる。どうやら月の人間には地球に関する教養がないようであり、ただの地下水すら不思議な物らしい。地球を取り返そうと躍起になっているのなら地球の事を事細かに教え込みそうなものだが…月の人間の思考はわからん。


「…オイ。飯にするぞ」


 溢れる地下水と転がる残骸を乗り越え数十分。出口が間近になったところで荷物を下ろし、食事準備を始める。普段から仕事場に向かう際はこのトンネルの出口で休息を挟むのが日常だ。そのための設備も用意済みである。手製の焚火に手早く火を入れ、トンネル内に染み出す地下水のうち、予めろ過装置を取り付けておいた水源から水を拝借し煮沸していく。

 少女は…どうやら調理風景が気になるらしい。私の真横にしゃがみ込み、炎を映し輝く真剣なまなざしで観察している。あれだけ長距離を歩いて息切れのひとつも起こしてないのは流石というところか。


「その邪魔なリュック降ろしとけ。自分用の握り飯でも出して適当に座ってろ」


 だが今は火を扱っているのだ。体よく追い払い調理を再開する。

 鍋は2つ用意した。1つはこの後の飲料水として、もう1つには持参した調味料を溶かす。辺りに漂い始める味噌の香り。本来であればその辺で捕まえたヘビやカエル、手持ちがあれば古い缶詰を一緒に突っ込むのだが、今回は細かくちぎった干し肉と道中に採集した野草類を入れる。塩気の強い独特の味付けになるが、これが数時間歩き続け疲れた体には効くのだ。

 完成した味噌汁を椀に注ぎ、廃車の上にぺったりと座り込みながら窯を覗く少女に渡す。


「冷めないうちに早く食べな。30分後には出発する」

「ハイ」


 そう彼女は片言の日本語で返答すると、初日よりはマシな動きでみそ汁を飲み始める。やはり箸は使えないのでスプーンを渡したが、相変わらずたどたどしい下手くそな食事だ。しばらく教えた通りに持ち上げようとしていたが、中々具材をすくい上げるのに苦労している。今にも零しそうで危なっかしいったらありゃしない。

 暫く格闘していたが、諦めたのか両手で椀を抱え飲み始めた。家で椀の正しい持ち方なども教えているが、安心して自分の食事に専念できるのはまだ先になるだろう。

 少女は何度も椀に口をつけ、握り飯を頬張る。飯を口にするたびその顔には笑みが浮かぶ。


「コレ、オイシイ」

「そうか。よかったな」


 日常会話にはそこのドローン──関節を軋ませながら少女の横に座るアイツ頼りなのは変わらないも、簡単な単語は既に覚えたらしく、こういった感想程度ならばドローンに頼らずとも伝えてくるようになった。少女の親戚に多少日本語が出来る人がいたらしいが、それを考慮しても物覚えの良い子だ。

 だからこそ。この胸の奥底のざわつきが猶更のこと気になってしまう。


「…口の端、米粒付いてるぞ」


 これほど無垢で無知で純粋な子なのに。一体何故。



………

……



『見えたぞ。あの小屋だ』


 タチバナさんの仕事場があるというコウフ盆地にたどり着いたのは、昼食から4時間以上経ってからであった。この道の向こう、点在する廃墟と無数の戦闘の傷跡に混じりひっそりと佇む小さな建物が目的地だという。

 既に日は少しずつ傾き始め、日の熱量は落ちつつある。太陽があの山々に隠されるまでさほど時間はない。


『仕事は明日の朝からだ。その間はあの小屋で眠る』

『ハイ』


 小屋に入るとタチバナさんは棚から小さな照明器具を取り出し、室内を照らす。村の建築物よりも小さく荒い作りの一室。中央には小さな机とそれを囲むよう椅子が3つ置かれ、壁際には何かを燃やすための…たしかダンロと呼ばれている設備や、これまた粗削りな造形のベッドが備え付けられている。それらはタチバナさんが照明を天井に吊した照明の炎に鈍く照らされ、揺らめく影を形作っていた。


『追加のランタンと薪を取ってくる。夕飯は1時間後だ』

『ハイ』

『今日はもう休め。そのベッドを使えばいい。そこのドローンはついてこい、その荷物は全部備品倉庫に片づける』


 自身の荷物を棚の傍に置いた彼はミレイヤを引き連れ外に繰り出す。1人取り残された室内は異様なほど静かだ。私は背負ってきた荷物を同じように隅へ追いやり、彼の指示通りベッドに倒れこむ。正直疲労感はさほどないが、おそらくはチョコレートのお陰だ。明日から働くことを念頭に置くのならこうして休むのが正解だろう。 


 弛緩し倒れこんだ姿勢のまま、薄暗い天井を見上げる。昔からこうぼんやりといると、思考が過去に引っ張られていく感覚が私を包む。


「…わかんないなぁ」


 無意識下のうちに口をついて出る想い。思い返すのはあのコツヅカで出会った人々にタチバナさんを聞いた時の話だ。


(え?あの地雷屋…さんの家で?)

(悪い事いわないから彼の家だけはやめておきなよ。うちにくる?)

(あの男が人を家に泊めるなんて信じられんな)


 曰く、人付き合いが悪い偏屈者。特にここ数年は酷いらしく、子供との関わりを過剰なまでに避けるようになったとか。リオンも幼いころに数度言葉を交わした程度らしい。

 重い瞼越しに天井で揺れる炎を見つめる。奥底で渦巻いていた考えが緩く溢れていく。

 彼が…人がそれほどに捻じ曲がる出来事とは一体何だろうか。それほどの事故が起こるほど地球は危険だということだろうか。地球の環境も人の心情も、ヴェルダンの皆とはまるで異なっている。あの場所には少なくともタチバナさんのような人はいなかった。今の私では想像がつかない。

 仕事に関してもだ。首こそ縦に振ってもらえたが、ムラを発つその瞬間まで渋い顔をしていた。なんでも危険な仕事だそうだが…あの盆地からやけに離れた土地に1人来てまで行うほどの事なのだろうか?だからこそこうして学ぼうとしているのだけれども。

 こういう時、アズサならどうしていただろうか…そうだ、眼鏡の手入れもしなければならない。あぁいや、まずは隅に除けたリュックから…

 思考が幾重にも分裂し、ありとあらゆる方向から引っ張られる。頭が、どうしようもなく重い。まだ、もう少しだけ、起きていたい。


 私の抵抗も儚く、何かに引きずられるように微睡んでいく………

 


 

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