第10話 新たな一歩(前編)

 戦争は終わったらしい。

 ラジオはノイズ塗れの録音をループし続け、故郷は見渡す限り焼け野原。数ヶ月前まではよく見た打ち上げられるロケットらしき光柱もここ最近はまるで見かけず、政府も軍も神隠しにあったかのように消えてしまった。あのエネミアンバケモノ共の襲撃もぱたりと収まった辺り、共倒れでもしたのだろうか。

 でもまぁ、なんでも良い…否、むしろそれで良い。心底清々した。軽快なステップを踏みながら空に浮かぶ鉄の月に向け“ざまぁ見ろ!”とでも声高に叫びたいほどに。それはそれは軽やかな心境であった。

 私は生き残った。家族も、五体満足とはいかなかったが無事だ。隣人だっている。俺達はあの重苦しくて息の詰まる地獄からようやっと解放されたのだ。

 

 

 ~ちちぶ村共同書庫「戦後日記」より抜粋~

 


 2097年 1月20日 8時40分

  ちちぶ村 橘樹家



 朝。私は外に置かれた長椅子に腰かけミシマさんの到着を待っていた。

 地球の朝はとにかく冷たく、そして心底清々しい。湿度が違うのだろうか、ヘルメットをせずに迎え入れる空気は昨日とはまた違った匂いと質感であり、肺と肌を撫で上げてはどこか彼方へと流れていく。そんな冷ややかなカゼに私は身を委ね、太陽降り注ぐ小高い丘から望む村風景をのんびりと眺めていた。

 青い空をゆったりと飛ぶクモ。舗装されていない道を行く人々。漏れる白い吐息。思えばこうして何もせずにただぼんやりと過ごすのは生まれて初めてではないだろうか。ただただ流れていく穏やかな時間の中、手だけが机に鎮座するミレイヤを撫でるために動き続けている。


「…広いなぁ…」

『おーい!おはようさーん!』


 景色に胸打たれてると、どこからかミシマさんの声が飛んできた。見渡すと敷地の入口に厚手の服を着込んだ男が荷物片手に手を振っている。


『なんや、またその服着とるんか。そんな薄手で寒いやろ、新しいの用意したるよ』

「規定ですから。私は大丈夫です」

『そういうことやないんやけども…ま、ええわ。橘樹はどこや?』

「中で何か作業をされています」


 なら先始めよか。そう彼は喋り倒しながら鞄を開き、何やら布のような、だがずっと薄い何かを複数枚取り出すと机に広げ始めた。小さく巻かれていたそれには地図らしき模様やニホンゴがいくつも描かれている。これほど薄くしなやかに加工された物体は見たことがない。


「何これ、光が透けてる!」

「植物の繊維を絡ませ平らに加工した 紙と呼ばれる情報保存媒体です」

『なんや?この地図透かしなんか入っとらんで』


 怪訝な表情で話しかけられ慌てて地図を元の位置に戻す。危ない、こんな目を輝かせながら身勝手な行動を取るなど言語道断だ。背筋を正して椅子に座り直し、ミシマさんの説明に聞き入る。


『よし。そしたら改めてここ“ちちぶ村”と周辺の状況を教えるわ──』


 ──この村は過去の戦災を乗り越えた皆で作り上げた私らの故郷や。人口はおおよそ5,000人弱。その大半が村の中心、盆地北側で暮らしとる。食堂、書庫、風呂…はこの家にちゃんとあるか。あとは診療所や倉庫も中央にあるし、困ったらここに行けば何とかなると思うとけばええわ。とはいえ今は私と行動を共にしたほうがええやろうけどな。安心せぇ、ちゃんと全部案内したる。

