第9話 その名は地雷屋(後編)


『この部屋なら使ってええんやと。寝間着はこれ使い。情報交換の続きはまた明日しよか』 


 私は、この星での営みを知らない。

 

『…』


 私は、この人たちの正体を知らない。


「わかりました。ありがとうございます」


 私は、この世界の何もかもを知らない。


「おやすみなさいませ マスター」


 私は──…



………

……



「相変わらず広い家やなぁ。間取り、家具、食器の配置まで昔のまんまや」


 私の精神的支柱たる我が家は中央食堂から歩いて十数分、村外れの小高い山のふもとに建てられている。最寄りの隣家まで駆け足で5分はかかるこの平屋は当然ながら人の往来も滅多になく、来客も年に1,2度ある程度だ。


「ほんま居心地のええ家や。あの嬢ちゃんもすぐ寝はるくらいやしな」

「私はまだ少女の面倒を見るとは言ってないが」


 だからこうして三島がこの家の中を無遠慮に歩き回っている光景を見るのは久しぶりであったし、ましてやアイツが正体不明の少女を私の家に預けようとしてくるなど想像だにしていなかった。襖越しに少女の様子に聞き耳を立てると、小さな寝息が静かに聞こえてくる。


「三島、あんたもさっさと、出来れば少女あれを連れて帰れ。嫁が待ってるだろ」

「まぁそう硬い事言わんとってな。ほら、飲むやろ?月見酒と洒落こもうや」


 いつの間にか奴は酒で満ちた一升瓶を手にしていた。まったく、私の秘蔵酒の存在をどこで嗅ぎつけたのやら。呆れる私を尻目に彼は食器棚から2つ湯呑みを取り出し縁側へと座り込む。少女あれを起こさぬよう足音ひとつ立てないのは流石といった所だが。


「…わかったよ。付き合えばいいんだろ」


 仕方なく土間で進めていた明日の準備の手を止め、三島から湯呑みを受け取る。奴がこうして酒片手に晩酌に誘う時は大体忌憚なく会話を交わしたい時だ。今はこの男と距離こそ置いているが、要求を邪険に扱うほど私達は険悪な仲ではない。冷えた夜風が流れる縁側に腰かけ囲炉裏の火を火鉢に入れる。せめてコートを着ていた時に始めてくれれば良いものを。


「おまえさんまた髭伸びたなぁ。どうせまた手入れしてへんのやろ?その割には綺麗に生え揃って羨ましいわ」

「雑談はいい。なぜわざわざ私に預けようとする。別にあんたの家でいいだろ」


 藍鉄色の月光に照らされる世界。月を映す酒。嗜みや雑談も早々に本題を切り出す。


「お前さん、あの子の事どう思った?」

「知らん。関わる気もない」


 知ってるだろと言わんばかりに吐き捨て酒を煽る。事実、私は帰路の間少女と一度も会話を交えていない。

 しばしの間静寂と沈黙が場を支配する。空気も辺りも一切合切が凍り付き、時間が止まったかと錯覚しそうになる空間。火鉢の炎が彩りなき闇夜にパチパチと抗う様だけが時間は刻々と進んでいるのだと告げていた。


「…まぁ。不可思議な話をする人だよ。それに素直で、とても若い」


 静寂に耐えきれず口を割る。帰路のざっくりとした状況整理は一応耳にしていた。統一軍なる組織の事、少女の目的の事、あのビルでの事。発言の真偽の程は定かではないが…少なくとも嘘をついているわけではないと、他ならぬ三島が1番理解しているだろう。空になった湯呑みに酒を継ぎ足す。


「あぁ本当、全く人を疑わへん。純粋子や、怖いほどにな」


 同意を示すため首を縦に振る。彼女は知らない土地で言葉もわからない中、初めて出会った人の話を鵜呑みにし、忠実に従う。そこには警戒心のかけらも感じられない。

 三島は酒に揺らめく月の輪をじっと見つめていた。先程までのおちゃらけた表情は消え、その眼差しには深い影が落ちている。

 7年前のあの日と同じ深淵のような影。誰かを強く慮る時にゆらりと現れる影だ。


「だからこそ村の連中の言い分もわかる。あの子は、不気味や」


 そう語る三島はおもむろに古い包帯を2つ取り出す。ひとつはあの少女をビルで拾った時治療に使った包帯だ。少女はあの時深傷を負っており治療が必要であった。私自身応急処置を施すのを手伝ったのでよく覚えている。あの脱がしにくい服とベルトがとにかく邪魔だった。裏にべったりと張り付いた血痕もその事実を裏打ちしている。

 

「こっちが最初に使った包帯。そして、寝る前まで使ってた包帯がこっちや」


 もう片方の包帯を月明かりに晒す。それも間違いなく使用済みの包帯であり各所にヨレやシワが寄っていたが、真っ白な裏地には血痕ひとつついていない。まるで健康体な人に巻いていたかのようにだ。


「あの銃創が半日で?」

「治療しとった若い連中はみるみるうちに塞がる傷跡を見たとか。彼女曰くチョコレートっつう薬の力らしいけども…そらまぁこんな魔法みたいなもん目撃したら怖いわな」


 あの重傷をものの半日で?怖いと一言で済ませて良い次元ではない。

 この男の判断力を疑うわけではない、むしろ信頼している。だが今は村の人々の言い分が正しい。もしその戦争が本当であるならば、エネミアンと戦うにはそれ程の技術が必要ということだ。つまり彼女をここに匿う行為自体がその高度すぎる戦争にこの村を巻き込みかねない、危険極まりない行為ではないだろうか。

