第9話 その名は地雷屋(前編)

 あぁ。まただ。


 またしても同じ夢。

 

 あの空間。あの時間。ぐるぐると巡り暗転する世界。


 なぜこればかり見せられる?

 なぜここばかり繰り返す?


 憧れが光として思考を鈍らせ、決意が呪いとして認知を塗りつぶす。


 あぁ。わかっているとも。


 この夢を打破するには道はひとつしかない。開くしかない。


 ──そうなんだよね?

 

 


………

……




 熱と冷気。そしてニオイ。

 五感の訴えに私が目を覚ました時、脳は矢継ぎ早に降る疑問符に押しつぶされていた。

 じっとりと汗ばむ体。

 鼻孔を刺激する知らないニオイ。

 ヘルメットを外されクリアな視界。

 裸体を覆うように掛けられた厚手のシーツ。

 やたらとうねる線の入った見慣れぬ材質の壁。

 とうに痛みの引いた肩や脚に何重にも巻かれた包帯。 


「おはようございます マスター」

『起きた!起きたよ!』


 聞きなれた機械声に、トタトタと何かが歩く音と重なる聞きなれない肉声…いや、言語?でも、どこかで、聞いたことあるような…床に置かれた薄いベッドから目覚めの悪い体を起こし、傍らの熱源を見やる。器から伸びる白い棒状の物体の先端に灯る赤い火がこの部屋唯一の光源だ。爆発の合間に煌めく炎とはまた違う…やけに不安定で、空気の流れに容易く押され揺らめいていく。こんな近くで火を見るのは初めてだ。少し空気が冷たい。


「マスター 今しばらく安静にしてください」

「…ミレイヤ…ここは…?」


 響く無機質な声と明かりに照らされた白いボディーを視界に入れ適度な安心感を覚える。とはいっても、私のヘルメットと折りたたまれたパイロットスーツの上に鎮座する彼女は、寝ぼけた私ですら状況をスッパリ把握できるほどに痛ましい傷跡を抱えているのだが。抉れた右角跡からは内部機構が剥き出しにされ、外装の一部は熱で溶けた痕跡が生々しく残り、あの戦いに敗北した記憶が間違いではないと知る。

 だが残った傷跡の割に汚れは一切残っていなかった。その外装はまるで誰かに綺麗になるまで磨かれたかのように光沢を放つ。


「詳細は後ほどお伝えしますが 現在我々は人類の勢力圏内に居ます」

「つまり…統一軍の拠点、ってこと?」


 眠っている間にそこまで運ばれたということだろうか。しかし最寄りの人類統一軍拠点まで何千kmと離れているのに、そんなことはありえるのだろうか?

 そんな私の疑問への回答者はすぐに現れた。


『目ぇ覚めたんか』


 ノックと共に開かれた扉には、奇妙な服装をした男性が立っていた。短く刈り上げた白髪交じりの黒髪に見たことないほど筋骨隆々な体。全身傷だらけの腕に布をいくつか抱えたその男は私に視線を合わせるためか、床を軋ませながら腰を下ろす。


『おはよう嬢ちゃん。体調大丈夫か?寒いやろ、替えの服を貰ってきたで』


 やはりどこか聞き覚えのある、だがよくわからない言語で話かけてくる。此方をまっすぐ見据える目とどこか優し気な声色…少なくとも彼が私を案じて声をかけているのだろうと想像するには容易かったが、正体も言葉の内容もわからない今その男に対しどのような態度を取れば良いのか私にはわからなかった。

 目を点にする私を見て察したのであろう。その温和ながらも鋭い視線を私の相棒へと滑らせる。


『この嬢ちゃんは日本語通じんのか?』

『問題ありません 此方で翻訳します』 


 ニホンゴ…!

 そうだ、思い出した。確かかつて極東で使われていたという言語としていくつかのニホンゴをアズサから聞いた記憶がある。今は言語が統一されたためアズサもあまり多くの単語は知らなかったが、発音の節々がその時教えられた単語とよく似ていた。

 そして、この言語を使う人間は統一軍内には1人としていないという事も私は知っている。つまり彼が統一軍の人間ではないことを示す何よりの証左でもあった。まさか、統一軍以外にも人が生きていたなんて。