 村の防備?やっぱ気になるわな。地図に何か所か赤点が打ってあるやろ?そこが自警団の設備や。特に東京方面の街道にはそこそこの人数が目を光らして“ヤジロベエ”のようなイカレブリキ自立兵器共の侵入を防いどる。ごく稀に迷い込んできよるけど、そん時は私らの生活の糧になってもらう寸法や。アイツらは危険やけど見返りも大きいしな。鉄の身体やヒンジなんかは素材として便利やし、アイツらが大事に守っとる倉庫なんかは掘り出しもんが眠っとるからな!それを狩りに出かけてたのが昨日の出来事や。

 で、そんな中で嬢ちゃんを拾った地点がここで…嬢ちゃんが目指してたっつー横田基地は、ここの辺りの施設や。この村からはそれなりに遠い位置やし、何より周辺は危険すぎる。向かうなら次の遠征のタイミングに合わせなアカンなぁ──

 

『──とはいえ。私らは兎も角、嬢ちゃん側がどう動きたいかで今後の方針が変わるな。ひとまず嬢ちゃんはどうしたいんや?』

「私ですか?私は…」


 ミシマさんの地図差す指先を追っていた目を上げると机向かいに立つ彼は疑問符を浮かべ此方をのぞき込んでいた。

 困った。今の私は荷物らしい荷物は何もない状態である。元々基地には何か使える物資が無いかを物色するために向かっていたのだ、必要な物資がどれほどあるのか見当もつかない。ミシマさんの質問に対する回答に詰まった私はしばし黙り込み思考を巡らす。


『なに寒い朝から人の庭で地図なんか眺めている。風邪引いても知らんぞ』


 どこを見ていたわけでもない視界に突然ぬるりと影が差し、肌撫でる空気の流れが遮られる。


『なんや、仕事の準備しとったんちゃうんか』

『もう終わった、そろそろ出かける。おい、これ持っておけ』


頭上の影からタチバナさんの少し気だるげな声が響く。少し痩せぎすな腕が肩越しに伸び、目の前になにやら細い金属製の物体が置かれた。手のひらサイズの棒の片側には突起が備わり、小さな穴に通された細い紐が輪を形成している。


『この家の鍵だ。今日明日私はいない。食事は食堂で、あとは勝手にしろ。ただし家の中の物には勝手に触るな。鍵は閉めないと獣が勝手に入ってくる、必ず掛けろ』

「ケモノ…?」

「獣とは全身に毛の生えた四足動物を指します。村の周辺には相当数の野生動物がいると推定されます」


 ドウブツ!噂程度には聞いたことがある。昔は人間以外にも生命体が存在して、人はそれを利用し生きていたとか。昨日食したシチューなる“リョウリ”の繊維質な食料も他生命体の肉を加工した物らしい。いつかは私も本物のドウブツを見ることが出来るだろうか。


「わかりました。お預かりします」

『首にでも掛けとけ。なくすなよ』


 首をそっと輪に通す。滑らかな肌触り。肌に触れた紐はやはり知らない素材で出来ていた。私の知る鍵とは全然違う“それ”に視線を落とす。

 私はタチバナさんに信用されている、とは思わない。彼は常にどこか疑いを含んだ、こちらを見透かすような目で私を見つめてくる。言葉の節々には壁を感じるし、実際私を遠ざけたいのだろう。

 だがタチバナさんはこの鍵を──これを持ち歩くなどにわかには信じがたいが──セキュリティーの要たる存在を私に預けてくれた。私が本当に信じるに値しない人間であるならば、きっと鍵は私ではなくミシマさんに預けられていただろう。

 ならば、その淡い期待には応えなければならない。


「お任せください。では──」


 まじまじと鍵を眺めていた私は体を捻り、背後に立つタチバナさんの薄く顎髭揃う顔を見上げる。


「──生体認証の方法をお聞きしても?」

『……うん?』

「え?」


 日に照らされる中、彼はポカンとした表情を浮かべ立ち尽くす。予想外の反応に私が首を捻ると、彼もまた同じように首を傾げた。


 カゼは今も冷たく流れる。

 



