第3話 転機

  未来に幸を願い行動を起こす。それはこの星で命を授かった誰しもが一度は通る道でしょう。

 だが時として神は我等に試練を与え、我等に選択を強いてきます。それはこれまでも、そしてこれからも不変でありましょう。

 今現在人類は岐路に立たされています。これまで産まれた者達を守る為に未来を諦め降伏するのか。それとも、これから産まれてくる命を愛し険しき道を切り開くのか。

 ここにお集まりいただいた皆様。そしてこの放送をお聞きの世界中の皆様。我々は選ぶ時が来たのです。人類が人類たるが為に、武器を取り団結しあの悪魔に立ち向かおうではありませんか。我等の子達の為に。更にその子達の…更に更にその子達の為に、矢面に立ち今は彼等へ背を向けましょう。

 それが私達、親が子に唯一見せる事を許された背中なのだから。


 〜戦時記録:人類統一軍発足演説より抜粋〜





 2097年 1月1日 11:25

  ヴェルダン要塞 下層部居住区画



 この宇宙空間に浮かぶヴェルダン要塞はソフィア達に取って慣れ親しんだ生活環境ではあるが、この時代の科学力を持ってしても快適な生活への課題は多い。

 例えば水問題だ。ただでさえ資源不足の著しい人類が自由に使える水は限られている中、万単位の人員を抱えた最前線の宇宙空間に浮かぶ要塞に、安定して生活水を供給する。誰がどう考えてもそれが困難であると理解できるだろう。ここ最近になってようやく使用上限が緩和されたがそれでも微々たるものだ。それでも、ほんの数週間前まで入浴用のバブルジェルブロックを溶かす余裕すらなく、小さなバスタブがその役目を忘れ、ただ邪魔な飾りと化していた時期と比べれば生活環境は雲泥の差であった。

 

「〜♪」


 そんな使用頻度の低いバスルームから流れてくるアズサの上機嫌な鼻歌が私は好きだ。軍学校の頃もよく寮で耳にしていた、はず。ほんの数年前の朧げな記憶を掘り起こす。

 そうだ、確かにアズサはよく1人でリズムを取っていた。間違いない。初めて会った時も、彼女は微笑みながら自分自身で作った曲をハミングしていた。今時AIに作らせず自分で作曲とはやけにクラシカルな趣味だと、当時心底驚いた事を覚えている。

 嗚呼、まただ。彼女が来るたび毎回この回想をしている気がする。でもこの一連の思考は私に取って欠かせない行動だ。これが出来ているという事は、私の中のアズサはしっかりと形を保っていることの証明だから。ただでさえチョコレートの副作用で記憶が消えやすいのに、これ以上過去にモザイクをかけさせたくない。

 鬱屈としそうになる頭を振り払い、私はシーツの上に放り投げていたタブレットへもう一度手を伸ばした。自分自身の気持ちを誤魔化すため私は資料を何度も読み返す。


『第9次地球攻略作戦計画大綱』


「…どう思う?ミレイヤ」

「私が本件でマスターに開示出来る情報はありません」

「そうじゃないんだけどなぁ…」


 タブレットにケーブルで繋がれた私の相棒に問うも、予想通り、いやそれ以上にそっけない返事を返された私は押し黙り再びの思考に耽る。

 それは極秘の攻勢作戦。人類が生き延びるために必要不可欠な命綱を綯うための計画。一介の少尉が持つにはあまりに不釣り合いな情報が、なぜ手元にあるのか。

 事の発端はつい30分前にまで遡る………。



………

……



「っあ゛ー!それにしても疲れた!」 


 その時ソフィアは、反吐が出るほど不快なデトックス治療をなんとか済ませ自室への帰路に就いていた。

 中央連絡路にまで這い出したソフィアはその無重力を生かし重く凝り固まった肉体を全力で引き伸ばす。関節を鳴らす音が実に心地よい。


「本日の業務は特例に則り全て延期手続きを行いました。ゆっくりお休みください」

「ありがと。いやもうカラダが重くて重くて」


 デトックス治療は拘束時間もさる事ながら治療後に残る体の気怠さこそ私含む兵士達が敬遠しがちな理由のひとつだ。短くとも半日程度は倦怠感が尾を引く上、普段は治療後も通常業務が控えている。以前、日程調整ミスで戦闘訓練と被せてしまった日があったが…あれは辛かった。体が内側から崩れ落ちていると錯覚するほどには辛かった。