 だが彼奴はそれを理解しているという。ならば何故?疑問が鎌首をもたげる。


反対意見そいつらを抑え込んでまで治療と宿を提供しようとする理由はなんだ。なぜ彼女を追い出すのを躊躇う」


 ひと際強い寒風が火鉢の火を吹き消す。暖かな光が消え、冷気の帳が酒に酔う私達を包む。彼が何を考えているのかわからない。

 思惑を見極めようと冷ややかな目を彼に向け、空を指差す。


「あの月の持ち主が来るかもしれないのだぞ!この村に!」


 彼が静かに空を見上げる。

 その視線の先には、鉄と鋼で作られた月が浮かんでいた。岩の月の輝きとは違う、ガラスのように透明な光を放つ銀色の月。二重の環を従え今もなお月の軌道を回っている遺物。あの鋼の月が過去の大戦の生き証人であることくらい誰でも知っている。エネミアンと戦い続けていたとの証言が正しいのならばあの月も未だ健在という何よりの証左だ。

 この村も、決して安全ではない。


「…皆にも言われたわ。わざわざシチューみたいな贅沢品作る必要ない、早々に追い出せってな」


 でもな…

 そう改めて此方を直視した彼の顔からは例の影が消え、普段から見せつけてくる自信に満ちた笑みが戻ってきていた。

 

「…食事スープの味も道具スプーンの使い方も知らんまま追い出すのは、あまりに忍びないやろ?」


 そう語る奴の湯呑みにその後、新たな酒が注がれることはなかった。



………

……



『おはようございます』

「…あぁ」


 翌朝。

 少女が起き出したのは囲炉裏で米が炊き上がった頃、時刻にして7時を回った辺りであった。もっとも、この家に時計は無いので体感での話だが。

 例の寒そうな薄手の服に身を包む少女は私の正面、囲炉裏を挟む形でぺたりと座り込む。

 しかし、白い丸いお友達どろーんとやらを膝に抱えた人間相手に一体何を話せば良いのか。ひと時の間何とも言えぬ空気が流れる。


(橘樹。お前さんも少しは人と暮らす喜びを思い出した方がええ。いつまでも過去に囚われとると人でなくなってしまうで)


 脳裏をよぎる三島の帰り際の言葉を振り払う。私は今の生活を好んでいるのだ、今更変えられる代物ではない。

 炊き上がった米と漬物、昨日貰った干し肉を盛り合わせたところで少女が食器を使えない事を思い出した。仕方がないので手で食べられるよう米を握り、一連の行動を興味深そうに観察していた少女に渡す。


「これなら手で食べられるだろ。ここは食堂ほど美味い飯は出ん。少なくても我慢しろ」

『わかりました』


 会話が途切れる。話が続かない。こういった時、一体どうしていたかをまるで思い出せずにいる。

 少女を盗み見ると、どうやら食事が口に合ったらしくひと口ひと口を味わうように咀嚼しては目を輝かせていた。深く考えているのはどうも私だけらしい。耐えられない静寂を誤魔化すため自分の飯を掻き込む。


『…あの』


 大体半分程食べ終わった頃、少女がおずおずと口を開いた。見れば握り飯も干し肉もペロリと消えている。食事の次は何のようだろうか。風呂か、それとも三島の居場所か。


『タチバナさん。あなたのこと、もっと教えてください』

「…!」


 そんな事を考えていたからか、私は少女の言葉に面食らった。返答に困り箸の手が止まる。はっきり言って彼女が私に興味が湧かぬよう冷淡に接していたのだから、このような質問が飛んでくるとは思いもよらなかったのだ。

 私は正面に座る少女を初めて直視した。赤い髪。色素の薄い肌。そして、こちらをじっと見据える純粋な目。


(──お父さん!)


「…聞いてどうなる。話す気はない」


 私は、少女に深く関わらない。そう決めたはずだ。改めて壁を作り直し、突き放す。無意識に眉間に深い皺が寄ってしまう。

 だからこそ──

 

『わかりました。ならタチバナさんのお仕事を私にも教えてください』

「…は?」


 ──自分でも出した記憶のない素っ頓狂な声が漏れ出てしまったのだ。


「人の話聞いてたか!?俺の事を教える気はないと言ったろ!」


 思わず声を荒らげるが、彼女は意に介する様子もなく、相も変わらず純粋すぎる目で私を見つめてくる。まるで奥底まで見透かしているかのように。


『ミシマさんはあなたに聞けば私の手助けになることを教えてくれると言いました。仕事面でも、それ以外でも。あなたなら、私のためになると』

「あいつ…!」


 やられた。三島の野郎、どこまで外堀を埋めれば気が済む。これでは断る此方の罪悪感が増すではないか。

 それでも、私は断らねばならない。視線を、明後日の方向へと逸らす。


「…悪いが…本当に何も教える気は──」


『お願いします』

(──お父さんの仕事もっと知りたい!)


 …子供の頃私に無知は罪だと言ったのは、誰だったか。私の親父か、お袋か、はたまた知らない村の人間か。

 誰に向けてのものかすらわからない、深い重いため息が漏れる。


「──3日後だ。3日後から私の仕事を手伝ってもらう。それまでは三島にこの村の事を教えてもらえ」

『わかりました。ありがとうございます!』

 

 かくして、私と少女ソフィアの少し不思議な共同生活は始まった。

 それは2年にも渡る新たな物語であり、私のもう1つの始まりでもあったのだ。



………

……



 ──会話記録録音


 ──記録再生 解析用意


 ──解析開始 ALICE program 起動


 ──error/ALICE program 応答無


 ──自己OS分析開始


 ──自己解釈/自己診断開始


 ──結論無 求 追加情報


 ──求 master order

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