第19話 不機嫌

「じゃあ、そろそろ次行こっか?」


 僕と狂歌が戻ると、月姫が綺麗な笑顔でそう言った。

 僕と狂歌が話していた時間は、おそらく二十分ほど。その間に、月姫は何かしらの料理を注文し、全て食べ終えたらしい。テーブルの上には、空の皿とコップだけが置かれている。


「あー……はい」


 僕の直感が告げる。これ、逆らっちゃダメな奴。

 僕は何も食べていないし、お腹が空いているけれど、要するに、我慢しろバカ、ということね。

 育ち盛りには辛い責め苦だなぁ。


「狂歌、ご飯はもう食べた?」

「わたしは済ませてきた」

「そう。良かった……かな」

「ほら、行こ? あと、これお願いね?」


 手渡されたのは伝票。ここは僕の奢りになったのね。了解。


「こんな冷たい女より、わたしの方がいいよね?」


 狂歌が耳元で囁く。囁いてるけど、月姫にも聞こえている。

 月姫はこちらを向き、にっこりと笑う。


「私がどうかした?」

「な、なんでもないよー。ささ、お買い物を続けようか」

「しばらくわたしもついてく。いいよね? 夜ぁ謳ぉ?」

「……いいと思うっす」

「やったっ」


 狂歌が腕を組んでくる。抵抗はできない。月姫の視線が冷たい。

 冷ややかな視線を受け流し、狂歌が挑発的に言う。

 

「なぁにぃ? 月姫さんって、夜謳のお友達なんでしょ? 何か文句あるぅ?」

「別に? ないよ?」

「だよね! あ、今度二人が同棲するとか言ってたけど、わたしも一緒に住むから! 宜しくね!」

「え……?」

「よ、ろ、し、く、ね!」


 月姫、すんとした顔で僕を見る。……相談もなく決めてごめんね。


「……ふぅん、そう、なんだ。じゃあ、宜しくね?」


 ふふふ。

 ははは。

 ねぇ、二人とも。表面上だけで笑うの、やめない? 機嫌悪いのより怖いんだよ、それ。

 溜息を吐くことも許されない雰囲気で、僕は月姫の飲食代を払う。明細をよく見てなかったが、料金が三千円を超えていた。一人で一体何を食べたんだ。人喰い吸血鬼になって食欲がフードファイター並にでもなったのか。