 でもそんな不安とも今日は無縁だ。襲来警報を聞いた時は頭に来たが幸いにも無事に帰還できた上、奴らのおかげで午後の業務をチャラに出来たのだ。目立った怪我もしていないし、あれ程の戦力を投入した反動で奴らも立て直しに時間がかかるだろうと予測されている。コレでようやく落ち着いて2人だけの時間を過ごせるというものだ。先に帰っているアズサは今頃ジェルを泡立て入浴しているころだろうか。彼女が上がるまでには自室に戻っておきたい。

 そんな算段を立てていたせいだろうか。通路上層から降りてくる1人の男の影にギリギリまで私は気がつかなかった。


「ソフィア少尉」

「───ハッ!お疲れ様ですルクラ隊長!」


 声をかけられ、ようやく直属の上官であるルクラの存在に気がついたソフィアは姿勢を正し敬礼姿勢を取る。彼女の周囲を緩く公転していたミレイヤもソフィアの右肩後方、つまりは公式の場での待機位置へと直り静かにルクラの言葉を待った。


「こちらも私用だ、楽にしてくれていい。特にけがもなく大丈夫そうでよかったよ」

「はい、ご迷惑をおかけしました」


 彼は往来を避けるためか少しずつ壁際にまで泳ぎながらも、ラフな口調で話すよう彼女に促す。お互いのプライベートの時間にまで縦関係は持ち込みたくないとはソフィアも直接ルクラ中佐から何度も聞かされていた。口調に丁寧さを残しつつも表情は緩める。


「話は聞いている。大変だったな。検査はもう済ませたのか」

「今日がデトックス治療予定日でしたからまとめて。隊長もこれからでしょうか?」

「あぁ、ついでに定期の脳検査も控えていてな。全く、エネミアンも嫌な日に攻めてくるものよ」


 たわいのない世間話が続く。中佐は階級をあまり気にせず話す気さくな性格の人物だ。常に落ち着いた立ち回り。新米だろうと敬意を欠かさない物腰の低さ。ヴェルダン要塞に住んでいてこの人を嫌っている人間はまずいないだろう。

 しかし…そんな人が自分の用事の前にわざわざ私を出待ちとは珍しい。それに会話も、よく言えば当たり障りない、悪く言えば中身の欠けた内容だ。そんな空っぽな雑談を、まるで周りに部下との和やかな交流をしていると聞かせているかのように続けている。これはきっと何かがある、そう私の勘が告げていた。異動の辞令か、それとも極秘任務か。本命を聞き逃さぬよう耳を澄ます。


「そろそろ行かねばならないか。最後に、これは聴き流して欲しい雑談だが……良いかな」

「わかりました」


 中央通路から伸びる脇道のひとつに身を寄せたところで中佐が本題を切り出した。中央路から離れるたび少しずつ人工重力が返ってくる感覚。静かに降り立ち発言を待つ。

 足がしっかりと重力に応えられる程度にまで進むと中佐は辺りを一瞥し、おもむろに低く静かな声で囁いた。


「近く新たな攻勢計画が発動される。第9次地球降下作戦だ」


 2人の間の空気が張り詰める。


「その降下作戦に君の参加が決定した。ティスティス、データを」


 そう続けるルクラ中佐は傍らに浮かべていた自身のドローン──ミレイヤよりひと回り大きく古さ故駆動音も大きな彼の存在を私はこの瞬間まで見落としていた──を呼びだすと、懐から機密通信用の有線ケーブルを取り出した。それを見たミレイヤは速やかにケーブルを受け取ると中佐のドローンに直接接続しデータを受け取っていく。


