第29話 掃除

「……どこにも行かないで」


 半ば予想できていたことではあるのだけれど、翌朝になって、黄昏は僕を引き留めた。部屋を出て行こうとしたら、思い切り腕を掴まれてしまったのだ。


「……僕、これでもまだ高校生でして。学校にも行かないといけないんですよ」

「そんなのやだ。一人にしないで」


 声の調子は比較的穏やか。しかし、僕の手を決して離すまいという強い意志がうかがえた。

 まぁいっか、と気軽に構えてしまう。高校なんて卒業できれば十分、という闇咲の言葉を採用しよう。鳳仙花さんは、そこまで気楽に考えてはいないようだけれど。


「今日一日だけですよ?」

「……ずっと一緒にいて」

「悪いですけど、そこまではできません」

「どうして!? どうせいなくなるなら、半端に優しくしないでよ!」

「……ごもっともです。でも、ずっと一緒にはいられないだけで、また気軽に会いに来ますよ」

「ずっと一緒にいてほしいの!」

「それはできません」

「なんで!?」

「なんででも、です」


 僕には僕の人生があって、こうして黄昏と向き合っているのは仕事の一貫。

 もちろん、単にお金のためにしていることではない。お金がほしいだけで続けられる仕事でもない。

 黄昏のような、心が疲弊しきった人を助けたいという気持ちもちゃんとある。報酬なんていらないよ、と言いたくなることもある。

 でも、僕は一人の人間に過ぎなくて、無償で他人のために尽くし続けることはできないし、誰か一人だけにずっと構っているわけにもいかない。死なないだけの僕だけれど、案外求めてくれる人は少なくないのだ。

 こういう事情は、黄昏がもう少し落ち着いてからじっくり話していこうかな。


「……あなたが出て行ったら自殺する」

「それはダメです。殺すのは自分じゃなくて僕にしてください」

「あなたが出てけないように、首を切ってくっつかないようにする」

「それも止めてください……。あまり良い気分ではないので……」


 頭部が離れたままになったとしても、新しい頭部に生え替わるということはないらしい。しばらくすると離れた頭部から体が生えてくる。光景としては結構グロい。


「……でも、出て行っちゃうなら、本当にするよ」

「勘弁してください。今日一日は、黄昏さんだけの僕でいますから」

「やだ」

「……まぁ、とにかく、今は黄昏さんの側を離れません。この話は後にしましょう」


 黄昏は不機嫌そうに僕を睨む。そんな顔をされても、叶えられない願いだってあるものなのだよ。

 僕にだって、僕の人生があるのだから。

 黄昏のために、全てを捧げられるわけではない。

 ただ、できる限りのことはしよう。


「さ、そうと決まれば……とりあえず、掃除をしましょう!」

「……は?」


 僕の提案に、黄昏が剣呑けんのんな目つき。せっかく一緒にいるのにやることが掃除とは何事か、と無言で責められている。


「黄昏さん。せっかく僕がいるので、この部屋をきちんと掃除しちゃいましょう! 全部投げ出したなるくらい、辛い経験をされたと思います。

 でも、僕は黄昏さんがこの先もちゃんと生きていくことを望みますし、無理矢理でもそうします。そのための一歩として、まずは掃除をします! いつまでも身の回りをこんな状態にしてはいけません!」

「……勝手にやれば」

「わかりました! 勝手にやります!」


 黄昏はふてくされた様子でベッドに寝ころぶ。もっと艶っぽい提案を望んでいただろうか? そこまでなくても、ずっと寄り添ってほしかっただろうか? 

 でも、僕は黄昏とエッチなことをしたり、だらだらしたりするためにここに残ったわけではない。

 黄昏には、一人の人間として社会復帰してほしい。それだけだ。


「黄昏さんはしばらく休んでいてくださいね。なるべく静かに片づけますから!」


 黄昏からの返事はなく、僕は黙々と部屋の片づけを始める。

 色んなゴミが散乱していて、片づけるのは容易ではなかった。予想通りに害虫なんかも潜んでいたし、気分が悪くなるような光景もたくさん見せられた。

 それでも、無心になって一時間、二時間と掃除を続けていくと、だんだん汚れきっていた部屋も綺麗になっていく。

 安易な比喩だけれど、荒みきった黄昏の心が、少しずつ綺麗になっていくような気分になれた。

 昼過ぎになり、部屋がある程度整ったところで空腹を覚える。そういえば、今朝は何も食べていない。


「黄昏さん、何か食べますか?」


 訊いてみるが、返事はない。拗ねているのではなく、すやすやと眠っている様子。

 昨日に比べれば、こうして安らかに眠っていられるだけでも大きな進歩だろう。今の黄昏には休息が必要で、ゆっくり眠れるならそれに越したことはない。


「冷蔵庫、なんもなかったしなぁ」


 冷蔵庫はほぼ空っぽで、水のペットボトルが二本残っているのみ。

 また、その他の食品も室内には見あたらず、黄昏はほぼ備蓄食糧の全てを食べ尽くしていたらしい


「……買い物には行かない方がいいよな」


 黄昏を一人にはしない方が良いと思うので、スマホで出前を依頼。


「サンドイッチでも頼もうかな」


 僕一人だったら牛丼でも良いのだが、黄昏もいることだし、ここは多少女性ウケを考えて選ぼう。

 スマホ一つで大抵のものが手に入るのはありがたい。割高だが、僕ならそこまで気にするほどじゃないし。


「黄昏さん。ここからまた、始めていきましょうね」


 まだ締め切っているカーテンの隙間から、夏の日差しが室内に射し込んでいる。この強い光が、黄昏を明るく照らしてくれる日が来ればいい。

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