………

……




『そうかそうか、嬢ちゃんのとこだとこういう鍵は無いんか!』


 恥ずかしい。

 私は丘を下る間顔が真っ赤だった。

 いや弁明をさせてほしい。扉に鍵を掛ける時、穴に棒を差し込んで回すだけで安全が担保されると誰が想像しただろうか。それもこれほど簡素な作りの棒1本で。

 私の身の周りでは鍵を預けるとはMドローンに生体情報を渡すことを意味する。こんな物見たことないのだ。私の同期なら全員、聡明なアズサでさえきっと同じ間違いを犯すはず。


「見当違いな発言をしてしまいました…」

『いやいやええもん見れた!ありゃケッサクやわ!あんな間抜けな橘樹の顔何年振りやろかねぇ!』


 どうやらタチバナさんのリアクションが相当気に入ったらしい。ミシマさんは住居を出てからずっとずっと涙を浮かべ笑い続けていた。


『まぁ見たことないもんがあるのはしゃーない!わからんもんは少しずつ覚えていけばええんや!』

「頑張ります。それで、先ほど話されていた“コツヅカ”はどちらに?」

 

 この星に来てから価値観の違いに躓いてばかりだ。これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。ふもとの少し広い道に合流したところで目指す施設の所在を訪ねる。無論出来るだけ赤い顔は隠しながらだ。


『あぁこっちやな、ホンマお腹痛いわぁ!』


 ようやく落ち着いたのか、目尻の涙を拭い先導するミシマさんの後ろについていく。目指すはムラの端、コツヅカと呼ばれる廃棄施設だ。どうやらそこに私の目当ての物がある、かもしれないらしい。もし本当ならば月に帰る大きな一歩となるはず。

 しかし、私たちはすぐにコツヅカへと向かうことはできなかった。


『三島さん!やはりその少女とご一緒でしたか』

 

 コツヅカに向け歩き出したところでミシマさんを呼び止める男の声が背後から飛んできたからだ。振り返るとそこには男性が2人、足早に此方へ歩み寄ってきている。


『おぉ新宮にいみやか。おふたりともおはようさん!朝っぱらからどないした?』

『おはようございます。お忙しい中すみません、実はご相談が──』


 声を上げた男性は20代後半、ミシマさんよりひと回り下といった所か。彼は挨拶も早々に切り上げると、ミシマさんと2人で熱心に話し込み始めた。翻訳が追い付かず内容を全て聞けたわけではなかったが、どうにも緊急性のある話題らしく、複数枚のカミを覗いてはお互いに渋い顔を突き合わせている。

 ふともうひとりの男性と視線が合う。黄褐色の髪に、白い肌。青く鋭いつり目と細い眉。背丈は私と同じくらいだろうか。首に長い布を巻いた男性は私よりも年下、おそらく2~5歳ほどは若く見える。最早少年と呼称する方が正しそうな彼は、何故かずっとこちらを静かに見ていた。


『──ううむ、しゃあない。嬢ちゃん、悪いんやけど暫くあの子と一緒にいてくれへんか?こっち終わったら骨塚まで迎え行くわ』

「あ、はい。了解しました」

『リヨン、あの少女を骨塚まで案内してあげてくれ』


 先ほど目の合った少年がこくりと頷く。彼らはすぐに戻ると私に告げたのち、村の中心部へと足早に向かっていった。後に取り残された私たち2人は、静かに2人の背を見送る。

 しばし無言の時間が続く。気まずい。

 彼はまだ私をじっと観察し続けていた。別に観察されるのは良いのだが、流石に1対1で見られ続けるのは居心地が悪い。


「えっと…その、はじめまし──」


 沈黙に耐え切れず話を切り出す。

 だが同時に。


『お前、昨日来たよそ者だろ』

「──えっ」


 首元の布に顔をうずめる少年が初めてその口を開く。

 

 それが彼──“新宮リヨン”と初めて会話を交えた瞬間であった。

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