 地球降下作戦。それは、人類が唯一行なっている攻勢作戦のひとつである。

 1度地球を完全に追い出された人類は慢性的な資源不足に陥っていた。現在人類の総人口は2億3,000万人。再利用技術を磨きつつデブリの回収や採掘用小惑星を用意するなど改善は図っているものの、継戦能力を維持しつつ人類という種を維持するには到底足りない。

 そこで人類は定期的に大規模な降下作戦を行い地球上に拠点を確保。各種資源の打ち上げを行っていた。つまり人類にとっての最重要計画であり、敵に察知され防がれると人類文明にとって致命傷になりかねない特一級機密情報でもある。とても末端のパイロットが耳にして良い話題ではない。


「護衛艦隊に当要塞からも部隊を派遣する。君もその1人だ。何か質問はあるか?」

「ええと…なぜ私なのでしょうか?」


 浮かび上がる当然の疑問。何しろ私はまだこの要塞に配属されて1年と半年も経っていない。これほど重要な作戦、私では力不足なのではないか。それに、なぜ公式発表に先んじて伝えられたのか。

真剣な面持ちで頭に疑問符を浮かべる私に対し、彼はふと表情を緩め────













「ソフィ?」


 優しく呼ぶ声に上体を起こすと、そこには肌に艶を乗せたアズサがバスルームから顔を覗かせていた。


「どうしたの?酷く難しい顔をしているわ」


 タブレットをミレイヤに渡しデータを隠す。時計を見れば40分過ぎ。どうやら思っていたよりも長いこと考え込んでいたらしい。


「いや、大丈夫。いつもより早いね」


 いくら公開間近の情報とはいえ、人がいる自室で堂々見ていたと知られては大目玉間違いなしだ。不安げな表情でタオルを身に巻き付けているアズサに対し、彼女を安心させるために(機密情報を隠すためにも)、少し大げさに身振りしながらサイドテーブルの食用ブロックを手に取る。いつもの乾ききった硬度抜群な配給食とは違う、崩れやすく口の中の水分も奪わない食べやすい固形食。

 私は食事という行為が嫌いだ。栄養剤を飲めば済む補給という行為、それを空腹感を満たすためだけにわざわざ固形食品として経口摂取せねばならないのだ。これほど非効率で不愉快な行為は無い。

 だけど、アズサがいる時は別だ。これは単に彼女が調整した本土用配給食の品質が良いからという訳ではない。彼女が併せて持ってくる中央政府用ペースト食のおかげで飽きが来ないからでもない。彼女自身がいるから私はこの時間を楽しめているのだ。

 私の大げさなふるまいを見て安心したのだろうか、表情を明るくしたアズサは傍に掛けてあったサイズが合わないあのゴワゴワな就寝服を適当に羽織り、上機嫌に此方に歩み寄ってきた。この時間でしか見られない眼鏡のない顔も可愛らしい。


「愛しい人の悩ましい声が聞こえたからよ。これ貰うわね♡」

 

 人の就寝服を雑に身に纏ったアズサはベッドにまで上がってくると私の手首をつかんだ。彼女は脇に置かれた食事には目もくれず、ちょうど私が食べようと手に持っていたブロックをひと口で奪い取る。


「ちょっと、コレ私の…そろそろ私のもの勝手に使うの止めなよ」


 行儀の悪い立ち振る舞いに苦言を呈す私など事もなげに、彼女は私と向き合う形で膝上に跨った。顎先ほどの長さで整えられているアズサの黒髪が私の視界に影を作り出す。私の肩に回される彼女の細い腕。背筋に触れる指の感覚。スーツ越しにじわりと染み込む肌の温もり。膝立ちで私を見下ろすアズサを見れば、普段のおっとりと浮かべる微笑みと違う、独占欲と征服欲がない交ぜになった魅惑的な笑みをその愛らしい顔と黒い瞳に浮かべていた。普段の彼女の印象とはあまりに乖離した言動、この光景を他人に説明しても恐らく誰も信じないだろう。


