第30話 回想終了

 注文していたサンドイッチが届いたところで、黄昏を起こすことにした。


「黄昏さん。起きてください。ご飯ですよ」


 優しく頭を撫でながら、小さな子供に語りかけるように言う。

 何度か呼びかけると、ようやく黄昏がもぞもぞと覚醒の気配を見せた。


「……誰?」

「誰? は酷いですね。昨日からお邪魔している黒咬くろかみですよ」

「ああ……まだいたの」


 一度こちらを見た黄昏たそがれは、興味をなくしたように僕に背を向けた。


「その言い方も酷いなぁ。僕は黄昏さんが引き留めるからここに残ったんですよ?」

「……どうせすぐにいなくなるくせに」

「今日一日は、黄昏さんと一緒に過ごします。まずはそれで勘弁してください」

「……バカ」

「ごめんなさい。もっと器用に生きられたら良かったんですけど、死なないこと以外に取り柄のない人間なんです」

「……そんなことは……ない」


 黄昏が、蚊の鳴くような声で呟いた。いわゆるツンデレという奴なのだと、好意的に解釈しておこう。


「ありがとうございます。さ、起きてご飯を食べましょう。美味しそうなサンドイッチが届きましたよ」

「……手作り?」

「お店の人の、手作りです」

「……なんであんたが作らないの」

「材料がなかったものですから。今日はこれで勘弁してください」

「……材料、買ってくればいいのに」

「黄昏さんを一人にしたくなかったものですから」

「別に、あんたなんかいなくても平気」

「そんな寂しいことを言わないでください。僕は黄昏さんと離れたくなかったですよ」


 ぴくり。

 黄昏の背中が動き、こちらを向こうとしている気配がした。あと一押しかな?


「黄昏さん、僕と一緒にご飯を食べましょう? 一人じゃご飯も美味しくないんです。黄昏さんが一緒じゃないと嫌なんです」

「……口ばっかり。本当はわたしのことなんてどうでもいいくせに」

「そんなことありませんよ。僕にとって黄昏さんは、もう大切な人の一人です」

「……昨日会ったばっかりなのに、そんな風に思えるわけないじゃない」

「僕は黄昏さんを大事に思ってますよ。黄昏さんの剥き出しの悲しみや苦しみに触れて、僕の中には既に黄昏さんの居場所があります。これはもう、変えようのないことです」

「……わたしのこと、ずっと大切に思えるの?」

「ずっと大切に思い続けますよ。間違いありません」

「そう……」


 黄昏がこちらを向いてくれた。

 正直に言うと、ひたすら相手への好意を示し続けなければならないのは、ちょっと面倒臭い。でも、手の掛かる女性も僕は案外好きらしい。人によってはこんな女性とお近づきになりたくないかもしれないが、僕はあまり気にならない。


「ご飯、食べましょ?」

「……食べさせて」

「え、口移しは結構グロいですよ?」


 軽い冗談のつもりだったのだが、黄昏はジトリと睨んでくる。


「……バカなの?」

「軽い冗談です。変なこと言ってすみません」

「気持ち悪いこと言わないで」

「はい。ごめんなさい」


 ふん、と黄昏は鼻を鳴らすが、背を向けることはなかった。

 危うく今までの努力が無駄になるところだった。やはり僕は不器用だな。

 黄昏の望み通りに、僕は座卓に置いていたチキンサンドを手に取る。それを黄昏の口に近づけてやると、パクリと咥えてむしゃむしゃと食べ始めた。


「美味しいですか?」

「美味しくない。全然美味しくない……」

「そうですか。ごめんなさい。ご飯の選び方も下手くそで」


 美味しくないと言いながら、黄昏はチキンサンドを少しずつ食べ続ける。

 僕もお腹が空いていたので、もう片方の手でタマゴサンドを食べようとして。


「……それ、わたしの」

「これは失礼」


 完全にお預け状態で、僕は黄昏の食事介助を続ける。

 お腹はぐぅぐぅ鳴っているが、黄昏は僕に温情をかけるつもりはないらしい。ひたすら自分だけ食事を続けた。

 溜息は心の中だけにしまっておいて、しばしこの無情な時間に耐える。

 黄昏がチキンサンドを食べ終わり、次にタマゴサンドを食べさせようとしたのだが。


「……なんで、あんたはそんなに優しいの?」


 黄昏の目に涙が浮かんで、鼻もぐずぐずと鳴らし始める。


「どうせ、お金のためでしょ」

「違いますよ」

「じゃあ、体目的だ」

「一晩何もしなかったんですけどね」

「……じゃあ、何」

「黄昏さんを助けたいと思ったからです」

「そんな理由で、こんなわけわからない女を助ける人なんているわけないじゃない」

「少ないかもしれません。でも、ゼロじゃないです」

「嘘だ」

「今、目の前にいる僕がそうですよ」

「嘘だ……」

「信じるかどうかは、黄昏さん次第です」

「……なら、信じてもいいの? この世の中も、そんなに悪くないのかもしれないって……」

「いいと思いますよ。僕が、それを黄昏さんに証明します。少し時間がかかると思うので、きちんと生きて、僕が証明していく姿を見届けてください」

「……やだ。……全部、やだ」


 黄昏が僕に背を向けて、体を震わせて泣き続ける。

 全体的に不安定で、脈絡のないような言動が多い。

 でも、今はそれも仕方ないのだろう。人間、追いつめられると情緒もめちゃくちゃになるものだ。

 ただ、こういう姿を見せてくれるのも、進歩だとは思っている。こんなことを繰り返して、少しずつ、少しずつ、黄昏の心の傷は癒えていくだろう。

 時にまた他人に当たり散らしてしまうかもしれないけれど、僕がいれば大丈夫。どうせ死なないし、黄昏の八つ当たりにはいくらでも付き合える。


「……僕に対しては、どんなことをしても構いませんよ。どうせ何しても死にませんから、安心してください」


 黄昏の頭を撫で続ける。

 この仕事は、ただ殺されるだけじゃ済まないこともたくさんあり、大変だとは思う。けど、今はこんな状態の黄昏も、いずれはちゃんと復帰していくと思う。

 それを見届けられるのは、僕としては非常に嬉しいことだ。じっくり黄昏と向き合っていこう。



 ……なんて、当時はそんなことを思っていた。

 あの出会いから二ヶ月くらいは、黄泉子と頻繁に会うことになった。

 その間、黄泉子は遠慮なく残酷な絵を描いて、それは一般的に見れば狂気の沙汰だったのだけれど、それでも僕は臆することなく黄泉子に寄り添った。それが黄泉子の精神をかなり安定させた。

 僕は当時から浮気者だけれど、隠れて浮気する人より浮気しているとわかっている人の方がいい、などとも言い出して、僕と体の関係も持つようになった。

 明確な恋人関係にはなっていない。セフレというほどドライな仲でもない。

 いつまでも続くような、あるいはふとした瞬間にすぐ解消してしまうような、あやふやな関係は、今でも続いている。

 なお、僕を殺し続けた結果、僕を殺すこと自体にも快感を覚え、より残酷な殺し方を考えるようにもなったのだけれど……それは、僕だけが大変な話なので、問題ではない。

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