 とはいえ学生時代に聞きかじった程度、話せるわけがなければ聞けるわけでもない。中央のアーカイブも当然使えないし、意思疎通は難しい…はずだったと思うのだが…


「えーと…ミレイヤ。言葉、わかるの?」

「はい。深層アーカイブに一部情報が記載されていました。不完全ながら通訳が可能です」


 私は偶にこのドローンの底知れぬ高性能さが…怖くなる。無論この状況においては非常に助かるのだから何も不満はないけれど。

 それでも、少し不安になるのだ。ここまでのスペック、私はなぜ使ってこなかったのだろうかと。一体どこまで私は活用出来るのだろうかと。


『まぁ伝わるんならなんでもええんやけどな?とりあえず──』


 改めて彼が手元の布を私に手渡す。一本の筒状に加工された変わった形状の布。


『そろそろ服を着てくれへんか?目のやり場に困んねん』


 彼の示す“服”がこの奇妙な布のことだと理解したのは、しばらく後の事であった。

 




『私の名は三島永代えいだい。嬢ちゃんは?』

「人類統一軍ヴェルダン方面軍所属グラディエーターパイロット、ソフィア・ビコです。少尉を拝命しています」


 やはりこの格好が落ち着く。

 普段のパイロットスーツに着替えた私は彼──ミシマさんに連れられて個室を出た。彼が抱えたミレイヤ越しに会話をし、人とすれ違うたびに一瞥を飛ばされる。皆デザインがバラバラな服を着、1人として同じ格好の人間はいない。

 知らない世界。知らない人。ヴェルダンに居た頃は想像だにしなかった、まるで夢の世界に迷い込んだような…目を覚まして早々妙な気分に陥りそうだ。周囲の情報に気を取られながらも私は彼に付き従い歩を進める。


『ええ名前やな。嬢ちゃんにお似合いやわ』

「えっと…ありがとう、ございます…?」


 ふしぎな人だ。ただの名前を褒めてくるなんて。しかもそれだけの行為に対し何故か顔が少しだけ熱くなってしまう。


「ミシマさん。その、ここは一体どこなのでしょうか?」

『ここはちちぶ村や。私はこの村の長を任されとる』


 チチブというのはトウキョウにほど近いエリアの呼称。ムラというのは共同体の1つだとミレイヤが補足を加える。


『色々聞きたいこと話したいことあるやろうけど。まず食事しよか』


 両開きの扉を目の前にして歩みが止まる。どうやらこの廊下の突き当りに存在する部屋が目的地らしい。

 扉を開くと思いのほか広い部屋の中に喧騒が広がっていた。室内の人間十数人に凝視される中ミシマさんに連れられ中に進むと、先ほどから強まっていたニオイの数々が一気に覆いかぶさってくる。あまりに多彩なニオイの束に脳がクラクラとふらつく感覚。まるでチョコレートを使わずに戦場に身を投じたみたいな情報の山だ。


『ここでええか。待っとき、今あったかい食事貰ってくるわ』


 私にミレイヤを託した彼は何かを取りに部屋の奥へと進んだ。指示された椅子に座り彼が帰ってくるのを静かに待つ。この大きな部屋には小さな椅子と長テーブルがいくつも置かれ、多くの人が思い思いの行動を取っていた。大声で騒ぐ者。静かに何かを口に運んでいる者。薄汚れた壁に飾られた多彩な物品を眺める者。複数人でテーブルを囲んでいる者もいれば、私の方を観察してくる者もいる。

 ミシマさんが向かった方向に目を向けると、カウンターで繋がった別室が併設されている。例の何かが入り混じったニオイは別室から運ばれてくる鉄製の器から漂ってきているようだった。

 1,2分もするとミシマさんが2つの器と水を乗せたトレーを手に戻ってきた。例の鉄製の器からすくい上げた何かをなみなみと湛えている。


『ほいこれ。やっぱ体温めるにはシチュー1択やな』


 ニオイふりまく器の中を覗き込み、思わず眉間に皺が寄った。熱を持ち粘性の高い茶色の液体。中にはいくつもの小石のような物や小さな植物らしき物、引きちぎられた繊維質の物…それらが液体と絡み浮いている。これが、食べ物?にわかには信じられない。食べ物といえばもっと無味無臭のものだ。もしくはチョコレートのように薬品臭がするか。


『ん?シチューは嫌いやったか?』


 そのドロドロとした液状食──どうやらシチューと呼ぶらしい──を彼は謎の器具を使い笑顔で口に運んでいく。細い取っ手の先端に小さな器のようなへこみのある板状のパーツが接続されたそれを器用に使い、液体を中に浮かぶ物体ごと食している。