「ふふ。ごめんなさい、無性にお腹が空いてしまって。それに、適当に私物を放置しているソフィがいけないのよ?」

「ここ最近はミレイヤのおかげでだいぶ綺麗でしょ!」

「そうね、そういうことにしておきましょうか」


 反論は笑いながら軽く受け流され、背中に伸びた手が私のパイロットスーツのロック解除を始める。構造上1人で脱ぐことはできない不便な服を正面から肩越しに外すとは器用な人だ。私を見据える視線と目が合う。僅かな緊張感。この瞬間に期待を膨らませ、あえてミレイヤに解除を頼まずに待っていたことはきっとアズサにはバレバレだろう。

 慣れた手つきで胸部ベルトを外され、そのまま背面から割れるようにスーツが脱げる。上半身を覆う服装がインナーだけになり、息苦しかった呼吸が幾分かマシになった。ひとつ深呼吸をすればアズサの匂いが肺いっぱいに広がる。


「それにしても相変わらずミレイヤに任せっきりなのね。本当、だらしのない人」


 その言葉と共に奪われる唇。反論は許さないと言わんばかりにねじ込まれた舌に、私も応えようと必死に絡ませる。口を塞がれ荒くなる呼吸。数カ月分の空白を埋めようという気持ちが彼女を抱きしめる腕に力を込めさせる。


「──大丈夫。私がいくらでもお世話してあげる。ソフィは子供何人欲しい?そろそろ人口管理局にも連絡を入れておかないとだめよ」

「んぅ──あそこの事はよくわかってるさ。それにアズサの家は頼れないもんね」

「えぇ。トウミョウの跡継ぎが欲しいだけのひと達に私の子を巻き込まさせないわ」


 離れた唇から紡がれる決意の言葉。トウミョウ家は昔から影響力の強い家系で知られ、彼女と疎遠になっているアズサの父は最高評議会の重鎮らしい。

 少し乱暴に体をベッドの上に押し倒され再び口を塞がれる。彼女が強引に来る時は相当な鬱憤を溜め込んでいる証だ。トウミョウ家長女としての…政治家としての人生ではなく、一端の輸送オペレーター「アズサ・トウミョウ大尉」として生きる覚悟を決めた彼女にとって血の繋がりによるしがらみとは相当なストレスだと、人口管理局産まれで顔を知る親のいない私でも薄々は理解できている。そんな彼女の苦痛を受け止められるのは私だけ。今の私は彼女を幸せにするため生きているはずだ。



 ────選考AIに私が推薦したんだ。確かに君は若いし腕前が特別抜きんでているわけでもない。でも、君は他の者達より少し先を見ている気がしてな。どこか心の底で願っている夢があるのだろう?ならばチャンスは掴んでしかるべきだ。

 あぁそれと、護衛部隊の中で地球降下する部隊も選考中だ。明日以内に上層部に掛け合えば、地球にも降りられるかもな。



 ルクラ隊長との会話が脳裏に蘇る。隊長の期待を滲ませた声色は私の過去の希望を見透かしていたのだろう。

 私は夢を捨てた女だ。潔癖症のきらいがあるアズサなら私が地球に降りると言い出せば必ず渋るだろうし、そもそも今のこの現状に私は満足している。彼女に背を向け地球に降りる気など毛頭ない。


 それなのに。

 肌を重ねあっているにも関わらず胸の奥がじくりと痛む。

 今の私の心にあるこの棘は一体何者なのだろうか。

 この痛みは一体、何を望んでいるのだろうか。何を訴えているのだろうか。


 今ならわかる。

 その答えを出すには、当時の私はあまりに幼すぎたのだろうと。



次回 第9次地球降下作戦

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