第4話 第9次地球降下作戦

 極東一帯の民間人疎開計画…通称は「子蜘蛛計画」とか言いましたっけ。あの計画自体の評価や後世に及ぼした悪影響はひとまず置いておくとして、確かに燈明とうみょう財閥には様々な面で助けられましたね。特に日本や東南アジアのような島国の民間人全てを運び出せる輸送船の確保、あれは私達旧日本政府だけではどうしようもなかった問題ですし。勿論──

(中略)

 ──当時を知る者として燈明家には足を向けて眠れませんよ。日本アルプス防衛線の維持と日本海横断プランの両立。疎開先である各国への根回し。あれが無ければ今頃日本の文化…いえ、民族ごと消滅していたかと思うと、背筋が凍り付く思いで──

(中略)

 ──このように。トウミョウ家は日本人を始めとしたアジア諸国に対し心血を注ぎ、多くの人々を救い出したのであります。彼らの偉大なる功績は人類の歴史に深く刻まれてくことでしょう!


~戦時記録:トウミョウ財閥に関するインタビュー記事より抜粋~



 2097年 1月17日 23:40

  ヴェルダン派遣艦隊 軽空母ハーミーズ

 

 その日は私の人生で最も地球に接近した一日だった。


≪間もなく作戦宙域、高度約1,000km。移乗カプセル内、与圧調整開始≫

「やっとか。こんなに待たせるならわざわざ機内で待つ必要なかったんじゃない?」


 いつも通り小さく窮屈、それに視界も塞がれたソードⅣコクピットの中で私は思わず愚痴を零す。何しろ30分はこの手狭で薄暗い機内で待機していたのだ。少し伸びをするだけで体の関節からあまり鳴らしてはいけない音がパキパキと響く。


「マスター」

「大丈夫わかってるって。第8次と同じ轍を踏むわけにはいかないしね」


 相変わらずお堅いミレイヤをなだめながら私はヘルメットを被る。HUDバイザーはまだ下ろさない。減圧が終わるまでまだほんの少し余裕があったし、膨大な情報量をチョコレート服用前の視界で長いこと堪能していては始まる前から目が疲れてしまう。そんなもので視界を埋めるくらいならば整備班の皆と、とりとめのない雑談をしながら休憩していた方がよっぽど有意義だ。

 

≪カプセル内0気圧。係留カプセル及び整備用アーム収納。各機発進位置へ≫


 グラディエーターを輸送する際は艦底部に機首を埋め込む形で係留される。コクピットだけ船内に入れておけば与圧しなければならない箇所が最低限で済むためだ。パイロットが乗り込み、機体を宇宙空間に出し、連結を切り離して発艦。与圧して整備したい場合は機体を全てコンテナで覆えば問題ないし、戦闘艦にはシールド発生装置も備わっているので機体が露出していても安心できる耐久性能。

 機体のキャノピーを覆っていたカバーが開き視界が解放される。機体が全て宇宙空間に露出すると共に、機体を覆っていた作業用の足場やアーム、保護用のコンテナが収納されていく様をキャノピー越しに視認。発進を阻害していた障害物が消えると、尾翼先端の脚と着陸用の腕だけが機体と母艦を唯一繋ぐ存在となった。


「管制より通達 識別コード変更。以後V-27として従われたしとのこと」

「了解。さて、そろそろ食べないと…か」


 やはり飲むには覚悟のいるあのチョコレートを、一口で、飲み下す。吐き気と熱が身体の中で暴れ、認知が混濁し、意識が飛びそうになるのを、すんでのところで耐える。

 艦尾に近い機体から次々と発艦していく様子が見えた。緊張感と高ぶる感情に埋もれた脳がチョコレートの手でぐちゃぐちゃに混ぜられる中、実際に視覚としてとらえた実感がその乱暴にされた感情を一層高みに引き上げる。


HハーミーズコントロールよりV-27、発艦を許可する。発艦後はホールディングエリアE3にて待機。以後の指示は空母ホーネットのVヴェルダンマスターから受けられたし。人類に未来あれ≫