「ねぇ、黒咬君。ちょっと買ってほしいものがあるんだけど、いいかな?」


 店の外に出たら、月姫が微笑みを張り付けながら尋ねてきた。


「どーぞー……」

「ありがとー。黒咬君、頼りになるなぁ」

「……歩くATMと呼んでくれ」

「あははっ」


 否定はしてくれないのね。

 そして、月姫に連れられて、僕たちはまた色んなお店を回った。

 月姫は各お店でちょこちょこと買い物をして、総額は三万円を超えた。不要品を買ったわけではないみたいだから、良しとしておこう。

 なお、月姫だけでなく、狂歌にも色々プレゼントすることになったので、最終的な支出は六万円を超えた。ははは。

 ……僕にどれだけお金を出させるか、張り合うのはやめてくれないもんかね。

 そうこうするうちに時間は経ち、時刻は三時十五分前。

 狂歌はそろそろレンタルスタジオに向かうということで、別れることに。

 スタジオが入っているショッピングモール前にて、狂歌が甘ったるい声で言う。


「夜ぁ謳ぉ。わたしがいなくなるからって、浮気しちゃダメだからね!」

「うん。わかってる」

「嘘つき! またどうせ浮気するくせに!」

「……はて?」

「ふん! どうせ結婚するのはわたしだし、もういいもん! バイバイ!」


 狂歌が最後にキスを残していく。今回こそ軽めの奴で、すぐに離れて狂歌はショッピングモール内に駆けて行った。

 ふぅ、と軽く息を吐く。

 そして、隣の月姫から冷めた声。


「……で、どうしてあの子も一緒に住む話になったの?」


 ……僕たちは友達なんだし、そんなにすごまなくてもいいじゃないか。ダメか。うん、ダメだよね。わかってた。


「……ごめん、狂歌って寂しがりな奴でさ。ジョブを開眼して以来、両親とも上手くいってないみたいだし、これ以上一人にしておくのも良くないなって思って」

「ふぅん……? 両親と上手くいってないの? どんなジョブなの?」

「『ジェイソン』。身体能力を上げる代わり、定期的に強烈な殺人衝動に駆られる」

「……なるほど。私と似たような状況なのね」

「そういうこと。それでさ、狂歌の家、結構な高級マンションの一室なんだけど、広い部屋でいつも一人なんだ。僕が行くと、本当に嬉しそうな顔をする」

「……そう」

「元々、いつか一緒に暮らそうとは思ってたんだ。それがちょっと早くなっただけ」

「……そうやってまた、自分の首を絞めるような優しさを見せるわけか」


 月姫がふぅ、と軽い溜息。


「……自分、不器用なんで」

「不器用だよね。本当に。っていうか、そもそもなんで今まで一人にしてたの?」

「狂歌、ちょっと僕に依存気味なところがあってさ。僕と二人暮らし始めたら、それがますます酷くなる気がしたんだ。僕から離れられなくなって、僕に対する束縛も強くなって……。一度、僕を監禁しようとしたこともあるくらいだから、危ういとは思う。

 お互いのために良くない結果になりそうだから、無理矢理距離を置いてたんだ」

「監禁……。そんな言葉、日常で聞くことになるとは思わなかった」

「だよね。狂歌はそんな感じだけど、月姫さんがいればたぶん大丈夫。

 僕と二人きりだと狂歌は暴走し始めるかもしれない。でも、始めから三人とわかっていれば、自制もできると思う。

 それに、月姫さんくらいしっかりした人が近くにいたら、自分も自立しないといけないって感じて、良い方向に進んでくれる気がする」

「……私だってそんなに立派な人間じゃないよ」

「うん。知ってる」

「知ってるって……。酷い言い方」

「だって事実だろー? その場の勢いだけで命を捨てようとする奴は、とても立派な人間とは呼べないさ」

「あれは……仕方ないじゃない。自分が化け物になってみないと、私の気持ちはわからないよ」

「それもそーだ。頭ごなしに決めつけるのも、僕の悪いとこ。つーことで、お互い不完全で未熟者なんだし、補い合っていこーよ」

「……はいはい」


 不意に、月姫が手を繋いでくる。その顔が少し赤いな。


「顔が赤いね。どうした? 風邪でも引いた?」

「……うん。風邪引いた。もう歩けなーい」

「ほほう。おんぶしてやろうか?」

「……遠慮しとく」

「そうか。お姫様抱っこがお望みか」

「肩車で宜しく」

「よし、やってやる」

「公衆の面前で人の股に顔を突っ込もうとしないで!」


 強めに頭を叩かれた。力加減、バグってない?


「痛いなぁ。……ってか、公衆の面前じゃなければいいってこと?」

「……ばーか」


 もう一回強めに叩かれた。石で殴られたかと思った。そう言えば、この子は人喰い吸血鬼だったわ。そりゃ力加減もバグるわな。


「他の人は殴っちゃダメだよ」

「黒咬君以外を殴る理由なんてないじゃない」

「それもそうだ。ま、それだけ元気なら、自分で歩けるね」

「手を引いてくれるだけで、いいよ」

「了解」


 それから、月姫はもうショッピングは良いというので、カラオケで二時間ほど歌って過ごした。

 月姫は歌が上手くて、歌い手でもやれば十分に稼げるのではないかと思った。

 僕は可もなく不可もなくという歌を披露し、月姫におざなりの拍手を頂戴した。

 帰り道、駅に向かう途中。

 時刻は午後五時半を過ぎていて、空も昼の明るさを減じている。

 

「……あのさ。実は、ちょっと我慢してることがあったんだけど」

「ん? どうした?」


 月姫がお腹を押さえる。


「……なんでだろ。また、食べたくなっちゃった」


 昨日食べたばっかりなんだがなぁ……。開眼したばかりだから、不安定なのだろうか。


「……わかった。闇咲さんの家に帰ったら、すぐにでも」

「黒咬君の部屋に行きたい」

「……了解」


 断るという選択肢はない。

 その後にどんな流れになるかは、まだわからない。

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