『なんや、嬢ちゃんスプーン使ったことないんか。ほれ、こんな風に持つんや』


 はたから見ると相当ふしぎそうに見ていたのだろう。彼は私からよく見えるように器具を掲げた。その変わった指使いによる保持を見様見真似で私のトレーにも備わっていた同様の器具で試し、それらを活用した食事方法を試みる。

 失敗すること数回。何とか液体と小石のような物体を1つ持ち上げることに成功した。挑戦している間に気が付いたのだが、どうやらこの小石のような食料は見た目ほど硬度がなく、スプーンなる器具で容易く押しつぶせるほど柔らかい代物であった。

 後は、これを口に運ぶだけ。まだ上手く保持できず震える手で、おそるおそる咥え込む──


「…ッ──なに、これ…なにこれ…!?」

『ハハハ!なんだその感想!そういう時は一言美味しい、だろ?』


 この時感じた感情美味しいを私は一生忘れないだろう。舌を転がる液体から…咀嚼するたび押しつぶされる食材から…!今まで味覚が経験したことのない味が無数に弾けては唾液と混ざり、口内の隅々にまで絡まり蕩ける。舌が味覚という複雑な電流に晒されるたび脳は揺さぶられ、この味覚をもっと感じさせろと喉が叫ぶ。

 さらにひと口掬う。今度は繊維質の食材を噛みしめると、全く別の味覚が食材の内側からあふれ出し、口を、歯を、頬を撫であげ喉奥へと消える。食事がこんなに優しいなんて、もっと欲しいと思うなんて…あまりにもわけがわからない。けれど唾液はとめどなく溢れてくる。胃がきゅうっと捻じれていく。

 10分もすれば器いっぱいにあったシチューはきっかり2杯分私の体内へと消え去っていた。


『さて。食事も終えたことやしぼちぼち本題に入ろか。嬢ちゃんの今後についてや』


 私の今後の処遇。多幸感に殴られ半ばグロッキーになっていた私は体に染みついた反射に基づき即座に背筋を伸ばす。彼はひと口水を飲むと、柔らかな笑顔のまま私の目をしっかりと見据えた。


『といっても私は嬢ちゃんの事を何も知らん。嬢ちゃんもそうやろ?そこの丸いのは何も説明してくれんしな』


 そうだ。なぜこの敵地のど真ん中に人がいるのか。なぜ警備用自立兵器が襲ってきたのか。何より、彼らの正体は一体何なのか。質問したいことなどいくらでも出てくる。


『そこでだ──』



………

……



「お?地雷屋の旦那じゃないっすか!」


 今思えば常に細心の管理を心掛けていた保存食の在庫が切れていたのは神の悪戯だったのかもしれない。なにしろ私が中央食堂を利用するなど三島に呼び出されるか相当重要な用事がなければありえない。だが、今日に限ってはあいつに呼ばれようとも食堂どころか村の中央にすら立ち入る気はさらさらなかった。

 理由はただ1つ。例の少女だ。三島があの少女をどうするかは知ったことではないが、この村に置いておくとは考えにくい。精々少女の出立準備を手伝う程度だろう。その間に中央をうろついていてはいつ何時鉢合わせるかわかったものではない。だがあの男の事だ。いくら私が嫌がろうともあの少女と引き合わせようとしてくるのは明白。だからこそ普段より念入りに備蓄をチェックしていたのだが…まったく、灯台下暗しとはよく言ったものだ。


「お疲れ。中さん、保存食いつものある?」

「待ってな、今奥から持ってきますよ!」

「巻きで頼むよ。三島に掴まるわけにはいかないからな」


 帰宅後半日程度で発覚したのは僥倖であろうか。あの傷ならまだしばらくは寝たきりだ。銃創で傷ついた少女が動き回り始める前に食料を調達出来る。

 そう考えた私は相変わらず騒がしい食堂に裏口から入り、厨房に向かっていつも通りの取引をしていた。


「お?橘樹たちばな!!ちょうどよかった!」

 

 それが油断だったとは思わない。むしろ私は慎重派だと自負している。


「紹介しよう。この男の名は橘樹たちばな 縁埜えんや。嬢ちゃんが世話になる男だ」

「ア…コンニチハ、デス」


 だから、この一件は事故。もしくは神の悪戯いやがらせ


「橘樹。この子はソフィア・ビコという名らしい。しばらくお前の家に預けることにした」

「…は?」


 そうでもなければ、何故か周囲をきょろきょろと見渡す健康体そのものな彼女の顔を拝まされるはず、ないではないか。

 

 

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