「V-27より、Hコント ロール。指示了解。発艦します。我らの 新たな道を 開け!」


 機体のロックを解除。腕や脚の爪を収納し母艦から離れる。艦隊の正面に展開すべく私のソードⅣは制御スラスターを吹かし、機首を進行方向に向き直って──


「…凄い」


 息を呑んだ。HUD越しに映る地球は、普段月軌道から見る景色とはまるで違う姿で私の前に存在していた。視界一杯に広がる青と白のコントラスト。これが、私たちの、本当の故郷の姿…!そのあまりの大きさに、吸い込まれそうな感覚に陥る。

 だが、私の機体で吸い込まれては無事では済まない。降下する艦隊やそれに追従するグラディエーターには大気圏突入用のシールド発生装置が搭載されている。当然だが降下しない私たちの機体や所属する艦隊にはそのような装備は無い。戦闘用のシールドを持った要塞の戦闘艦ですら大気圏には突入できないのだ、シールドすら搭載していない華奢なこの機体では、瞬く間に機体が溶け散ってしまうだろう。


「…やっぱり、志願したほうがよかったかなぁ…」


 私はアズサがいるあの要塞にまで帰らねばならない。それはわかっている。それでも私の奥底には一抹の後悔が残っている気がした。

 思い返すは、5日前の作戦説明会──



………

……



2097年 1月10日 14:45

 ヴェルダン要塞 中層 大会議室


 グラディエーターのパイロットが大会議室を使うことはあまりない。通常のブリーフィング程度なら毎回コクピット内で済ませているし、戦術の講義などもミレイヤ達Mタイプドローンを経由すれば自室で事足りる。わざわざ椅子を用意してまで顔を合わせる意味がないはずなのだ、本来ならば。

 しかし今は、この要塞に駐留しているパイロットでも選りすぐりの腕前を誇る者達が、自身の相棒ドローンと共に一堂に会していた。まだ配属されて間もなく、腕前も決して主席級とはいえない私が少し浮いているのは気のせいではないだろう。それだけではない。少し視線を泳がせば巡洋艦隊の艦長達にこの要塞を仕切る司令部勤めのお偉方。それに…険しい表情をした顔ぶれ。この要塞の将校ではない。40、否50代…それも後半だろうか?あれほど高齢な人は政治家以外で初めて見た。


(…ミレイヤ、あれは?)

(月面から中核艦隊の提督 及び参謀本部や総司令部の方々が当要塞に来られています)


 邪魔にならぬよう私の膝にこじんまりと座るミレイヤは小さなボイスでそう答える。精鋭部隊である中核艦隊はともかく、普段月面に引きこもっている参謀本部のお偉いさん方までが最前線たる要塞にやってくるとは珍しい。いや、それほど降下作戦が重要ということだろう。周囲からひそひそ聞こえてくる世間話の声色にも緊張感がにじみ出ている。

  

「なんだ?新人組で呼ばれたのは俺だけだと思ってたんだが」


 そんな中、背後から男の声が飛ぶ。明らかに私に向けて発しているであろう上機嫌かつ知性の欠けた声。

 例の機密資料には防衛の要として各ラグランジュLポイントに建造された要塞『L4ヴェルダン』『L1マサダ』『L5ゴリョーカク』からも戦闘艦やパイロットの精鋭を引き抜くと書かれていた。

 だから、まぁ。軍学校を首席で卒業したスコア馬鹿アイツが居るのも想定の範疇ではあった。好き好んで接したくはない存在だったが。


「まさかここでその真っ赤な髪を見つけるとは思わなかったぜ」

「ああそう。別に私がどこにいても構わないでしょ。ステファン少尉」

「むしろ歓迎だ、お前みたいな女と戦えるなら光栄ここに極まれりってやつだよ。スコア稼ぎ専用デコイとしてこれほどピッタリな人選はないだろうしな」


 ステファンは隣の空いていた椅子にわざとらしいまでに勢いよく腰を下ろすと、相変わらずニヤついた笑顔で如何に私が自身にとって都合がいい人間であるかを語り始めた。

 コイツを一言で言い表すなら、自分自身こそ世界の中心だと信じて疑わぬ謎の自信に満ち溢れたイケメンといったところだろうか。私に対しても公私問わずやたらと絡んでくる、こう言っては悪いが苦手なタイプだ。あれで既に人口管理局から子供を受け取っているなんてとてもじゃないが信じられない。子に性格が受け継がれないことを願うばかりである。

 それにしたってやかましい男だ。しばらく無視を続けていたのにも関わらずベルトコンベアに言葉を載せるがごとくべらべらと騒ぎ続けている。周りの上官や同僚が向ける冷ややかな視線が気にならないのだろうか?そもそもなぜ隣に座ってきたと頭を抱えたくなる。


「──大体、なんの作戦で招集掛けられてるか知らねぇけど、お前らが呼ばれるくらいだから大した内容じゃ──」

「何も知らないなら少しくらい黙って座ってなよ」


 準備が整ったのだろう。壇上に1人の男性が上がろうとするのが見えた。隣の騒音発生機を睨みつけいい加減に黙らせる。他のパイロット達も世間話を止め、室内の喧騒がすっと収まった。

 大将の襟章と第1主力艦隊所属を示す腕章。見た感じ30代後半、だろうか。


「それではこれより作戦計画の説明を始める。私が中核軍の総司令官を務めるティン・ヴァン・トーだ」


 こけた頬に不釣り合いな顎髭を揃えているその男は、そのやせぎすな見た目とは裏腹によく通る声をしていた。大きく剥きだした目でジロリとパイロットを睨むその姿は、精鋭たる本国部隊を率いる器に相応しい威圧感を醸しだしている。隣に座る残念イケメンなんぞ比較にならないオーラだ。ああいう風格ある大人になりたいと私は昔から思っていた。これが憧れというものなのだろうか。

 比較するわけでもないが、ちらりと隣を盗み見る。彼は口角にうっすらと笑みを残していたものの比較的真面目そうな面持ちで、壇上に立つティン大将を見上げていた。その気持ちの悪い笑い方とやたらと回る口さえどうにかすれば整った顔をしているのに。こういうのを持ち腐れというのだろう。


「諸君らにはこの度我々の指揮下の元、近く発動される第9次地球降下作戦に特別編成のヴェルダン派遣艦隊として参加してもらう。マサダ、ゴリョーカクの両要塞からも同様に戦力を抽出する。詳細データを手元の端末に送った、確認したまえ」


 そう告げられるや否や、室内にざわめきが起こり、パイロット達はお互いに顔を見合わせた。

 困惑の色が広がるのも当然だろう。私達要塞勤めのパイロットという存在はあくまで防衛線の維持に全力を尽くす存在だ。ごくまれに防衛線押し上げのために小規模な攻撃に参加することはあれど、大規模な攻勢作戦は全て月面の中核艦隊を始めとした主力部隊が担っている。最前線防衛の要である各要塞からこれ程大規模な戦力抽出を行うのは過去例を見ない事態なのだ。

 困惑しつつも各々がタブレットを開き情報を確認し始めたので、私も端末を手に取りデータに目を通す。以前部屋で読んでいた資料は戦略的すぎて末端の兵士である私の手には余る代物だったが、今回渡されたものは現場用に調整された物のようだ。部隊の陣形、各フェーズで行われる動き、状況に応じた対処法、etⅽ…やたらと細かい指示がびっしりと記載されていた。

 自身の役割を頭に叩き込むパイロット達を前にティン大将は拳を振り上げながら演説を続ける。


「諸君らも知っての通り第8次は失敗に終わった。物資不足を始めとする敗北の代償は最前線であるここが一番よく知っていることであろう。確かに傷は少しずつ癒えてきている、だが我らに更なる大規模降下を行う余力は残されていない」


 第8次。1年ほど前に発動した降下作戦はエネミアンの奇襲に遭った。迅速に人類の地球攻略拠点『イレブン・ポイント』に戦力を降ろすべく輸送船団を密集させたのが仇となったとうわさでは聞いている。


「もはや人類統一軍に失敗は許されない。必ず成功させよ、そのためならば地球降下部隊として中核軍への編入を希望する者も受け入れる。人類の未来に向かう道を開くため、今こそ力を振り絞り義務を果たせ!諸君らの健闘と戦果に期待する次第だ」


 解散の令が下る。続々と退室していく人々。誰も地球降下部隊に編入されたくないのだろうか。

 今なら。

 今なら、中核軍の一員として、地球に降り立てる。昔からの夢だったはずだ。競争相手もいない。チャンスは今しかない。


 ──それじゃ、いってらっしゃい。帰りを待っているわ。


 胸に残されたキス痕が、酷く熱を帯びている。

 …ダメだ。

 私には、アズサがいる。彼女に応えてこそ。自身の感情を抑え込んでこそ大人だ。

 それに。もう私には、何が自分の夢だったのかよくわからない。あの悪夢が私の夢ならば。あのモザイクの掛けられた過去が私の願いならば。

 それはおそらく、思い出してはいけない夢なのだろう…

  


………

……



「マスター。第1陣の降下が始まります」


 心が現実へと引き戻される。

 機械音だけが響く狭く冷たいコクピット。時刻は、0時を少し回ったころ。チョコレートの副作用はすっかり落ち着きを見せ、機能を肥大化した知覚能力がまるで星空の隅々まで見渡しているかのように広がっている。


「うん…わかってるさ」


 現在のポジションを確認する。遠くに映る艦隊、あれが中核軍だろう。3つに分けられた降下部隊と降下作戦を指揮する第1艦隊で構成される人類の主戦力。それらを守るように外縁の広範囲に布陣するのが各要塞からの派遣艦隊だ。私達要塞所属のグラディエーターはさらにその外を広く索敵中であり、私は僚機と共にEフィールド方面の警戒に当たっている。あまりにも陣形が広く派遣艦隊ではカバーしきれないため、後方エリアには各要塞の索敵網をもあてがっているらしい。

 望遠カメラを起動し中央に陣取る艦隊をまじまじと覗く。私でも名を知る錚々たる艦が一堂に会している。中核軍の総旗艦でありティン大将が座乗する戦艦ベルウェザー。いくつもの攻勢作戦を生き抜いた武勲艦ボストーク。人類統一軍で最も巨大な空母エンタープライズ…

 

「あれだけ数を揃えてまだ足りないんだものね」

「中核軍の第1第2艦隊に各派遣艦隊を含めればこの宙域に展開中の戦闘艦は100を優に超します。ですがエネミアンはその3倍以上の戦力を動かすと推定されます」


 恐ろしい、とは思わない。私達が数においてどれほど劣勢であるかなんて嫌になるほど経験済み、むしろ血が滾ってしょうがない。奇襲なんて手は使わず全身全霊をもって正面から殴りかかってこい、とこちら側からは見えない位置にあるエネミアンの母船にまで通信を飛ばしてやりたいほどだ。


≪オイオイ、何サボって船なんか見てんだよ≫


 ステファンが私の頭上を煽るように飛ぶ。わざわざコクピット内を見せつけるかの如く逆さに張り付いてくるとは、ただ浮かれているのか真正の馬鹿なだけか。またしても僚機として組まされたアイツさえいなければもう少しこの歴史的な作戦を、輝きを放つ地球と共に楽しめそうなのに。

 続々と船団が降下していく様子が地球上でちらついている。あれが第1陣だろうか。大量の輸送艦に地上戦力としての兵士や兵器、それと人類の希望を載せた船団。大気圏突入用シールドが赤熱し光を生み出している。そろそろ第2陣も降下体制に入るころだろう。こうのんびりと艦隊を観察していられる時間も残り少ない。陣形の変更に備えなければ。




 ──望遠カメラがまたひとつ小さな光を鮮明に捉える。


「は?」


 それが突然の爆炎に包まれていく艦隊総旗艦ベルウェザーであると気が付いたのと。


「警告 エネミアン反応多数検知」


 そうミレイヤが鋭く発したタイミング。


 それらはまさに、ほぼ同時の出来事であった。







次回 黎明迎え入れるカーマン・ライン

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